婿養子①
◇◇
石坂での戦が終わってから十日がたった。
「いかに道雪殿の御申出なれど、この件だけは固くお断り申しあげる」
これで何度目だろうか……。
紹運は道雪の頼みごとを冷たくはねのけている。
だが道雪は一度言い出せば頑としてきかぬ男であることを、紹運はよく知っていた。
このままでは埒が明かないとさとった紹運は、道雪に直接会って断ろうと立花山城を訪れたのだった。
正午過ぎ。城に入るなり紹運を驚かせたのは、誾千代の振る舞いだった。
腰に刀をさし、動きやすい袴姿で、侍女たちに槍、薙刀、鉄砲の稽古をつけていたのである。
「われらの使命は立花の家と城を守ることである! 父をはじめ、男たちが城を出ても、われらだけで立派につとめを果たせるよう、鍛錬に励むのだ!」
「はいっ!」
まさに道雪の生き写しかと見間違えるほどに、険しい表情で城内をまとめている誾千代に、紹運は声をかけることすらはばかられた。
たしかに殊勝な心掛けである。だが十三の少女が白い頬を赤くしながら、この世の終わりを思わせるような鬼気迫る顔で大声を張り上げる様子に、違和感というか、恐怖すら感じざるをえない。
そうして道雪の部屋に通されるなり、誾千代の母が袖で顔を隠しながら泣き始めたのである。
「誾千代は殿にとっても、わらわにとっても、大切な大切な一人娘。明日のことすら分からぬ乱世とはいえ、せめて人並みの幸せを、と願うのが親心というもの。しかし今のままでは、とうていかないませぬ。紹運殿、どうかお力添えくだされ」
紹運は何か言いたげに道雪へ目を移した。だがそれを制するように、道雪の方から口を開いた。
「誾千代の名は『謹んで人の言葉に耳を傾けるように』との願いをこめてつけたものじゃ。はたしてそのように育った。だが同時に一度決めたことは何があっても崩さぬ鉄の心をわしから継いでのう。わしが『立花を守る使命をはたせ』という言葉を真に受けすぎて、かようなことになってしまったのじゃ」
「でははじめから婿養子を迎えればよかったのではないか?」
「それができたら苦労せんわ。すべてはご隠居殿の差し金で、誾千代に立花を継がせるしかなかったのじゃ」
「ご隠居殿の差し金……」
紹運の顔が曇ったのは、隠居の宗麟と当主の義統による骨肉の内輪もめが脳裏をよぎったからだ。
宗麟が隠居したのは五年前のこと。だが隠居後も宗麟が政務、軍事の実権を握っており、当主の義統を飛び越えて諸将に命令を下していた。
宗麟はかつて名将とうたわれ、いわば大友家の象徴のような存在だったため、はじめはそれでよかった。
しかしいかに名将といえども老いには勝てぬ。彼の策は時代についていけず、過去の栄光が彼の視野を狭めた。次々と領地は減り、人は離れていった。さらに悪いことに宗麟は現状を打開するために宗教にたよった。すなわち側室の影響でキリスト教に深く帰依し、強引に布教を進めた。そのため、領民や家臣たちからの反発が大きくふくらんでいったのである。
それを義統が面白くないと思うのは当然だろう。
耳川の戦いで宗麟の威光が急激に薄れると、義統は待ってましたとばかりに父から実権を奪おうと乗り出す。父子の醜い争いは、家臣に対して「おまえはどちらの味方なのだ」と選択を迫るようになっていく。
重鎮中の重鎮である道雪もまた例外ではなかった。
もし宗麟の意向にそって立花の家督を譲ったならば、いらぬ波風が立ちかねない。
そのため、「道雪の意向」を示す必要があり、その唯一の選択が「我が子、誾千代に継がせること」だったのだ。
「家中の者を婿養子に迎えるわけにもいかず、かといって外から求めれば、ご隠居か殿のどちらかの息がかかっておる。今、わしが家中の争いに巻き込まれれば、筑前筑後の二国は確実に敵の手に落ちるであろう」
「つまり立花だけでなく大友を守るために、中立な立場である俺の子を婿養子に迎えたいと」
「無論それだけではない。統虎殿は稀代の名将となる器を持っておる。この目が黒いうちにかの者がどれほどの男になるのか、手元で見てみたいという欲がないと言えば嘘じゃ。頼む、どうかわしの一生の願いを聞いてくれ!」
道雪は深く頭を下げた。綺麗にそられた頭に、ごまのような髪がところどころに生えている。その色は白い。
紹運は「老けたな」と感じた。
もしこの機を失えば、道雪がこの世にあるうちに誾千代の夫は見つからないかもしれない。彼は「大友家のお家騒動」を名分にしたが、はたして本心はどうだろうか。
目に入れても痛くない一人娘にふさわしい相手を選び、彼女の晴れ姿を冥土の土産として目に焼き付けておきたいと願うのは、一人の父としては当然の願望だ。
大友家を守りたい、だが同時に娘を幸せにしてやりたい――。
なんて純粋な欲だろうか。
表裏のない道雪の思いが紹運の心を貫く。
道雪は自分が右も左も分からぬ頃からずっと戦場で助けてくれた。彼は恩を売ったつもりはないだろう。だがここでそれを返さねば、いつ返すのか。
必死に年下の自分に頭を下げている道雪を目の当たりにして、むげに断るなど畜生にも劣るものの所業ではないか。
紹運はとある決意を固めた。しかし理性とは裏腹に、言葉がひとりでに漏れた。
「あの子は小さい頃から体が大きく、強い子でなぁ。しかし自分の思い通りに事が進まんと、すぐ泣く。まるで赤子のように泣きじゃくるのだ……」
その声がわずかに震えている。道雪ははっとなって顔を上げた。
すると目に飛び込んできたのは、大粒の涙を流しながら必死に言葉を絞り出す紹運の姿だった――。
「真っすぐな男でなぁ。仲間のため、家族のためなら、周囲もかえりみずにすっ飛んでいく。だから危なっかしくて、でもそれが愛おしくてたまらんのだ。だから、だから……」
紹運は床に両手をつく。涙が畳に黒いしみを作った。
そして彼は深々と頭を下げたのだった。
「どうか統虎のこと、よろしくお頼み申す。俺の大事な子なのだ。頼む。頼む……。ううっ」
最後まで言い切った後、紹運はついに泣き崩れた。道雪もまた「すまぬ。ありがとう」と言いながら泣いた。
蝉しぐれが男泣きを隠すように降りしきる――。
紹運が立花山城を出たのは空がだいだい色に染まってからだった。




