ヒロインの髪がピンクだなんて知らなかった
わたしは、サヤという名のパン屋で働く庶民で、毎日下働きに精を出す十七歳の町娘である。
わたしには、最近悩みがある。
給金を上げるから看板娘として店に出ないかと奥様に言われたのだ。給金が上がるのはありがたい。貧乏な家には小さな弟と妹がいて、両親とわたしと弟妹は毎日食べていくだけでもやっとだから。
けれども……
「君ってもしかして貴族様の落とし胤なんじゃない?」
「君、ヒロインみたいで可愛いね! いくつ? 俺とお茶しない?」
「君はそんな見た目で男でも誑かしてるのか?」
ここ最近、そんな事を言って近付いてくる男性が増えている。看板娘になったら、あの舐めるような視線に毎日晒されるのかと思うと怖くて仕方がない。声を掛けてくる人がわたしの髪を見ていると気付いてから、父のボロボロになったフード付きのマントを着てパン屋に通うようになったぐらいなのに。
十二歳の頃から雇ってくれているパン屋のご主人がとても優しいかたで、本当に運が良かった。勤め先の店主に手を付けられ、泣き寝入りした話はよく聞くから。
わたしはご主人からそういう目で見られたことはないし、一人娘の十歳のカナエちゃんと一緒に可愛がってもらっているぐらいだ。
今日もご主人はカナエちゃんとわたしに試作品のメロンパンをくれた。メロンパンは、前世持ちと呼ばれる、この世界ではない場所で生きた記憶を持つ人が出した本に載っているらしい。ご主人は時々その本を借りてきては新作を作っている。
カナエちゃんは頬を膨らませてメロンパンを食べていた。わたしも一口ちぎって食べた後、残りはハンカチに包んで草臥れた鞄にしまった。こういう贅沢なパンを買う余裕は無いので、ご主人の新作を貰った時はいつも残りを持って帰っている。本当は全て持ち帰り、弟妹に全部食べさせたいのだけれど、パンの感想を聞かれるので一口だけ食べる。
その一口だけでも、メロンパンがとても美味しいことはわかった。上のモコモコした部分はとても甘くて少しカリカリしてて、中のパンはフワフワで、食べると幸せになれた。
正直にそう伝えたら、ご主人は目のシワを深めて笑ってくれた。カナエちゃんは、甘かった!とだけ言って、迎えに来たお友達と遊びに行ってしまった。
その後、買い出しから帰って来た奥様に看板娘の返事を聞かれた。身を縮ませながら断ると、奥様の機嫌が悪くなってしまった。
「なんでだい? ピンク髪なんだし、看板娘でもやってくれればウチの評判も上がるんだけどね!」
試作品を食べていたテーブルをチラリと横目で見て、ますます眉間のシワを深める。
「何年雇ってると思ってるのかね。給金だってそこらの店よりよっぽど払ってるって言うのに」
今度はご主人のほうを睨んでいる。わたしの給金が下働きの割りに高いのも、試作品をもらえるのも全てご主人の恩情で、奥様は以前からそれが気に入らないようだった。申し訳ないと思いつつも、それに縋るしかないわたしは浅ましいのだろう。
「あたしは何も店のためだけに言ってるんじゃないよ? サヤもそろそろ誰かに見初められて結婚した方がいいだろうと思って言ってんのさ。貧乏な娘が出世できるチャンスだよ? 大店は教養無しのサヤじゃ無理だろうけど、多少金のある男を捕まえられればご両親も助かるだろう?」
奥様は胸の前で腕を組んでそう言った。わたしが助けを求めるようにご主人の方を見ると、そっと目を逸らされた。
奥様には逆らえないのだ。
「よろしくお願いします……」
消え入りそうな声で言うと、奥様は『最初から素直にそう言ってればいいんだよ』と更に機嫌を悪くしてしまった。
ピンク色の髪がなんだというのだろう。
確かにあまり見ない色だけれど、お貴族様にはもっと綺麗な髪の人がたくさんいると聞く。わたしの髪はピンク色なだけで手入れなどしたことがないのでパサついている。洗うのも一週間に一度だ。
憂鬱な気持ちのまま家に帰ると、弟妹が嬉しそうに抱きついてきた。わたしと違って、普通の茶色い髪だ。父はくすんだグレーで、母は茶色の髪で、どうしてわたしだけピンク色なのだろう。
