勇者はささやき、魔王はこたえる
「話を聞いて……お願い……お願いよ……話を……」
縛り上げた第三の魔王は、か細い声で嘆願した。
「エフィ」
がらんどうの廃墟に毛布を敷いたレイラは、焚き火の近くで、虚空を見つめているエフィにささやく。
「第三の魔王を解放しましょう。たぶん、あの子は、普通の女の子に戻ってるわ。本来の力があれば、あんな縄くらい、簡単に引きちぎれるもの」
「…………」
「エフィ」
肩に触れて、ようやく、彼女が反応した。
「いや、やめておこう」
エフィ・ヴァーミリオンは、常に剣を抱えていた。彼女は、クマの出来た目を擦りながら、微笑を浮かべる。
「いざという時に盾になる。
それに――」
音のない微笑みに、薪の爆ぜる音が続いた。
「彼女には、魔王の最期を見届ける権利があるよ」
「あの」
道中、物思いに耽っていたシエラが、久しぶりに口を開いた……焚き火の前にいる彼女の面持ちが、陽炎のようにゆらめく。
「シエラは、エフィとレイラの話が聞きたいです」
なんで、今更――そう思ったレイラの目に、真剣味に彩られた友人が映る。
シエラが本気だとわかって、エフィの笑みが深くなった。
「では、わたしから話そうか」
縛られている第三の魔王に毛布をかけたシエラは、エフィとレイラの間に座り込んだ。
そして、ひとつの毛布で三人を包み込む。
「いや、あんたね……」
「だって、明日は、魔王城ですよ。こうして三人で、笑い合いながら、仲睦まじく話す日は今日が最後かもしれません。
だから、いいじゃありませんか」
「三人で温めあったほうが、寒さも凌げるしな。効率的だ」
衣服越しにふたりの体温を感じて、くすぐったくなるような温かさに、レイラは気恥ずかしさを覚える。
でも、心地よかった。
「前にも話したが、わたしは、小さな村の出身だ。
幼い頃から引っ込み思案だったが、父も母も優しくしてくれた。村人たちは可愛がってくれたし、数多くの友人はわたしのことを愛してくれた」
「引っ込み思案だから、家で手芸ばっかりしてたってこと? なんか、気持ち悪い模様つけてたけど」
エフィは、声を上げて笑う。
「アレは、わたしが下手くそだから気味悪く視える」
そして、笑みが消える。
「……村人全員が、第一の魔王に殺されてから、ああいう模様しか編めなくなった。『救わなかった』と書かれた、あの赤黒い細い腕が、頭からこびりついて離れない」
「…………」
「このわたしは、殺すことでしか救うことができない」
脇に置かれた長剣を撫でながら、エフィ・ヴァーミリオンはささやく。
「だから、あの魔王は……わたしが、救うよ……きっと……」
「シエラは」
まるで、その意見に反駁するかのように、シエラが鋭く声を上げる。
「お嬢様がすべてでした。両親が流行り病で死んでしまった後、さまよっているところを、お嬢様に拾われたんです。
あの女性は、誠実で優しくて、偉ぶってるところはひとつもない。自分の病をひけらかすことも、嘆くことも、気にかけることすらもありませんでした。
彼女は、生きることで、シエラを救ったんです」
シエラは、エフィに語りかけていた。
そのことがハッキリとわかって、冷たい空気に一陣の突風が舞い込む。冷え込んだ体躯に、エフィの冷めきった返答が混じる。
「それで?」
「シエラは……今まで、自分のことを自分で決められませんでした……両親が死んでお嬢様に拾われて、なにもかもを誰かにたくしてきた……勇者に選ばれた時も、『そういうものなんだ』って……お約束に導かれてきました……」
敢えて、『お約束』という言葉を用いたシエラは、口元を震わせながら言う。
「だから……シエラは……飛びたい……自分の意思で……飛んでみたいです……だ、だから……」
ゆっくりと、シエラは口をつぐむ。
まるで、その願い事を口にしたら、叶わなくなると言わんばかりに。
「……では、次は、レイラかな」
急に水を向けられて――レイラは、硬直した。
「あ……えと……」
なんで。
レイラは、混乱する。
なんで、あんたたちは、そこらの村娘で、ただの下女じゃないの?
――あんたは、ただの下女でっ!! 私はなんの変哲もない子供でっ!! エフィはそこらの村娘じゃない!!
