最期《ラスト》
――NPC
あの日。
あの女性が消えて、ボードゲームの盤上に残されていた紙切れには、たったの三文字で構成された言葉が残されていた。
「NPCには、魂が存在しない……」
震える声で、エフィがつぶやいた。
「だから、自然の法則性には従わない……空虚ではあるが、世界の強制力から解放された、唯一無二の自由を掴める存在と成り得る……」
「自然の……法則性……」
あの女性の言葉を思い出す。
――勇者と魔王が戦えば、どちらが勝つ?
俺は、あの時、無邪気な声で『勇者!』と答えた。
――そうだ。それが“法則性”、つまり、オマエの操る“お約束”だよ。人々の間に流布されている普遍性を、事実関係として現実に当てはめる“魔法”のことだ
法則性=お約束。
だから。
――NPCが落としてるからですよ
俺のお約束が、通用していないのか。
「最初の魔王は……シキさんを救うために……NPCを作るための実験をしていた……わ、わたしの、む、村も……その実験に巻き込まれて……み、みんなが……“液体”に変わって……」
そうか。
あの女性は、最初から。
――だが、忘れるな、例え儂を倒そうとも第二、第三の魔王が
この現在のために、すべてを犠牲にしてきたのか。
「ご察しの通りですよ、シキさん」
愛らしい笑顔を浮かべて、第二の魔王は言った。
「シキさんは、彼女の『だが、忘れるな、例え儂を倒そうとも第二、第三の魔王が』という台詞によって、お約束と誓約が発動したと思っていたようですが……それは、違う。
ボクらは、最初の魔王の現術書素によって、生み出された別種の存在――NPC」
「ごめんね、シキ。わたしたち、シキのお約束が効いているフリをしてただけなの。まるで、漫画のCharacterみたいにね。
そもそも、この“場面”に連れてきたのもわたしたちなのよ?」
「ちょ、ちょっと、待ってよ!? あ、あんたたち、なんの話をしてるの!? エフィが話していた、NPCって、あんたたちのことだったの!?」
第二の魔王と第三の魔王は、互いの人差し指を交差させて、双方の唇を押さえつける。
左右対称な『お静かに』を与えられて、レイラは声を詰まらせた。
「師匠。
師匠は、なぜ、勇者たちと共にしあわせに暮らせなかったかわかりますか?」
「……俺が、お約束に縛られていたからだ」
「否」
第二の魔王は、眠たげに目を細める。
「第二の魔王が、上から降ってきたからだ。
では、ザンクト・ガレン魔法学園に転校しなければならなかったのは?」
「第三の魔王が、ザンクト・ガレン魔法学園を支配していたからだよね? そうでもなければ、あの学校に、シキは足を踏み入れなかった」
混乱が、吹雪を、連れてくる。
「なにが……な、なにが……言いたい……?」
寒い。
寒くて寒くて寒くて、凍え死んでしまいそうだ。
正体不明の悪寒が全身を苛んで、脳みそが凍りついて、指先が凍死していって己が氷結していくのを感じる。
冷たい――冬を感じる。
「では、どうして、この世界に大魔王がいると思ったんですか?」
「それじゃあ、なんで、自分が大魔王だと思っちゃったのかな?」
思い、出す。
――ボクらの真の目的は
第二の魔王が。
――大魔王の復活です
言ったからだ。
――大魔王とは、魔王を従える者を云う
第三の魔王が。
――魔王に好かれるなんて、そんな村人Aなんていないんじゃないかなって
言ったからだ。
――わすれないで
最初の魔王、第二の魔王、第三の魔王が。
――わたしは、キミだけの勇者だ
言った、から、だ。
「そう、だ……わかりやすすぎた……まるで、さいしょから、そう決まってるみたいに……まるで、おれに、そういう“伏線”を教えるみたいに……」
思考が、潰える。
「ぜんぶ……」
全身の力が、抜け落ちて、いく。
「ぜんぶ……しくんだのか……おれが……こうなるように……大魔王になるように……さいしょから……ほんとうに……さいしょから……なん……で……?」
「「もちろん、貴方を救うために」」
ふたりの笑顔が、混ざる。
