お約束
「「……バカな」」
“続いている”ことに気づいた彼女たちは、驚愕の眼差しを俺に向ける。
「な、なんで、どうして、続いてるんですか?」
「こ、この物語は最終話だったのに、なぜ終わらないの?」
「外側に――」
振り返った俺は、外側たちを見つめる。
「俺が、干渉した」
「「お約束と……誓約……!」」
ゲーム機の画面から、過去が顔を上げる。
なにもかもを諦めきっていた黒い空洞に、細かい罅が入っていき、動揺したかのように立ち上がる。立ち上がった勢いで、ゲーム機が手からこぼれ落ちた。
カツン、一瞬、瑕疵って再起動。
画面に映っていた『GAME OVER』が、『PROLOGUE』に書き換わる。
「有り得ない……お約束と誓約は……ボクたちには通用しない……」
「あぁ、そうだ。だから、『試した』」
俺は、つぶやく。
「希望は、最初から、そこに在った。
確かに反法則性によって、お前たちは保護されている。干渉できない。だが、この世界は違う。お前たちと同じように、存在の瑕疵である俺は、闇の魔法を通して、この世界自体を書き換えられる。
だから、俺は、まだ――主人公でいられる」
「お約束と誓約で、終焉までの流れを……敢えて、作り上げてみせたの……諦めきった演技をして、わたしたちをも誘導した……そして、仮設を実証した」
「だ、だとしても、作者の意思には逆らえるわけがないっ!! 貴方はプレイヤーキャラクターだ!! 作者の繰糸で操られるだけの!! ただの人形でしょう!?」
「お約束だ」
俺の両目が、蒼色に光り輝く。
「創作にはよくある話だろ……キャラクターが、勝手に動いたってな……そうだ、俺たちには、自由意志がある……作者の手から離れて、物語を動かし始めるのは珍しい話でもない……誰も彼もが、己の意思を捨てて、諦観を選ぶわけもない……」
拳を、握る。
強く、ただ強く。
負けるわけがないと、己を信じて、ただ強く握り込む。
「この世には、才能がある。なにもかもが決まってる。努力しても無駄だ。そうやって、諦めるのは簡単だ。だが、俺たちには意思がある。
未来は不確定だ。確かに、努力は徒労に終わるのかもしれない。なにも報われずに、哀しい現実を迎えるのかもしれない。だが、その先にしか、現在はないんだ。進むことを諦めた人間に、その先は、決して訪れない」
息を吸い込み、俺は叫ぶ。
「俺たちは、現在を生きる人間だっ!! だからこそ、俺は、ここで負けるわけにはいかないっ!! こんなところで!! こんなところで、諦めるわけには、いかないんだよっ!!」
『無駄だよっ!! 無駄だ、無駄だっ!!』
過去の俺は、雑言混じりに叫声を上げる。
『諦めろ、諦めろ、諦めろっ!! この現実には、決して叶わない!! いずれ、思い知る!! 思い知るんだ!! お母さんもお父さんも、あの女性も救えなかった!! お前は、救えなかったんだっ!!』
だから、救うんだ。
俺は、想う。
だからこそ、救うんだよ。己を、自分を。
諦めた自分を――救ってやるんだ。
「………」
視線を感じて、振り向く。
その先に、母親と父親が立っていた。寄り添い合ったふたりは、嬉しそうで、でもどこか切なそうな笑顔を浮かべて、俺のことを見守っていた。
「お母さん……お父……さん……」
それは、ただの、お約束と誓約の見せた幻なのかもしれない。だが、そこには、懐かしい愛おしさがあった。ふたりの慈しみに溢れた眼差しに導かれ、俺は、一歩を踏み出す。
「約束……守れなくて、ごめん……しあわせに……してあげられなくて、ごめんね……でも、俺……ぼく……もう……もう、諦めたりしないよ……誓う……誓うから……だから……だから、そこで……」
俺は、泣きながら笑う。
「視てて」
ふたりは、微笑んで――頷く。
掻き消える幻、俺は過去を置き去りにして、前を向いた。