泣きそうになりながら鞄から出したメロンパンを弟妹に渡す。二人は飛び跳ねて喜び、お姉ちゃん大好きと言いながら頬にキスをしてくれた。可愛い。
「お姉ちゃん疲れてるの? 大丈夫?」
しっかり者の妹のルルが心配そうに聞いてくる。
「大丈夫よ、少しお客様が多くて小麦粉をたくさん運んだから疲れてるように見えるだけよ」
「おねえちゃんすごいね!」
メロンパンをモグモグしながら弟のロンが言った。食べながら喋ったのでパンが口の周りに飛び散ってしまった。それを布巾で拭ってやりながら、明日からどうしようとそればかり考えていた。
次の日、家にあった布巾の中で一番綺麗なものを選び、三角に折って頭に乗せて端を首の後ろで結んだ。髪は三つ編みにして、少しでも目立たないようにした。それを見た奥様に小言を言われたけれど、髪が落ちると大変なので、と言い訳をした。この時ばかりはご主人が『パンに髪が落ちるのは困るな』と言って庇ってくれた。奥様の視線は痛かったがありがたかった。
「ねぇ君、可愛いね、いくつ? 名前は?」
髪を三つ編みにして布で覆ったことにより目立たなくはなったが、毛先の色をみて声をかけてくる人は多かった。失礼にならない程度に返事をしてなんとかやり過ごした。
そんな日が続いたせいで精神的に疲れたが、売り上げは順調に伸びたので奥様の機嫌が良くなった。今日は初めての休憩と、売れ残りのクロワッサンを貰った。クロワッサンは、バターをたくさん使うとても贅沢なパンで、わたしは一度も食べたことがなかった。
全て弟妹に持って帰ろうと思っていたが、焼ける時のバターの香りを思い出してしまい誘惑に負けた。慎重に一口サイズに切って、残りはハンカチに包む。初めて食べたクロワッサンはサクサクしてて、ほんのり甘くて凄くいい香りがした。
その美味しさを噛みしめていたら帰宅したカナエちゃんがやって来た。本を持って、見たこともない怖い顔でわたしを睨んでいる。クロワッサンを食べていたことに腹を立てたのだろうか?クロワッサンはカナエちゃんの好物だ。
「泥棒猫!」
「えっ!?」
突然向けられた悪意に戸惑う。
「ヒロインは、リリアちゃんのお姉ちゃんのマリアちゃんなんだからね!」
「どういうこと?」
「知らないの? これだからサヤは駄目なのよ。お母さんもよく言ってるわ! サヤは泥棒猫って! 髪がピンクだからって調子にのらないで! ピンク髪のヒロインのマリアちゃんは、とーーーーっても可愛いんだから。あんたなんか目じゃないんだから!」
どうして髪がピンクなだけでこんな思いをするのだろう……
カナエちゃんが怒っている意味もわからず、奥様にも嫌われていることがハッキリしてしまい、心が折れそうだった。弟妹の笑った顔を思い出す事でなんとか涙をこらえた。
「婚約破棄小説も知らないなんて、ほんとダメね。調子にのって看板娘までやって! 看板娘はわたしなのに!」
カナエちゃんは本をわたしに投げつけた。
王子様と寄り添うピンク色の髪の美少女が描かれた本の表紙が見えた。わたしは字が読めないし、読めても本を買うお金はない。庶民の中でも、一番貧しい区画に住んでいるわたしが本の内容など知るわけがない。
「それを見て、お母さんがサヤは使えるって言ってたけど、ちょっと売り上げが伸びただけじゃない! ばっかみたい! あんたみたいなブス、どっか行っちゃえばいいのよ!」
一方的に投げつけられた悪意は暴力だ。心が拒否するのか言葉は通り過ぎたが、カナエちゃんの歪んだ顔が怖くて身体が震えた。ここから追い出されたらお金が稼げなくなってしまう。読み書きのできないわたしを雇ってくれる店は少ない。
「お母さんには、サヤは仕事が嫌で逃げたって言っておくから今すぐ出てって!」
カナエちゃんはそう言うと、物置に置いてあったわたしの鞄とマントを投げつけた。古い布なのに顔に当たるととても痛かった。
クロワッサンが潰れてないといいな…………
わたしはマントを羽織り、鞄を持つと言われるがまま逃げるようにパン屋から離れた。フードを深く被り、裏道を歩く。表通りは店が多く、明るい時間にそこを歩いて目立つのは嫌だった。パン屋と揉めて辞めさせられたと知られたら、ここ一帯の店では絶対に働けないだろう。
