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仲良しこよしを願ってる

「……おかしい」


 レイラ・オブシヴィアンは、力なく腕を下ろす。


「こんなの、やっぱり、おかしいのよ……シキ、気づいてよ……ねぇ……貴方が犠牲になって、なにが救われるの……」


 物言わず、シキは微笑を浮かべる。幼子に言い聞かせるように。


「さっき、普通の善い人になりたいって言ったわよね……ねぇ、シキの言う普通の善い人ってなに……どこの世界に、そんな人がいるの……私だって、ココに来るまでは、普通の善い人を気取ってたわよ……なんで、私が選ばれたのかって……勇者になれるような人間じゃないって……」


 噛みしめる。


 レイラは、ただ、噛み締める。


 口元から伝った赤色が、彼女の悔しさと混じって滲む。目元から流れ落ちる透明色が、真っ赤な悔恨をゆるりと溶かす。


「シキ!! わたしは!! レイラ・オブシヴィアンとしてココに来たっ!! 貴方もただのシキとして!! シキとして答えてよっ!? ココにいるのは、勇者と魔王なんかじゃない!!

 “私たち”よっ!!」

「シキは死んだよ」


 微笑みをたたえたまま、シキは言う。


「とっくの昔に、シキは死んだ。そこからじゃ、墓標が視えないか。父親と母親を殺して、敬愛する師すらも地獄に誘ったあの時、もう俺は、シキとして生きるのはやめたんだよ。そういう、“お約束”なんだ」

「まだ、死んでないっ!!」


 叫んで、涙が弾ける。


「あんた、笑ってたじゃない!! わたしたちと一緒に!! 笑ってたじゃない!? ボードゲームして、やれやれって感じで笑ってたでしょう!? 楽しかったんじゃないの!? あの時の貴方は、シキじゃないの!?」

「なぁ、Ⅲ号」

「わたしは、Ⅲ号じゃない!! レイラ・オブシヴィアンよっ!!」

「いいや、Ⅲ号だよ」


 シキの笑顔、その笑みに、純粋な哀しみが彩られる。


「お前は、ただのⅢ号だ」

「なんで、わからないの……なんで……どうして……」


 飽くまでも、記号で彼女を呼ぶシキを視て、レイラは例えようもない苦しみを抱く。


 救えない。


 いや、違う。


 ひとりでは――救えない。


「シキさん」


 シエラは、彼へと、一歩踏み込む。


「シエラは、迷ってました。たぶん、今でも迷ってます。シキさんを殺すのが正しいのか、シキさんを救うのが正しいのか。

 エフィは、きっと、殺すのが正しいと言うし、レイラは救うのが正しいと言うでしょう。

 そして、どっちつかずのシエラは選べない」

「…………」

「いつも、そうでした。シエラは、自分で、道を選んだことがない。さまよっていたら、とある女性ひとに助けられて、唐突に神様が選んでくれたから勇者をやっています。ココに辿り着くまでの道程も、ふたりの仲間によって舗装されていた」

「……シエラ」


 口端を曲げたまま、シエラ・トンプソンはささやく。


 己の矛盾を示すかのように、笑いながら、力なくささやいている。


「ある女性ひとは言いました」


 シエラは、言う。


「シエラさん、物事はとても単純シンプルに」


 彼女は、また、一歩踏み込む。


「人はね、考えながら進めないんですよ」


 また、一歩。


「貴女が思うように、生きてください」


 そして、また、一歩。


 シキへと近づいて、晴れ晴れと、シエラは満面の笑みを浮かべる。


「だから、シエラは決めました。

 なにが正しいかはわかりませんが――」


 シエラは、ただ、選択する。


「今から、シキさんを連れ戻します」

「……無駄だ」


 対面するシキは、苦笑を交えて言い放つ。


「無駄だよ。俺のお約束には敵わない。魔王をぶん殴って仲良しこよしなんて、この世界が許したりしないんだ。

 そうだろ、Ⅰ号」


 呼びかけられたエフィは、短剣をくるりと一回転させて構える。彼女の意思は変わらない。いや、変えられない。


 今のエフィ・ヴァーミリオンは、殺すことしかできない。


「エフィ……さんにんで救おうと私が誓ったのは、今のエフィじゃないのよ……わかってるでしょう……ねぇ、エフィ……?」

「……知らない」


 エフィは、呼吸を繰り返しながらつぶやく。


「救う……救うんだ……わたしは、間違えていたりなんていない……殺す他ない……この世には、殺すしか救う方法のない人間もいる……第一の魔王(ファースト)は、ひとりの男の子を救うために殺し続けた……あの意思は……間違えていない……彼女を救済したのは、死だ……わたしは……わたしは……間違えていない……」

「覚悟ができているのは、Ⅰ号だけか。残念だよ」


 シキは、つぶやいて、またたいた。


「俺は、もう、言ったぞ……みんなで救おうと……悪いが、回答は望んでない……一方的な、俺からのお約束だ……否が応でも、呑んでもらおう……この世界のために、勇者になってくれ……」