「俺は、この能力が嫌いだった……生まれ持った才能を嫌っていた……跳ね除けて拒絶して……失くしてしまえば、しあわせになれると思った……幸福は、生まれ落ちた瞬間に決まると思い込んでた……でも……でも、それは、きっと誤りだ……」
蒼色の光が、発光して瞬いて、俺のすべてを包み込んでいく。
励ますかのように、敬愛するかのように、祝福するかのように、ひかってまたたく。
「現在を生きるということは……自分に向き合うことだったんだ……俺は、この能力に向き合うことができていなかった……だから……だから、現在、ココで……俺は、約束を果たす……」
まるで、そう、始まりを告げるみたいに。
「いくぞ、現在を捨てた亡霊《None Play Character》」
俺は、告げる。
「俺は、この自分を背負って戦う。俺は、この現実を背負って戦う。俺は、この世界を背負って戦う。
もう、逃げたりしない。諦めたりもしない。負けたりなんて、しない」
向き合ったふたりの理不尽は、構えた俺の前で能力を籠める。
「俺の法則性と、お前らの反法則性――どちらが勝つか、決着をつけよう。
いくぞ、亡霊。人間を、見せてやる」
蒼色の瞳が弾けて――お約束と誓約が発動する。
書き、替える。
高速で書き換わっていく世界、視界から、緑色の世界の理が飛び去っていく。風景が次々と張り替えられて、俺たちの間で交錯している瑕疵が、異常参照を検知して大音量のエラー音を奏でた。
過去、現在、未来、様々な光景が、走馬灯のように駆け巡っていく。
「……っ……っぐ……っ!」
俺も、彼女たちも、全身全霊を懸けて、この世界を書き換えていく。
ただ、救う道が、違っただけだ。俺たちは、ただ、交差しなかったなんだ。
虚しい鍔迫り合いに、俺は苦渋を漏らす。
『かわいいかわいいシキは、お母さんが、独り占めしちゃうんだから!』
楽しかった過去が、通り過ぎていく。
『勇者様だよ、ガキンチョ』
留まれば、戻れるのかもしれない。
『ココは、はじまりの村です……』
戻れたのならば、救えるのかもしれない。
『生きとし生けるものは死ぬために在って、死にとし死ねるものは生きるためだけに存るんだ』
だが、そこに現在はない。
『シキ、答えろっ!! あの女性は、なんのために生きてきた!? なんのためにっ!? 誰のために生きてきたんだっ!?』
法則性を違えれば、俺は、この世界を生きる存在ではなくなるだろう。
『オマエにだけは……あんなお約束には負けて欲しくないんだ……たのむ……たのむよ、シキ……オマエだけは……オマエだけは……』
だから、俺は、振り返らない。
『キミのことは、わたしが、絶対にしあわせにするから』
それは、とても、辛いことで。
ともすれば、救える人間を救わないという選択を選ぶということで。
大切な人たちを、見捨てるということでもある。
「ぐぅ……ぅっ……ぅ……ぅう……ぅぁあああああああああっ!!」
だから、俺は、あまりにも辛くて泣き叫ぶ。
世界を書き換える負荷によって、ズタボロに引き裂かれていく全身よりも、大切な人たちを見捨てていく辛さが身に沁みた。あまりにも辛くて辛くて辛くて、どうしようもなくて、倒れてしまいそうになる。
『大きくなったキミに会える日を楽しみにしているよ』
意思と意思の、ぶつかり合い。
際限のない、理想の押し付け合い。
俺の、救いようのない過去が、人数差で優勢に立ったNPCにより、都合の良いように書き換えられていく。母親も父親も死なず、あの女性も、愛した女性と幸せに暮らしている幸福な未来。
あまりにも都合の良い幸せに、力が緩むのを感じた。
理想の『もし』を突きつけられた俺の、足が、思わず、下がって――支えられる。
「し、シキさん、まけ、まけないで!」
「そう、ですよっ! こ、こんなところで、まけたら、シエラ、許しません、からっ!!」
「へ、へこたれてんじゃないわよ!! 私の好きになった男なら、ココで踏ん張れずに、どこで踏ん張るのよっ!!」
お約束によって呼び寄せられた三人が、俺の背中に両手を押し当てて、血だるまになりながらも支えてくれていた。