治安の悪い裏道は昼間だというのに薄暗かった。同じ区画に住む女性はみんなこの道を避ける。それだけ危険だからだ。わたしも普段は遠回りして避けている。突然仕事を失った恐怖で、この道の怖さは薄れていた。
明日からどうしよう…………
両親の稼ぎだけでは食費までは手が届かない。借りている部屋の家賃が高いのだ。下手したら一家で野宿になるかも知れない。嫌でも涙が溢れた。
髪の色で仕事を失うなんて思わなかった。わたしだって、好きでピンク色の髪に生まれたわけじゃない。
その時、急に肩を後ろに引かれ、口元を手でおさえつけられた。何が起こったのか理解したころには裏道の脇の真っ暗な場所で地面に押し倒されていた。口元を布で覆った男の目がギラギラしている。
叩きつけられた背中が痛い。
「何がヒロインだ!! 俺が先に見つけたんだ!!」
男の声を聞いて、ぼんやりする頭でもそれが誰の声なのかわかった。
この道で叫んでも助けは来ない。
抵抗して刃物を出されたら、もっと痛い思いをしてしまう。
————どうか妊娠しませんように。
ただでさえお金がないのに孕んでしまえば稼げなくなってしまう……
「抵抗しないのか!! やっぱり誘ってたんだな!! マサエの言う通りだった!!」
奥様の名を叫んだご主人は、わたしの体をまさぐり始めた。
これが目的だったのか。
わたしは投げやりな気持ちになった。
貧困層の多くの女性がこういう被害にあっている。治安の悪い場所では多く起こるらしい。だから通る道には気を付けて、女性らしい服装は避けて暮らすようにと、隣の部屋に住むお爺さんが教えてくれていた。
ずっと守っていたのに。
たった一回この道を通っただけで。
「あちこちで男を誑かしやがって!!」
ご主人がわたしのスカートを捲りながら覆い被さって来た。
いよいよだと諦めて目を瞑ったところで、頭上から鈍い音がした。何があったのかわからず、恐怖に震えていると、しばらくして体の上にあった重みが消えた。
恐る恐る目を開ける。
グレーの瞳の男性が、わたしを心配そうに見ていた。
「私は騎士団に所属する者です。大丈夫ですか?」
優しい声で聞かれた。
震えながら頷くと、身体を起こすのを手伝ってくれた。捲れていたスカートを慌てて直す。
「貴女を騎士団で保護するよう指示されています。立てますか?」
片膝をついて、手を差し伸べてくれた。
ご主人は、騎士様に殴られて意識を飛ばしたらしい。他の騎士様が担いで連れて行った。
それを見送った後、わたしは恐る恐る頷いたのだった。
騎士団に着くと、女性の騎士様がわたしに怪我が無いかチェックしてくれた。その間、何度も本当に未遂か確認された。本当は襲われているのに仕事を失うのが怖くて言えない女性が多いのだと言う。
「本当に大丈夫です」
「そうですか、安心しました。この後、お話を聞くために殿方がいらっしゃいますが、お二人とも紳士ですし、私も同席しますので安心して下さい」
女性騎士様はそう言いながら、わたしの汚れた髪を拭いたあと櫛を通して整え、顔の汚れも優しく拭ってくれた。布が温かくてとても気持ちよかった。
そうしている内に、黒髪と茶髪の男性が室内に入ってきた。
「こんにちは、レディ。僕はアルフ、こっちはリアム。お名前をお聞きしても?」
茶色の癖の強い髪の男性はそう言って小首をかしげた。キラキラしていて、とても綺麗な人だ。
「サヤです」
「サヤちゃんね。レディに年齢を聞くなんて失礼なんだけど教えてくれる?」
「十七歳です」
わたしの年齢に、アルフさんはちょっと驚いた顔をしていた。栄養が行き届いていない体は細く、背も小さいので十七歳に見えなかったのだと思う。
「君のことを救いたいから教えて欲しいんだ。捕らえた店主は君に誘惑されたと言い張っててね」
「アルフ!!」
アルフさんの言葉を、黒髪のリアムさんが止めた。わたしは自分に何が起きたのか知らなくてはいけないと思ったし、ここでは今日あったことを話すべきだとも思った。