「だったら!! だったら、今直ぐ、あの月を止めてくださいよっ!! シキさんがしあわせになるためには、あの月を!! あの月を止めなければっ!!」
シエラの叫声に、ふたりの魔王は小首を傾げる。
「なにを言うかと思えば、シエラ・トンプソン」
「なにを思うかと言えば、シエラ・トンプソン」
第二の魔王と第三の魔王は、ふたりでお手々を組んで、優しい祈りを捧げる。
「「世界が滅びなければ、少年は救えない」」
「どういう……どういう、意味、ですか?」
エフィの問いに、彼/彼女は応える。
「ボクたちは、現在を滅ぼす御使いなんですよ」
「現在を生きる人類《Player Character》をね、全員、殺し尽くすために生まれたの」
「そして、生み出す」
「そして、やり直す」
声が、重なる。
「「全人類を殺して、全人類にする」」
この世から、音が、消え失せたみたいな。
唐突に心臓が止まって、天に召されたかのような、急激な現実感との乖離に呼吸を忘れている。わなわなと震えている両手足だけが、意思を失ってデタラメに暴れて、引きつった口元から小さな悲鳴が漏れた。
エフィも、シエラも、レイラも。
声をなくして、ただただ、身を震わせている。
不理解が、無理解を連れてくる。
そこに、座すのは――恐怖だけだった。
「どう……して……どう、して……お、俺を救うために……そういう結末を目指すことになる……お、俺は……お、俺は、そんなこと!? の、望んじゃいないっ!!」
「違いますよ」
「望んでるじゃない」
「だって、世界が、NPCで埋め尽くされるってことは」
「世界が、だって、NPCで占め尽くされるってことは」
三日月に嗤う月が、赤色に輝いている。
「「少年は、普通の少年になれるってことだよ?」」
「あ……」
理解する。いや、理解させられる。
――せめて……わたしは……ひとりくらい……せめて……ひとりくらい……救いたい……最愛の人すら救えなかったわたしは……せめて……せめて……この生命を懸けてでも……ひとりくらい……
あの女性の真なる願いを。
――せめて、シキくらいは救ってあげたい
手紙に書かれていた一言一句を思い出し、身震いが、大きな揺れとなって、あまりの振動に吐き気をもよおす。
――その手紙には、急に姿を消してしまったことに対する謝罪、絶対にキミを救うという誓い
そうだ、あの女性が残した手紙には。
――そのために各地を回って、お約束を消し去る方法を模索するため、様々な実験を行うつもりだと書かれていた
はじめから――答えが書いてあった。
「俺の、俺の、お約束を消し去るために……俺だけを救うために……」
――わたしは、たったひとり。たったひとりの
「他の全員を……救わないつもりか……」
――世界だけを救う勇者だ
あの女性は、世界を救わない。
――救わなかった
ただ、世界だけを救う。
そのためだけに、己の手を、真っ赤に染め上げて命すらも捧げてみせた。生涯を献身し、愛情を魅せつけてみせた。
――あぁ、そうか……シキを直せないなら……
あの女性は。あまりにも。綺麗に。
――世界を直せばいいんだ
俺だけを愛していた。
「最初の魔王は、現術書素の法則性を研究し、人体の発生の原理を操ろうとしていました。
その成功作が、NPC。法則性には左右されない、この世界のお約束から外れた、理にそぐわない記号」
「最初の魔王が完成させた、人体発生の原理は、わたしたちに既にプログラムされているの。
だからね、シキとわたしたちの赤ちゃんは、必ず反法則性を遺伝して生まれてくる。わたしたちの赤ん坊は、誰一人として、シキのお約束の影響を受けない。
産めよ、殖えよ、地に満ちよ……シキの好みに合うように、彼女は、二タイプの素体を用意したのよ」
「男性型」
「女性型」
ふたりは、微笑する。
「「なんて、素敵な未来」」
二本の手が、艶かしく交錯し、俺へと伸びる。
「「最初の魔王から始まって、たったひとりの人間のみが生き残る理想の世界が生み出される。
そう、つまり、貴方こそが――」」
俺の、脳裏、には。
「「最期」」
ただ、あの女性の笑顔だけが――浮かんでいた。