その言葉に、その献身に、その慈愛に――俺は、涙を流す。
「俺……俺は……俺は、弱い……弱いよ……いつも……いつも、負けそうになる……じ、自分に、い、いくら言い聞かせても……ま、負けちゃいそうになるんだ……あ、諦めたほうが……諦めたほうが楽になれるって……だから……だから、俺……」
「な、に、言ってるん、ですかっ!!」
長い前髪の間から、美しい涙を流し、エフィは叫ぶ。
「そんな、こと、当たり前ですよ!! 当たり前、なんですよっ!! ここから!! ここから、始めればいい!! わたしたちの始まりをここからっ!!」
「そうですよ、シエラ、たちは、弱い!! 弱いのが、当たり前なんです!!」
「それが、人間でしょう!? あたしたちは、いつも、弱くてだらしなくて、諦めそうになる!! でも、それでもっ!!」
三人は、泣きながら叫んだ。
「「「支え合えるっ!!」」」
俺は、両足を、踏み出して――
「まけて……」
叫ぶ。
「まけて、たまるかぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」
絶叫に合わせて、理想の未来を、現実の現在に書き換えていく。
俺の選んだ道に、違えてしまった道に、誤ってしまった道に。
救えなかった理想へと――書き換える。
『無駄だ……無駄……無駄、なのに……』
ひび割れが大きくなって、ついに、過去の仮面が剥がれ落ちる。
そこにあったのは、幼い少年の泣き顔だった。自分で黒く塗りつぶしていた顔には、ただ、目を背けていただけの弱さがあった。
そして、その隣に――あの女性が立つ。
いつもの無作法な立ち方で、煙草を咥えて、微笑混じりに突っ立っていた。
『いいのか、シキ?』
問いかけられて、俺は頷く。
『そうか』
哀しそうな顔で、彼女は紫煙を吐き出す。
『ごめんな……親代わり、失格だったな……最初から最後まで、最低の野郎だった……わたしには、お前を導くことは出来なかったよ……悪かった……』
「違うよ……俺……俺は……ただ……ただ、貴女に傍にいて欲しかっただけなんだ……かけちがえただけなんだよ……きっと、俺たちは、しあわせになれた……でも……でも、俺は……ぼくは……」
一筋の涙が流れて、俺は微笑む。
「進むよ……」
『だったら、することはひとつだな』
そっと、彼女は、俺の背中に手を添えて――支える。
その温かさが、魂にまで伝わっていく。あまりの力強さに堪えられず、慟哭を上げる。
「ごめん……ごめん、貴女のしたことを無駄にして……俺は、与えられてばかりで……あ、貴女を……貴女を、しあわせには、できなかった……や、約束は……ひ、ひとつたりとも……ま、まもれなかった……なのに、また、俺は……支えてもらっている……」
抑えきれなかった嗚咽に、彼女は応える。
『ばーか、なに言ってんだよ。忘れてんじゃねぇよ』
そして、微笑んだ。
『わたしは、キミだけの勇者だ』
喉から叫びが、迸る。
涙と叫声を交えて、踏み込んで、蒼色の瞳からすべてを吐き出す。
世界が、書き換えられていく。NPCたちは驚きで立ち竦み、進み続ける俺は、ついには至る。
「お約束と……お約束と……ッ!」
俺の前に、ひらひらと、一枚の“文字灯”が落ちてくる。
幼い子供の文字。まるで、ミミズがもがいているみたい。
そんな、稚拙なお願いごとが降ってくる。
そのお約束が、視界に入って――俺は、微笑を浮かべて――つぶやいた。
「誓約」
――勇者の力になりたい
「ありがとう……」
すべてが光に包まれて、世界は、正しく書き換えられていく。
そして、俺は、あの女性の名前を――見つける。
「お母さん」
目を見開いた、二人目の母親は、ぽろぽろと涙を零して。
悔いを消し去るかのように、満面の笑みを浮かべた。
『しあわせに……しあわせになってね……シキ』
俺は、差し出された小指に、二回目の約束を絡ませる。
『お約束』
ぼくは、ゆっくりと――目を閉じた。




