第3話 錬金術師は復讐の一歩を進む
焼け落ちた自宅の前で、私は出発の準備を行っていた。
降りしきる雨も止み、濡れた髪を掻き上げて、服を絞りながら進めていく。
準備と言っても荷物なんてごく僅かだ。
ほんの少しの財産と、思い出のネックレスのみである。
丹念に探したが、他はすべて焼け焦げてしまっていた。
「ふむ」
私は身に纏う衣服を触ってみる。
あちこちが焦げており、靴も爪先が破れていた。
誰が見てもみすぼらしい格好だ。
新しい服も必要だろう。
とりあえず、どこか街へ向かいたい。
そこで情報が欲しい。
男達の素性と居場所が知りたかった。
私が撃たれてからどれだけの時間が経ったか不明だが、闇雲に追いかけたところで絶対に見つからないだろう。
(吸血鬼の骨を求める者がいるはずだ)
男達は金が目当てのようだった。
どこかで遺骨を売却しようとするに違いない。
金を得ようと企んでいるのだ。
そうなると男達を探すより、流通情報を探るのも手かもしれない。
何にしても、大きな街へ出るべきだ。
復讐や長旅に使うための道具類も揃えていきたい。
方針を定めた私は、変わり果てた家から出発しようとする。
その時、微かながらも誰かの話し声がした。
(何だ?)
森の木々を抜けて、だんだんと近付いてくるのが分かる。
相手はおそらく二人。
姿は視認できないが、位置は正確に感じ取ることができた。
(これも吸血鬼の能力なのか?)
本来の私は、そういった技能を持ち合わせていない。
ただの錬金術師に過ぎなかった。
魔術も多少は使えるが、調合に活かすための系統である。
戦いに関しては素人同然だった。
五感が研ぎ澄まされた感じがするのは、吸血鬼の因子が目覚めた影響だろう。
私は樹木の陰に隠れる。
なんとなくそうした方がいいと思ったのだ。
相手の正体は不明であるが、友人がいない私を訪問する者などいないはずだった。
このような僻地に来る者は警戒するのが利口だろう。
耳を澄ますと二人の会話内容が聞こえてくる。
「腹が減ったな」
「我慢しろ。報酬で美味い飯が食えるんだ。それまでの辛抱だぜ」
茂みを抜けてきたのは、二人組の男だった。
赤髪の青年と古傷の男である。
後者には見覚えがあった。
私が頭巾を剥ぎ取り、顔を目撃した者だ。
右頬に走る二筋の古傷。
あれを忘れるはずがなかった。
遠目にもはっきりと見える。
すなわち彼らは、私を襲撃した者達だろう。
青年は違うかもしれないが、この際どうでもいい。
古傷の男と親しげにしている以上、碌な人間ではあるまい。
(彼らは何をしにここへ戻ってきた?)
