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第2話 錬金術師は復讐を誓う

 目を開けると、私は見知らぬ白い空間にいた。

 果てまで同じ光景が続いている。

 他に何も存在しない。

 白という名の虚無が延々と広がっている。


「何だここは」


 異様な光景に私は驚く。

 続けて自らの変化に気が付いた。


 全身の傷がなくなっている。

 撃たれた上に炎に包まれたというのに、それらの痕跡が嘘のように消えていた。

 死んでもおかしくないほどの負傷だった。

 気のせいだったとは到底思えない。


(もしや私は、既に死を迎えたのか?)


 ここは冥界のような場所なのかもしれない。

 それなら傷を負っていない身体にも納得できる。


 突拍子のない考えに浸っていると、前方に人影が現れた。

 ただし靄がかかったかのように曖昧で、細かな容姿が分からない。


(先ほどまではいなかったはずだ)


 唐突に現れた人影は、静かにこちらへ歩み寄ってくる。

 曖昧だった容姿は、距離が縮まるにつれてはっきりと認識できるようになった。


 夜空のような色の髪に紅い瞳。

 ゆったりとしたブラウスにスカート姿だった。


「あ、あああ……」


 私は呆然と呻く。

 耐え難い感情が押し寄せて、視界を涙で滲ませた。

 目の前のありえない光景に思考が止まりかける。


 間違いない。

 こちらに歩いてくるのは、最愛の妻であるサラであった。


 そうなると、やはりここは冥界らしい。

 撃たれて焼け死んだ私は、先立った妻と再会したというわけだ。


 状況を理解した私はサラに謝る。


「すまない。こんなにも早くに死ぬつもりはなかったのだが」


「ライリー、あなたは勘違いをしているわ」


 サラは少し怒った顔をして言う。

 記憶にある声と同じだった。

 それを再び聞けた幸福を噛み締めようとするも、彼女の反応が気にかかる。


 どうやら私の謝罪が不満だったらしい。

 肝心の理由については分からない。


「勘違いだって?」


「ええ。だってあなたは死んでいませんもの」


 サラは私の胸を撫でながら述べた。

 それにどう返すか迷っている間に、彼女は話の続きを口にする。


「わたしはただの残留思念。死の間際、あなたの身体に送り込んでいたのです。ただ、長持ちしないので手短に話しましょう」


「ざ、残留思念……」


 私は戸惑いがちに復唱する。

 突然の話に頭が追いついていなかった。


 サラは構わず本題を述べていく。


「あなたが人間としての死を迎えて、吸血鬼の因子が目覚めた時、わたしが発動するように仕込まれていました」


「吸血鬼の因子? 君は一体何を言っているんだ」


 私は遮るようにして問いただす。

 予想外の内容ばかりが連続して、もうわけが分からなかったのだ。


 伏し目がちとなったサラは、苦しげな口調で告白する。


「状況は見ていました。吸血鬼の骨を求めた強盗の手で、あなたは命を落としてしまった。いつかこうなることを恐れて、わたしは密かに因子を紛れさせていたのです」


「サラ……」


「黙っていてごめんなさい。本当は吸血鬼にしない方がいい。だけど、あなたが心配だったの」


 彼女は私に両手を握って呟く。

 その姿に偽りはない。

 真実だけを懸命に伝えようとしているのは見て取れた。

 ならばそれを信じるのが私の務めだろう。


「――これが、生涯で唯一の裏切り。そして最期の贈り物ね」


 サラはうわずった声で言う。

 涙を堪えているのは明らかであった。


「あなたは間もなく生き返る。奴らはあなたが死んだと思っているから、追われることはないはずよ。あなたを裏切った吸血鬼なんて忘れて、遠く離れた地へ逃げるの。そうすれば平和な暮らしに戻れるわ」


「待ってくれ。私は君と一緒に……」


「ライリー。これでお別れなの。とても寂しいけど、仕方ないわ」


 サラの手が優しく私を突き離す。

 同時に私の身体が崩れ始めた。

 光の粒子となって端から形を失っていく。


「こんなわたしを愛してくれてありがとう。元気でね。あなたの幸運を祈っているわ――」


 サラは泣きそうな笑顔で私に告げる。

 私は言葉を返そうとしたが、声が出なかった。

 既に喉元まで光の粒子と化している。

 そのまま私は、精神世界らしき場所から消滅したのであった。




 ◆




「サラっ!」


 叫びながら手を伸ばす。

 目覚めた僕は、地面に横たわっていた。


 曇り空から雨が降ってくる。

 全身がぐっしょりと濡れて不快だった。

 目にも入ってくる雨粒を鬱陶しく思いつつ、私は上体を起こす。


「…………」


 手足に痺れを感じる。

 全身は血だらけだが、不思議と痛みはなかった。

 胸を撃たれたり、全身を炎に焼かれたというのに。


(傷が、塞がっている)


 おそらくは吸血鬼になったからだろう。

 サラが密かに仕込んでいた因子のおかげで蘇生し、種族的な再生力で治癒したに違いない。


 肉体の変容に驚きつつ、恐る恐る立ち上がる。

 私は焼け落ちた家の中にいた。

 雨が消火されているが、ほとんど何も残っていない。

 どこもかしこも黒焦げである。


 男達の姿はない。

 サラの遺骨を手に入れて立ち去ったのだろう。

 この有様を見るに、証拠隠滅にも成功している。


「何もかもが、燃えてしまったな」


 涙は出ない。

 燻る感情を抑えて、私は残骸と化した家の中を漁る。

 床下から僅かばかりの財産が出てきた。

 それとサラから貰ったネックレスを見つける。

 指輪を通したネックレスだ。


 あれだけの炎の中で壊れなかったらしい。

 他は残らず黒焦げになっているのだから、本当に偶然だった。

 何かの縁を感じざるを得ない。


 ネックレスと財産を持った私は家屋跡を出る。

 近くの樹木にもたれかかって座り込んだ。

 そして大きく息を吐く。


「あの遺骨を……サラを取り返さなければ」


 平穏な日常を壊して、最も大切な物を奪った男達には報いを与える。

 私の中でどす黒い衝動が渦巻きながら膨れ上がっていた。

 これは、おそらく憎悪と殺意だろう。

 絶対にやり遂げてみせると心が決めている。


 きっとこれは、サラの考えに反することになる。

 彼女は私に静かな日常の再開を望んでいた。


 しかし、どうにも我慢できないのだ。

 彼女の遺骨を奪われたまま、元の生活を始めることなどできない。

 何が何でも取り返す必要があった。


 彼女は、私を無断で吸血鬼にしたことを裏切りと称した。

 それならば、これこそが妻に対する私の生涯唯一の裏切りだろう。


 私はサラの願いを無視して進む。

 与えられた第二の人生を、血に染めようとしている。

 後悔はなく、憎悪と共に加熱された思考は雨で冷やされていく。


 ――この日、私は妻の遺骨の奪還と復讐を誓ったのであった。

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