 闇の中で、シキの両目が怪しく光る。


 蒼色の光芒が煌めいて、月光、彼の影が壁に映り込む。あたかも、人が魔に変じたかのような、肌を突き刺すような悪寒を覚える。


『さぁ、勇者よ! 来るがいい! 最終決戦だっ!!』

「ぐ……っ!?」


 意思とは関係なく、レイラの両足が動き始める。意図せず、口が現術書素ワードレターをささやいて、エフィの身体能力を強化する。


『大いなる闇に立ち向かわんとするかっ!! 面白い!! 貴様らの無謀、見届けてやろうっ!!』


 シエラもまた、同じ症状が出ていた。


 彼女が発現させた現術書素ワードレターによって、巨大な火炎球が作り上げられて、魔王シキへと飛翔する。火球は彼に当たって弾け飛び、踏み込んだエフィの剣刃が、魔王の体躯を切り裂いた。


「……それでいい」


 血液が、飛び散る。


 シキの胸部から迸った鮮血を眺めて、レイラは、彼の激痛を感じ取り――食いしばった。


「……っ……っ……っ……!!」


 食いしばる、食いしばる、食いしばる。


『さぁ、来い!! 勇者!! 宿命を果たせっ!!』


 立て続けに浴びせられるお約束から、レイラは必死に歯向かい続ける。


 勝手に開こうとする口蓋、口中に血溜まりが出来て、数本の奥歯が砕け落ちる音がした。あまりの激痛に涙が零れ落ちて、両手の指が手のひらに突き刺さって肉が露出する。


 だが、立ち向かう。


 立ち向かい、続ける。


 負けるか。


 レイラは、想う。


 負けて、やるか。


 普通の善い人だった、レイラ・オブシヴィアンは、噴き出る鼻血を呑み下しながら想った。


 父親と母親に愛されて、友だちと遊んだ日々。


 夕暮れに染まる街の景色を、ぼんやりと、温かな家の中から眺めていた。


 美味しい夕食に舌鼓を打ってから、図書館から借りた本を寝床で読み、今日はどんな夢を視られるだろうかと眠りに落ちる。


 ただただ、不安もなく、過ぎ去っていく毎日。


 間違いようもなく、レイラ・オブシヴィアンは幸せだった。今だからわかる。普通の幸せとは、あまりにも遠いところにあった。


 レイラは、知っている。


 なぜ、シキが、ボードゲームを好むのか。


 彼は、誰かが、幸せそうにしているのを視るのが好きなのだ。


 盤面を通して視える、彼の想う、普通の幸せを視るのが好きなのだ。


 自分には相応しくないと思い込んでいる幸福を、誰かの目線を通して視ることが、彼にとっての救いだったのだ。


 きっと、彼も。


 きっと、シキも。


 きっと、シキも――幸せを求めている。


 父親と母親に愛されて、友だちと遊んで、夕暮れに染まる街の景色をぼんやりと眺めていたい筈だ。美味しい夕食に舌鼓を売ってから、寝床で本を読んで、次の日の朝に視た夢を振り返るのを楽しみにする筈だ。ただただ、不安もなく、過ぎ去っていく毎日を望んでいる筈だ。


「……ったら」


 目から鼻から口から、血を流しながら、レイラはささやく。


「だったら……教えてあげなきゃ……教えてあげなきゃいけないでしょ……貴方に……貴方に幸せを……ただ、幸福に過ごせる日々を……」


 歩く。歩く。歩く。


 なにかを喚いているシキへと、レイラは踏み込んでいく。


「だって……シキは……」


 そして、彼女は、両腕でシキを包み込む。


 柔らかに。己の胸へと抱き込む。


「笑ってる時が……一番、素敵だもの……」

「よせ……よせよせよせよせよせよせっ!! 死ぬぞ!? やめろっ!? やめてくれっ!! 頼むっ!!」


 両腕がへし折れる。腹部から、ぶくぶくと、血泡が溢れ出ているのが視えた。レイラは、冷静に、己の死を俯瞰する。


 この世のお約束――ことわりに歯向かった罰――ただ、普通に生きていれば、与えられることもない痛み。


 だが、その痛みさえも、今では愛おしく思える。


「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だっ!! もう、殺したくない!! 殺したくないんだっ!! 俺は、もう、誰も!! 誰も殺したくなんてないっ!!」

「だったら! 勝手に!! 私たちの!! 大事なっ!!」


 レイラは、ひしゃげた片手を振り上げて――


「シキを殺すなぁああああああああああああああああああああああああああっ!!」


 突き出た骨で、思い切り、シキを引っ叩いた。


 後ろに倒れ込んだシキを見下げたレイラは、意識を手放す前につぶやく。


「作られた恋心で……誰が、ここまで出来るか……言ってみなさいよ……ばーか……」

「…………」

「あんたの望むお約束(ルール)に……誰が従うか……私は勇者じゃなくてレイラ・オブシヴィアンで……世界が許さなくても……魔王をぶん殴って……」


 レイラは、全身全霊で微笑んだ。


「仲良しこよしを願ってる……」


 暗闇へと、落ちていく。

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