女性騎士様が出してくれた紅茶を一口飲んでから答えた。
「あの……大丈夫です。騎士様に助けて頂かなければ今頃……なので、本当に感謝しています。あの、わたし、誘惑なんてしてません!」
「うん、そうだよね。ただの確認だから。誘惑なんて店主の戯言で、最初からその気で雇ったって調査済みだから安心してね」
わたしはホっとして頷いた。
アルフさんはそれから、ピンク色の髪のことを教えてくれた。
「ちょっと困った小説が流行っちゃってね。婚約破棄小説は知ってる?」
「そのことでパン屋のお嬢さんに叱られました……わたしは字が読めないので本の内容は知らないのですが、表紙にピンク色の髪の綺麗な女の子と、王子様が描いてあるのは見ました」
アルフさんはうんうん、と頷く。
「その小説は、前世持ちの人が書いたものなんだけど、ピンク色の髪の女性が王子様やその側近と恋仲になって幸せになるっていう内容なんだけどね。それに感化されたピンク色の髪の女の子が自分のことをヒロインだと思って、本当に王子様に近付いちゃったの。ヒロインってわかるかな?」
「なんとなくわかります……」
「うん、なんとなくでいいよ。それでね、困ったことに王子様と本当に恋仲になれたと勘違いして、ちょーっと度が過ぎた言動が増えて見過ごせなくなってね。本当は退学なんだけど、王子様が女性に酷いことはしないでって言うから休学にしたのね。それなのに、その子を養子に迎えていた男爵が王子様を陥落できない女なんか要らないとか言い出して、養子縁組を破棄して実家に戻しちゃったんだよね。それで結局、学費が払えなくなって退学になっちゃってね」
わたしには少し難しくてわからなかったけれど頷いた。
「マリアって子なんだけど、知ってる?」
「あっ、リリアちゃんのお姉ちゃんですか?」
「そうそう、パン屋の娘に聞いたかな?」
わたしは頷いた。
アルフさんは、女性騎士様にお願いしてクッキーも出してくれた。
食べながら聞いてと言われて素直に口に入れる。初めて食べるクッキーは、とてもホッとする優しい味がした。
「実家に戻されてから、マリアはヒロインは自分だって毎日叫んでいるらしくて、気が触れたっていうのかな、それを見た妹が最近ピンク色の髪で可愛い看板娘がいるっていうパン屋のことを思い出して、パン屋の娘に言ったらしいんだよね。ヒロインはお姉ちゃんなんだから出しゃばるなって」
子供って怖いよねぇ、とのんびりとした口調でアルフさんが言った。
リリアちゃんの家は庶民とはいえ、とても大きな商家なのでカナエちゃんからするとかなり辛い状況だったのかも知れない。
「まぁ、これがパン屋で起きたことの真相なんだけど、ここまでは大丈夫?」
「はい」
「了解。それでね、婚約破棄小説だけでも困ってたのに、今度は凌辱小説なんてものが出てきちゃってね」
わたしの背に嫌な汗が伝った。
貧困層に住んでいたら、そういう言葉は嫌でも知ってしまう。
「中身は一見、婚約破棄小説なんだけど、ピンク色の髪のヒロインが王子様や側近たちに凌辱されるっていう話でね」
「アルフ、少しはボカせ!」
「え、ボカしようがないじゃん」
「言い方!」
「横暴だなぁ、もう。それでねぇ、そのシーンの描写があまりにもリアルなせいで、読んだ人が下半身拗らせてピンク色の髪の女性に欲情しちゃうみたいなんだよね」
わたしが唖然としていたら、アルフさんは『それで襲われちゃ敵わないよねぇ〜、娯楽が少なすぎるのかなぁ~』と呟いた。リアムさんは頭を抱えていた。
「凌辱小説は、まだ市井でしか流行ってないんだけど、僕たちは上の方々から頼まれて、小説の影響を調査していたのね。で、その調査中に君のことが浮上してきて、これは危ないかもと思って騎士団に見張らせてたんだよね。間に合ってよかったよ」
アルフさんはそう言って、紅茶のおかわりどうぞ、と新しい物を用意してくれた。
キラキラしてる上に優しくて、こんな素敵な紳士もいるのだなぁと感心した。
「それで、だ。サヤちゃん、僕に保護されてくれる?」
「はい???」
