ひとりぼっちの救世主
「……なぜ、止めなかった?」
俺が呼び出した二番目は、素知らぬ表情で立ち尽くしている。
メイド服を着こなしている彼女(少なくとも、そうは見える)は、王座に腰掛ける俺をちらりと視て、また虚空に目線を戻した。
「さて? なんででしょ――」
肘掛けを――殴りつける。
強烈な破裂音が響き渡り、魔王の激怒という名のお約束が発動して、粉々に砕け落ちた肘掛けが床に散らばった。
「現状を理解してるのか? 勇者どもの手に三番目が渡れば、どれだけの不利を被ると思ってる。
既に月は墜ちた。死物狂いになったヤツらは、最早、手段を選ぶ余裕などない。貴様たちの仕出かしたことは――」
なるたけ、自然に、俺はつぶやく。
『魔王である俺への裏切りだ』
「……貴様、ねぇ」
俺の二人称を小馬鹿にするように、二番目は口の端を曲げる。
「では、聞きますが魔王様。
かつては三番目の魔王であった彼女を、貴方はただの三番目と呼ばわっていますね。ともなれば、彼女は最早、魔王という格を失い、貴方に付き従う理由などなくなったと思いますが」
「なら、貴様も出ていけ」
「ひとりじゃ、スープひとつ作れないくせに」
ため息を吐いて、二番目は肩を竦める。
「結局のところ、貴方様は、三番目ちゃんの安否を気遣っておられるのでしょう?」
「違う」
もう一度、彼女は嘆息を吐く。
「わかりましたわかりました。
で、お優しくない魔王様は、ボクになにをお望みで? エッチな本くらいは、喜んでめくらせてもらいますが」
「三番目を連れ戻してこい」
「…………」
一瞬にして、彼女の表情が変化して、探るような目つきに変わる。こちらの真意を手探りで、暗中から引っ張り上げようとしているかのように。
「ボクひとりで、勇者三人から、自主的に出ていった三番目ちゃんを奪ってこいと? そうおっしゃっているのですね?」
「二度は繰り返さん」
足を組んだ俺は、二番目を睨めつける。
「……なにを企んでるんですか?」
「企む? なにを?」
「なにかしらの、お約束を発動させようとしているんでしょう? 自分の命と引き換えに、エゴまみれの救世を成し遂げるための。
自分以外を救おうとしている貴方が、なぜ、ボクを死地に誘おうとするんですか? 三番目ちゃんが敵に与している状況下、勇者三人を相手にして、生き残れるわけがないでしょう?
言っておきますが、追い出そうなんてムダですよ。ボクは、貴方の傍から、絶対に離れたりしませんから」
『違う。コレは、貴様への罰だ』
俺は、なるたけ、悪どく見えるように笑った。
『役立たずは不要。貴様は、ただの廃棄品にしか過ぎん』
「……なにを」
『そう言えば、貴様――』
俺が笑って、彼女は目を見開く。
『勇者と仲良く、暮らしていたらしいな』
その瞬間――お約束は結実された。
二番目の両目には薄暗い憤怒が灯って、宿敵を睨むみたいに視線へと怒りが籠もる。間違いようもなく、善意は悪意へと裏返り、慈愛は残酷へと変じ、好意は殺意へと昇華した。
『三番目とは違って、貴様は俺の忠実な所有物だ。決して、裏切ったりなどしないだろうな?』
魔王側から勇者側への寝返り。よくあるお約束。
突然、善に目覚めたとか、勇者との仲が深まって自分のしていることに疑問を覚えるとか、魔王による残酷な仕打ちに我慢ならなくなったとか、理由は多々あるものの敵が味方になるのはよくあることだ。
そして、味方が敵になることも。
『命令だ。勇者どもから、三番目を連れ戻せ』
二番目は、膝を屈して、そっとささやく。
「承知いたしました」
そして、一度も振り返らず、謁見の間を辞した。
取り残された俺は、すべてが終わったことを知って、壊れてしまった天井を見上げる。
そこには、ひび割れた空があった。
巨大な月が眼前に迫っていて、純白に輝き、透明色の死が垣間見える。
「……つかれた」
俺は、目を閉じる。
「……もう、つかれた」
ようやく、ひとりぼっちになった。
最初から、俺は、ひとりでいればよかった。
そうすれば、父が勇者となって死ぬこともなく、母が苦労の末に息子の手で殺されずに済み、あの女性は愛する人と笑っていたかもしれない。
魔王。魔王だ。
世界に仇なし、人の幸福を害する存在。
生まれ落ちてから今の今まで、俺は誰ひとりとして救えなかった。ただただ、救われようとして、その救いの手を切り取り、地獄へと突き落としただけだ。
視界を、片手で、フタをして。
指と指の間に、差し込む、黄色い光が視えた。
そして、声が聞こえる。
――勇者と魔王が戦えば、どちらが勝つ?
あの女性の笑顔に、俺は苦笑して答える。
「勇者」
――勇者の力になりたい
「魔王と勇者で……世界を救おう……おじさんの教えてくれたこの力で……」
――誰かひとりでも、わたしのこと、勇者だって思い込んだ人はいるのかな?
「約束、したもんね……僕の……たったひとりの……」
ようやく――願いが、叶う時が来た。