かつて、自分が放った言葉が、胸にえぐり込んでくる。身近に思っていたふたりが、他人のようにすら思えた。
「わ、私……私は……」
私は……ただの、なんの変哲もない子供だ。
ふたりのように、両親を亡くしていたりはしない。強い想いをもって、この場にいるわけでもない。
平凡な日常を過ごしてきた。
母親とは仲良しで、父親とはたまに喧嘩をした。学校では男子嫌いで有名でも、それなりに人気があった。舶来品のお菓子を食べたり、自習に飽きて買い物に出かけたり、綺麗なドレスに憧れたりした。
平凡な少女でしかない自分に、愕然とする。
一度は、覚悟、した筈なのに。
頭が真っ白になったレイラは、ただ、震えたまま口を開閉させる。
「私は……」
「大丈夫ですよ、レイラ。
無理に喋らな――」
「私はっ!!」
他人に向けられるような慈しみを――反射的に跳ね除ける。
「ただの……ただの、変哲もない子供よっ!! エフィみたいに、最初の魔王に酷い目に遭わされたり、剣を握ったら性格が豹変したりもしない!! シエラみたいに、幼い頃に両親と死に別れたり、大恩のあるお嬢様との出逢いがあったりなんてしないわっ!!
でもっ!!」
いつの間に、立ち上がっていたのだろうか。
苦しげな胸を抑え込むようにして、彼女は、嗚咽を上げながら叫んでいる。
「勇者だから、ここにいるんじゃない!! ただのレイラ・オブシヴィアンだから!!
だからっ!! ここに立っていられる!!」
すべてを吐露して――強い衝撃。
猛烈な勢いでシエラに抱きつかれ、その間に、ふわりとエフィが混ざり込んだ。
「貴女たちで……貴女たちでよかった……」
すすり泣きながら、シエラはささやく。
「シエラは……ひとりでは来れなかった……貴女たちだったから……貴女たちだったから……ココにいられます……」
「……ありがとう」
長い髪が乱れたエフィは、顔を上げて、引っ込み思案の少女としてつぶやく。
「あ、ありがとう……ふ、ふたりとも……」
ぶわりと、湧き上がる、強烈な感情。
ひとりでに漏れ始めた涙を止めることはできず、ただただ、レイラはその温かさを両腕で抱きしめる。
「さんにんで……」
レイラは、ただ、涙を流す。
「さんにんで……救いましょう……きっと……きっと、できるから……私たちなら……きっと……きっと……」
ぱちぱちと、柔らかな炎が、宵闇を照らした。
そして、夜は更ける。
運命の日へと、明けてゆく。
ゆっくりと。
俺は、目を開ける。
謁見の間へと続く大扉がゆっくりと開いて、馴染み深い面々が並んでいた。
勇者Ⅰ号――エフィ・ヴァーミリオン。
勇者Ⅱ号――シエラ・トンプソン。
勇者Ⅲ号――レイラ・オブシヴィアン。
かつて、最初の魔王に挑もうとしていた少女たちの顔は、恐怖と不安で覆われていた。お約束と誓約で感じた、彼女たちの死は明確で、避けられようのなかったものだった。
だが、今は。
だが、今は、もう少女ではない。
その顔つきは勇猛であふれ、その出で立ちは勇姿に満ち、そのきらめきこそを――人は、勇気と呼ぶ。
「…………」
知れず、たったの数瞬、シキに舞い戻る。
ボードゲーム……すごく弱くないですか……?
貴方のことを思って、ガッツ振り絞ってたたみました。どやぁ
おはよう、王子様
私のシキの完璧な顔は無事!?
フッフッフッ。果たして、この謎のシエラに勝てますかね。フッフッフッ
わたしたちは、あんたが真の勇者だっていうことを、皆に知らしめてやりたいのよ
よくできました
アッハッハッハ!! とんでもない解釈をするなぁ、我が王子様は!!
か、帰ったら、ボードゲームをやりましょう
目頭が熱くなって――あぁ、そうか、俺は。
「……楽しかったのか」
魔王として、玉座から、俺は三人の勇者を見下ろした。
月の、明かりに、照らされて。
ただ、ただ、終わりを告げる。
『絶望するがいい、勇者どもよ』
魔王としての役目を、月光の只中に提示する。
『貴様ら如き塵芥が、我が死の抱擁から逃れる術はひとつたりともない』
エフィ・ヴァーミリオンは、直剣を抜き放ち――ささやく。
「……いくぞ」
勇者は、ただ、ささやく。
「いくぞ、魔王」
魔王は、ただ、こたえる。
「……来い」
魔王は、ただ――
「来い、勇者」
終わりに――こたえる。