次の日、わたしたち家族全員は、グラント公爵家の家族用の使用人部屋にいた。使用人部屋とはいえ、今まで住んでいた部屋の三倍はある。三部屋もある上に、とても清潔で明るい部屋だ。
アルフさんが、アルフレッド・グラントという名の公爵令息だと知ったのは、屋敷に連れて来られてからだった。
わたしは、グラント公爵家でメイドとして働かせてもらえることになり、弟妹と一緒に読み書きなどの勉強も教えてもらえることになった。とても嬉しい。
父は馬屋番を、母はキッチンの下働きをさせてもらっている。本当にありがたいことだ。感謝してもしきれない。
パン屋のご主人は未遂ということで一週間ほど騎士団に留め置かれ、反省させ、再犯させないようキツイお仕置きをされたとか。軽い刑罰でごめんね、粘ったけれどこれ以上は無理だったとアルフレッド様に謝られた。結果はどうあれ、パン屋で働かせてもらえなかったらご飯が食べられなかったのでいいです、と言ったらアルフレッド様が哀しそうな顔をした。
事件から三週間が経ち、グラント公爵家の雰囲気にもようやく慣れてきた。最初は全てが豪華過ぎて緊張してしまい、邸内を歩くだけでも汗がとまらなくて困ってしまった。慣れるしかないと先輩たちに励まされて耐えたが、仕事が終わると毎日気絶するように眠った。
そんな最初のころを懐かしみながら、掃除場所へ向かう。廊下の角を曲がったところで、今日も笑顔の美しいアルフレッド様に会った。
「サヤちゃん! だいぶ顔色いいね!」
「ありがとうございます。アルフレッド様のおかげです」
「やだなー、アルフでいいのに」
「恐れ多いことです」
「まぁいっか、爺に怒られても困るしね?」
アルフレッド様は片目をパチンと閉じた。その仕草に思わず頬を熱くしてしまった。
ちなみに、アルフレッド様の言う爺とは、家令のローレン様のことで、屋敷内のことを全て把握していらっしゃる、威厳のある老紳士である。わたしにとっては雲の上の方だ。
「ふふ、可愛い。おっと、浮気じゃないからね、違うからね」
アルフレッド様は素敵な美男子なのに、ちょっとだけ、ひとり言が多い。
「君にお知らせが二つほど」
「はい、なんでございましょう」
「君、ジテニラ王国の血筋かも」
「えっ!?」
「あと、従兄が君の健気さと可愛さに惚れてしまったみたい」
「えええっっ!!??」
「血筋のことより、従兄のほうが気になるの? ふーん。マクスウェルには朗報だね」
「えええ!?」
頭が混乱する。ジテニラ王国??
アルフレッド様の従兄のマクスウェル様は、綺麗なグレーの瞳の、わたしを救って下さった騎士様だ。
「公爵家の使用人に迎えるにあたって調べてわかったことだから、事実確認のためにご両親に聞いたんだけどね。悪いようにはしない、ただの確認だって言っても君のこと本当の娘だって何度も言ってたよ。素敵なご両親だね」
思わず溢れそうになった涙を必死で堪えた。
アルフレッド様の話が本当なら、両親は捨てられていたわたしを拾い、分け隔てなく育ててくれたことになる。
顔立ちが似ていない上に、髪色もわたしだけピンクだったから、心の底では感じていたことだった。それでもなお、二人の子どもでありたい気持ちが強く、あまり考えないようにしていたのだけれど。
読み書きのできない両親は貧乏で、わたしを育てる余裕などなかったはずなのに。
「ピンク色の髪は西の隣国のジテニラ王国に多くてね。うちの国とはいざこざが絶えなかったんだけど、辺境付近ではジテニラ王国の人と恋に落ちる女性もいてね、出産したもののジテニラ色ともいえるピンク色の髪に困って捨ててしまうってことが時折あるんだよね。その線で探ってたんだけど、その顔立ちとピンクに近い菫色の瞳がゼルマー辺境伯の血筋じゃないかと。直系ではなく傍系の可能性が高いんだけどね……どうする? もっと詳しく調べようか?」
「調べなくていいです。わたしは父と母の子です」
「うん、そう言うと思った」
アルフレッド様は、今まで見た中で一番綺麗な顔で笑った。
「あと、マクスウェルは本気だから、結構口説かれると思うけど頑張ってね?」
まさか!
