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プロローグ

こんな状況だからこそ『心に潤い』をと願い、本作を公開いたします。

皆様の心に届けば幸いです。

どうぞよろしくお願いいたします。

 時は室町末期。戦国と言われた世。永禄(えいろく)十年、西暦にして一五六七年、八月十四日。


 豊かな緑に囲まれた筑前(ちくぜん)の山間。

 雄大な筑後川(ちくごがわ)の支流、小石原川(こいしわらがわ)にそって広がる平野は秋月(あきづき)と呼ばれ、『筑前の小京都』のあだ名の通りに、風光明媚な町として古くから栄えていた。

 整然とした街並みに似つかわしくない、見た目からして粗暴な男たちが槍や鉄砲を抱えてその地を踏んだ。


 その数、およそ二万。

 杏葉紋(きょうようもん)の旗印があちこちに見られることからして、大友の軍勢であるのは間違いない。


 秋月は大蔵春実(おおくらのはるざね)を祖とする秋月氏が古くから治める地だ。

 すなわち大友氏の軍勢が秋月領に攻め込んできたのは明らかであった。


 大友氏の軍勢のちょうど中ほどに、五十を過ぎた初老の男が輿の上に鎮座していた。

 腰には『雷切(らいきり)』と呼ばれる一振りを差し、屈強な男たちの中にあってもひと際目を引く圧倒的な雰囲気を醸し出しているこの男こそ、雷神と畏れられた稀代の名将、戸次道雪(べっきどうせつ)だ。


 鷹のような鋭い眼光。

 黒光りした若々しい肌。

 甲冑の上からでも分かる筋肉質のたくましい体。

 雷に打たれ足を悪くしたが、それすら箔に変えた道雪は、輿の上から大きな声をあげた。


「止まれ! ここらに陣を敷く!」


 山麓で一斉に動きはじめる大友兵たち。

 道雪は手棒で輿の淵をばしばしと叩きながら、厳しい口調で男たちに命令を飛ばしている。

 その命令に応えてあくせく働く男たちの中で、軽い足どりであちこちを行き来し、皆を励ます背の低い若者がいた。


 色黒な肌に白い歯が映える。

 快活な好青年を絵にかいたようなこの若武者は、吉弘鎮理(よしひろしげただ)という。

 後に高橋氏の名跡を継ぎ、高橋紹運(たかはしじょううん)と名を変えるが、こちらの方がよく知られている。

 後世の記述に『賢徳の相有りて、衆に異る。器量の仁にてましませば』とある通り、彼もまた智勇兼備の将として若い頃から名を馳せており、『風神』と呼ばれ、『雷神』道雪と並び立つ名将であった。


◇◇


 本陣の設置が終わり、幕の内に道雪が入ると、鎮理が後に続いてきた。

 彼はそばにある腰かけに腰を下ろすと、兜を脱ぎながら道雪に話しかけた。


「なあ、道雪殿、聞いておくれ。もし生まれてくる子が男だったら、名を『せんくままる』にしようと考えているのだが、いかがであろうか?」


「せんくままる? どのような字を書くのだ?」


「数字の『千』に、動物の『熊』そして『丸』は言わずとも分かるであろう」


「ほう。しかしお主の幼名は『千寿丸(せんじゅまる)』。長男にその名を与えないのは、どのような料簡なのだ?」


「それは『熊』のように強く、大きな男に育って欲しいと願ってのことだ」


 道雪はしげしげと鎮理を見た。

 しなやかで一切の無駄な肉のない体つきと、鋭く尖った大きな瞳は、とある動物を彷彿とさせる。彼はその名を口にした。


「そうか! お主は『猫』のようだからのう! 息子は『熊』のようになって欲しいか! ははは!」


 鎮理が頬を紅潮させ眉間にしわを寄せたが、何も言い返せなかったのは、まさに図星だったからだ。

 道雪はそんな彼をこよなく愛していた。

 この時の鎮理は未だ十九歳。一方の道雪は五十四になる。

 道雪には政千代という娘がいたが、数年前にこの世を去っていたし、息子はいない。だから自分を慕ってくれる紹運が、我が子のようにかわいくて仕方なかった。

 彼は紹運の不機嫌さを吹き飛ばすように大笑いした。


「ははは! 千熊丸! 良い名前じゃ! きっと父を超える大きな男になろう! ははは!」


 これより四半刻後には鬼道雪の異名にふさわしく、輿の上から三尺の刀を振り回して、戦場の鬼神と化するとはとうてい思えないほど、気持ちの良い笑い方に、鎮理もまたつられて笑みをこぼした。


「ああ、そうですな」


 そうつぶやいて空を見上げる。

 たゆむことなく流れる白い雲の向こう側に、彼は願いをかけた。



「男でも女でもよい。とにかく元気に生まれてくれれば、それだけでよいのだ」

 


 果たして彼の願いはこれより四日後の八月十八日にかなった。

 鎮理が秋月で激戦を繰り広げる最中、豊後国の筧という地で元気な男の子がこの世に生を受けた。


 彼は『千熊丸』と名付けられた。

 

 そして後に『立花宗茂(たちばなむねしげ)』と名を変え、西国無双とあだ名されるほどに稀有の勇将になるのだが、それはまだ先の話である――。


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