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第1話 錬金術師は思い出を蹂躙される

 沸騰を示す泡が発生した瞬間、私はガラス瓶を熱する火を止めた。

 ある程度まで冷めるのを待ってから、瓶を視線の高さまで持ち上げる。


 軽く左右に振ると、中身の液体が揺れた。

 澄み切った琥珀色の液体である。


 十分な出来だった。

 確認を終えた私は微笑む。


「よし、できた」


 完成したポーションにコルクで栓をして、そばの棚に入れた。

 棚には他にも同じようなものが並んでいる。


 それらは私が使うものではない。

 数が揃ったら売りにいくための商品である。


 作業を終えた私は窓際の机に向かった。

 そこには、指輪を通したネックレスが飾ってある。


 亡き妻から貰ったものだ。

 それを眺めるのが私の日課であった。


「サラ……」


 最愛の妻であるサラが病死してから二年。

 私は、彼女との思い出の家で暮らしていていた。


 森の中で一人きりだと、寂しさを感じる時もある。

 しかし、ここから引っ越そうとは思わなかった。

 私は、まだ長いであろう余生をこの地で終えるつもりだった。


 錬金術師としての技能があるため、山の植物からポーションを調合できる。

 それを売った金で日用品を買って暮らせば、とりあえず困ることはない。


 決して裕福ではないものの、私は満足していた。

 サラとの思い出に浸りながら、静かな暮らしを送るのだから。


 彼女と出会ったのは十年以上も前だ。

 吸血鬼であるサラは、森で行き倒れていた。

 偶然にも通りがかった私が保護したのがきっかけで、そこからの仲である。


 吸血鬼とは、人間とは比較にならないほど長命だ。

 私が先に死ぬものとばかり思っていた。

 当時は抱えきれないほどの喪失間を覚えたものだが、二年の月日を経てようやく受け入れることができた。


 私は生きている。

 故に前へ進まねばならない。

 いつまでも私が悲しむのは、サラも本望ではないだろう。


 調合道具を整理していると、家の外で物音がした。

 不審に思った私は手を止める。


(何だ……?)


 家の付近には魔物避けの薬を撒いている。

 滅多なことでは近付いてこないはずだった。

 かと言って、人間が訪れるような場所でもない。


 私はなんとなく胸騒ぎを覚える。

 直後、銃声が轟いた。


「なっ!?」


 驚愕した私は、自宅の玄関へと急ぐ。

 施錠した扉は粉砕されて、数人の男が踏み込んでくるところだった。


 彼らは黒衣に身を包んでおり、頭巾のせいで人相が分からない。

 さらには揃って散弾銃を携えていた。

 全員がどこか剣呑な雰囲気を纏っている。


「お前達は、誰だ」


 問いかける途中、先頭の男と目が合う。

 銃口がこちらを向いて、火を噴いた。


「が、ぁ……ッ」


 胸部に強い衝撃が走る。

 私は壁に頭をぶつけながら倒れた。

 撃たれたのだと理解すると、遅れて猛烈な痛みと熱さが襲いかかってくる。


「ぁく、はぁ……っ」


 呼吸するのが苦しい。

 足先が寒くなってきた。

 手足が痺れて、なぜか笑いそうになる。

 しかし泣きそうなほどに痛い。


 死が迫るのをひしひしと感じた。

 出血が服を濡らしているのが分かる。

 視界は霞んで、酷い耳鳴りだけが反響していた。


(何が起こっているんだ?)


 私はなんとか頭だけを起こす。

 室内に侵入した男達は、あちこちを物色していた。


「そっちにあったか?」


「ただのガラクタばかりだ! 本当に情報は正しいのかよ!」


「知るか。依頼失敗で殺されたくなけりゃ、絶対に見つけるぞ」


 何か言い合っているようだが、上手く聞き取れない。

 出血で意識が混濁しているせいだろうか。

 撃たれたことで頭が混乱しているのもありそうだ。


(なぜこんなことになった)


 瀕死の私は、湧いた疑問になけなしの思考を割く。

 動けなくなっている以上、それしかできないのである。


 黒衣の男達は強盗だろうか。

 ここに金目のものはないし、わざわざやって来るほどの場所でもない。

 どうにも奇妙な話であった。


(なんとか出て行ってもらわねば……)