これから習うと言っても、まだ文字も読めないような女にあんな立派な方が……と思っていた。
けれどもその後、本当に熱烈にマクスウェル様に口説かれ、最終的には頷いてしまった。
貴族様のお相手にはなれないと何度も断ったのだが、アルフレッド様の従兄とはいえ、継ぐ爵位もないただの騎士だと言われ押し切られた。
サファスレート王国の紳士は、普段とても真面目なのに、口説くとなると途端に熱烈になるらしい。真面目な人ほど真面目に熱烈だからちょっとビックリすると思うよと、アルフレッド様が仰っていた意味が今ならわかる。
桃色の天使とか桜貝の姫とか、ピンク色に良い思い出はなかったのにマクスウェル様に言われると、とても嬉しかった。こんなことを言われるのも今だけだから浮かれててもいいよね————と、呑気なことを思っていた過去のわたしに言いたい。
ずっと熱烈に愛を囁かれるから……!!
「あの、マクスウェル様」
「マックス、と」
「む、無理です」
「どうして? 愛しいコスモスの妖精に愛称で呼ばれたいと願うのは私の我儘?」
文字を読む練習になるからと言って連れてきてもらったカフェの、外テーブルの真ん中で堂々と口説かれている。
わたしの髪を一房手に取って、口付けるの止めてもらえませんか!!
皆様の視線が刺さります!!
「も、文字を読む練習を……あの、メニューを見せてください」
「うん、マックスって呼んでくれたらね」
マクスウェル様は、アルフレッド様に似た優しい顔でほほ笑んでいる。騎士様を、恋人になったとはいえ庶民のわたしが愛称で呼ぶのは恐れ多い。
初めて会った時、暗い場所だったので気付かなかったけれど、マクスウェル様は銀に近い綺麗なグレーの髪の美男子だ。周りの女性が皆、頬を染めて見ている。
「マ……、マックス様」
「ありがとう、サヤ。これがメニューだよ。食べたい物、全部食べていいからね?」
「全部は無理ですが、あの……とても……厚かましいのですが」
わたしだけ美味しいものを食べるのは、とても気が引ける。
お姉ちゃん何時に帰ってくるの?と二人揃ってわたしを見上げた可愛い顔が浮かぶ。二人が時計を読めるようになったのも嬉しい。一時にお迎えに来てもらうから、五時ごろには帰って来るよ、と伝えたときは、ルルは「三時間だね!」と言っていたので、まだまだ勉強は足りないようだけれど。ロンはまだ時計を読むので精一杯だ。
「ルルとロンにもケーキを買って帰ろうね?」
「あ、ありがとうございます!!」
マクスウェル様、大好き!!
「いま私のこと大好きって思った?」
「はいっ! えっ!! どうして?」
「うーん。どうしてかな? アルフの従兄だからかな?」
「??」
「わからなくていいよ、メニューに読めない文字ある? ここが飲み物でここがケーキ。どれも美味しいって評判だから何を頼んでも大丈夫だよ……って、どうしたの? どこか痛い? お腹かな!? お腹痛い!?」
わたしは首を振った。
どうしてだろう、涙が止まらない。
「わからないです、なんだか胸がいっぱいになってしまって」
そう言ったら、立ち上がって傍に来てくれたマクスウェル様に抱きしめられた。
そのままグズグズと泣いていたら周りから拍手の音が聞こえだして、さすがのマクスウェル様も照れていて、とても可愛かった。