私は引き続き隠れながら、二人のやり取りを盗み聞く。
「面倒だな。火事にしなけりゃよかった」
「後悔しても遅いだろう。証拠隠滅が条件だった。あれは間違っていなかったんだ」
「そうだといいがね」
二人は焼けた敷地に踏み込むと、さっそく物色を始めた。
黒い家具を蹴倒し、手で退けながら何かを探す。
「吸血鬼の骨があったんだ。他にも高価なお宝がありそうなものだが……」
「あるとしても燃えちまったさ。残念なことにな」
彼らは愚痴を洩らしながら作業を進める。
油断し切った姿は、家主である私を殺したと思い込んでいるからだろう。
或いは金目の物品を見つけるため、そちらに意識を割いているからか。
その後も男達は探索を繰り返していた。
木陰からでも、隙だらけの背中がしっかりと見える。
位置的に赤髪の青年の方が近かった。
(まだ私達の家を荒らすのか……)
狂おしいほどの殺気に襲われて、私は二人に歩み寄っていく。
不自然なほどに音が出ないのは吸血鬼の隠密能力だろう。
私は滑るように駆けた末、憤怒の表情で跳びかかる。
「そういえば、あいつの死体はどこに――」
偶然にも青年が振り返り、そして驚愕する。
反射的に向けられた散弾銃が、私の額に押し付けられた。
引き金にかかった指が動こうとしている。
「邪魔だ」
銃口を腕で押し退ける。
すぐさま銃口が火を噴くも、弾が当たることはない。
散弾は空を突き抜けていったろう。
私は銃口を掴んで引っ張ると、抵抗する青年を前のめりにさせた。
ここでも膂力の差が明暗を分けてくる。
少し強めに引くだけで、人間を凌駕する力が発揮された。
私は青年の顔面に拳を打ち込む。
武器がない現状、それが一番だと考えたのだ。
一歩だけ踏み込んで、腰を捻るようにして拳を振り抜いた。
鈍い破壊音が立ち、青年が冗談のように吹き飛ぶ。
傾いた柱に衝突してへし折ると、そのまま静かにずり落ちた。
青年の顔面は、縦に割れて陥没していた。
潰れた鼻から血がこぼれ出している。
たまにそれ以外の物体も混ざる。
おそらく頭部の内容物が噴き出しているのだろう。
青年の破れた唇は、奇妙な呼吸音を鳴らしていた。
せり出した目玉が潰れて、砕けた頭蓋が皮膚を破って飛び出している。
もう助からないのは明白であった。
(誰かを殴るなんて初めての経験だ。人だって殺したことがない」
随分と凄惨な結果を体験してしまった。
この怪力も吸血鬼化の産物らしい。
あらゆる面で人間の時より遥かに優れているのだった。
血に染まった手を眺めていると、いきなり銃声が聞こえた。
右肩に突き飛ばされたような衝撃を覚えて、私は思わずたたらを踏む。
肩が痛んで血が滲んでくる。
また服が汚れてしまった。
嫌だ。血は洗い落とすのが大変なのだ。
(撃たれたのに冷静だな)
自らの心理状態を不思議がりつつ、私は視線を前に向ける。
そこには古傷の男が立っていた。
歯を剥いた険しい表情だ。
構えられた散弾銃が硝煙をくゆらせている。
「てめぇ、生きてやがったのか!」
「蘇ったんだ」
男の言葉に応じながら、負傷した肩に触れる。
痛みはあるものの、どこか実感が薄い。
種類的には痺れに近いかもしれなかった。
吸血鬼は、人間とは痛覚の構造が異なるのか。
生憎と生態については知らない。
少なくともこの程度の傷では、痛みで思考を邪魔される心配がなさそうだった。
私は痛がりなので嬉しい特性である。
「クソ野郎がッ!」
男が吼えて散弾銃を発砲する。
私はあえて直進するように疾走した。
脇腹に散弾を浴びて、上体が傾いて転びそうになる。
しかし、ただそれだけだった。
致命傷を受けようと平然と行動することができる。
それこそ吸血鬼の不死性であった。
私は瞬く間に距離を詰めると、男の両肩を握って砕き割った。
十本の指が傷口に食い込み、その激痛を悪化させていく。
「ぎやああああああぁぁっ!?」
男が悲鳴を上げる。
この世の終わりかと思うほどの叫びだった。
私は男の肩を握り潰しながら引き倒すと、その背中を踏み付けた。
踵に力を込めれば、背骨の軋む音がする。
私は男の手から散弾銃を取り上げる。
弾が装填されていることを確認して、男の太腿に押し当てながら引き金を引いた。
空に銃声が響き渡る。
男が呻きながら涙を流す。
太腿が引き裂かれて出血していた。
男は全身を震わせながら耐える。
少し前に私を追い詰めた男は、情けない姿で死にかけていた。
(この程度なのか)
私は冷ややかに見下ろす。
散弾銃の狙いを男の後頭部に合わせようとして、腕を下ろした。
ここで命を奪うのは簡単だ。
しかし、それでは何の手がかりも無くなってしまう。
私の目的はあくまでもサラの遺骨の奪還だった。
この男には詳しい行方を尋ねなければ。