 私は立ち上がろうとする。

 しかし、腰を上げようとしたところで滑って転んだ。

 自分の血に足を取られたのである。

 手足に上手く力が入らず、平衡感覚も狂っているようだった。


 何度か立とうとしていると、誰かが近付いてくる気配がした。

 直後、鼻面に強い衝撃を受けて転倒する。


「う、ぐぁ……っ」


 息が詰まって、目の前が真っ白になる。

 どうやら殴られたらしい。


 意識が飛びそうになった私は、唇を噛んでそれを阻止する。

 それ以上に撃たれた胸が痛いので不要だったかもしれないが。


(鼻の骨は、折れていそうだな)


 血も流れ出しているし、吐き気も酷い。

 口で呼吸する私は、なんとか気を失わないようにした。


 この家を、誰かも分からない他人に荒らされたくない。

 もはや執念に等しい感情であった。


 視界の端に、誰かの片脚が映る。

 視線をずらすと、それが男達の一人であることを知った。

 右の拳に血が付着している。


 その男は、素顔が露わになっていた。

 右頬に二筋の古傷が刻まれている。

 おそらく魔物の爪で切り裂かれたのだろう。


「…………」


 私の片手が、頭巾を握っていた。

 殴られた瞬間、反射的に相手の顔を暴いたらしい。


「糞が。死にぞこないが余計な真似をするな」


 舌打ちした男は、私の手から頭巾をひったくって再び顔を隠した。


 私はそれを眺めることしかできなかった。

 もう抵抗する力が残されていないのだ。

 身体はとっくに動かず、芯から冷え切っている。

 まるで命の灯が消え去ったかのようだった。


(当然だろう。胸部を撃たれたんだ)


 傷は確かめられないが、きっと致命傷に違いない。

 即死でなかったのが幸いだった。


(いや、幸いなのか……?)


 もうよく分からない。

 思考すらまともに働いていない気がした。

 私を殴った男が立ち去るのを見つつ、咳き込んで吐血する。


「おい! これじゃないかっ?」


「きっとそうだ! でかした!」


「これで大儲けか! はは、随分と楽な仕事だなっ!」


 男達の歓声が微かに聞こえてきた。

 私は残る力を振り絞って、玄関を出ようとする男達を観察する。


 男達の一人が、白い結晶を持っていた。

 手のひらに載るほどの大きさである。

 それは、妻の遺骨だった。


(なるほどな。冷酷な奴らだ……)


 ここで私は男達の目的を理解した。

 彼らは吸血鬼の骨が目当てだったのだ。


 吸血鬼の骨は、貴重な魔術触媒となる。

 他にも様々な活用法があるらしい。


 この家に金目のものはないと思っていたが、唯一の例外であった。

 確かに吸血鬼の骨は破格の価値を有している。


「待、て……」


 彼らの目的を知った私は、ゆっくりと、なんとか、立ち上がる。

 自らの血で滑りつつも、机を掴みながら姿勢を維持した。


 あれだけは絶対に奪われてはいけない。

 全身が痛いし、涙も出てくる。

 それでも諦めるという選択肢は存在しなかった。


「黙れ。さっさと死ねよ」


 返ってきたのは、無慈悲な罵倒と弾丸の雨だった。


 それらを浴びた私は、よろめいて棚に衝突する。

 ポーションが倒れて割れる音を聞きながら転倒した。


 傾いた視界は、半分が赤く染まる。

 片目に血が入ってきたのだ。


 しかし、それを拭う余力もない。

 指先一つとして動かせないのだった。


「う……くっ……ああ」


 倒れた私は、出血する感覚を味わいながら自宅の床を見つめ続ける。

 どうしようもなく無力な己を、これでもかと言うほどに意識していた。


 やがて瞳に映る光景に炎が混ざり始めた。

 真っ赤な炎はだんだんと自宅を侵蝕し、何もかもを包み込んでいく。


 男達が放火したのだ。

 おそらくは悪事の証拠を隠滅するためだろう。

 妻の遺骨を盗むだけでは気が済まなかったらしい。


 広がり続ける炎は、ついに私も魔の手を寄せてくる。

 感覚の鈍い足元から這い上がるように蝕まれる。


「ウグアアアァァァ……」


 気が狂いそうなほどに熱い。

 為す術もなく焼かれながらも、私は動けなかった。

 苦悶することしか許されず、思い出の家が死ぬ様を見せつけられた。


「く、そ……」


 どうして私がこのような目に遭うのか。

 妻の思い出と共にただ平穏に暮らしたかっただけなのに。

 ひっそりと生きていくことも駄目なのか。


(サラ、私は……)


 目の端から一筋の涙がこぼれ落ちる。

 そこで私の意識は消失した。

 視界が闇に染まり、何も感じられなくなった。

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