勇者と魔王
古時計が、夜半を告げた。
「…………」
「…………」
「…………」
ぼーん、ぼーん、ぼーん。
王からの褒賞として与えられた屋敷、その暗闇の中には人影がみっつ、身じろぎひとつせずに固まっている。
「……ねぇ」
最初に口を開いたのは、勇者Ⅲ号――レイラ・オブシヴィアンだった。
「都から離れましょうよ。どこか、小さな村にでも身を隠して、ほとぼりが冷めるのを待――」
「見捨てるんですかっ!?」
叫びながら、勇者Ⅱ号――シエラ・トンプソンが立ち上がる。
椅子が倒れて、大きな音が立つ。窓から差した月明かりが、息を荒げながら、涙を流す彼女を曝け出した。
「し、シキさんを、見捨てるんですかっ!? こ、このまま、な、なにもなかったことにして!? いいんで――」
「だったら、殺すのっ!?」
負けじと叫声を上げたレイラは、泣き腫らした目を光らせる。
「わ、私たちが!! 私たちが、ココに残るってことは!! そういうことなのよ!? ちょっとは考えてよ、ねぇ!? シキのお約束の力を知ってるでしょ!? 勇者と魔王は、どうなる“お約束”になってる!? ねぇ!? あんたにもわかってるんでしょ!?」
「そ、そんなの……シエラたちががんばれば……」
「ただの小娘でしょ、私たちはっ!?」
思い出させるように、レイラはシエラの肩を揺さぶる。
「あんたは、ただの下女でっ!! 私はなんの変哲もない子供でっ!! エフィはそこらの村娘じゃない!! 急に神託だって言われて!! 集められてっ!! 魔王を殺してこいってなに!? なんで!? どうして、私たちが世界を救わないといけないの!? 神託で選ばれた勇者だから!? はぁ!? それで、どうして、ママとパパから引き剥がされて、世界なんかを救わないといけないの!?
どうしてっ!!」
呆然と目を見開いたシエラに縋り付いて、レイラは滂沱の涙を流す。
「どうして……初恋の人を殺さないといけないのよ……ねぇ……はじめて……はじめて好きになった人なのよ……ちっちゃな頃に男の子にいじめられてから……大嫌いだった男の人で……はじめて……はじめて、好きになれたのに……なんで……どうして、殺し合わなきゃいけないのよぉ……」
嗚咽を上げながらへたれ込んだレイラを、シエラはぎゅっと抱き締める。
「ごめんなさい、ごめんなさいレイラ。ごめんなさい」
泣き声がその場を支配して、ほんの一時が経った。
過呼吸を起こしかけていたレイラが、ようやく落ち着きを取り戻した時、奥の暗がりから勇者Ⅰ号――エフィ・ヴァーミリオンの掠れた声が聞こえた。
「……ふたりは、帰ってください」
村娘の格好をしたエフィは、聖剣を胸元に抱えたまま、片膝を立てて椅子に座っていた。長髪で顔を覆い隠した彼女の表情は窺えず、ただ、ゆらゆらと、柳木みたいにして全身を揺らしている。
ぼそりと、ささやきの波が立った。
「わたしが」
前髪の隙間から――真っ赤な瞳が覗く。
「わたしが、魔王を殺します」
暗中から漏れ出した殺気に圧されて、レイラとシエラはよろける。
怒気の籠もったその両眼には、ただ純粋なる殺意が内在していて、怖気に似た感情が背筋を走り抜けるのを感じていた。
「え、えふぃ……?」
「最期の魔王が死ねば、なにもかもが終わる……この世界が平和になるのであれば、わたしは魔王を殺します……今は亡き父と母に報いるためにも……殺すしかありません……」
「ど、どういうことなの? ねぇ? エフィ?」
「最初の魔王は、人体を実験材料にしており、毎日のようにして数百人の人間が犠牲になりました。
とは言え、人間は一箇所に集中して集まっているものではない。都には人間が多く集まっているが、その分、兵隊の数も多く面倒事が増える。だから、最初の魔王は、手頃な“村”を拠点として実験を行っていました」
エフィは、ささやく。
「その実験場のひとつが、わたしの住んでいた村です」
てっきり、自分と同じようにして、大した理由もなく集められたと思っていた彼女の“理由”に、レイラは驚きを隠せずに立ち尽くす。
「最初の魔王は……ただの善人のようでした……彼女は『ひとりの男の子を救いたい』と繰り返し言っていた……『そのためには、手段を厭わない』とも……彼女は、現術書素の法則性を研究していて……“人体の発生”の原理を操ろうとしていた……」
「人体の……発生……?」
「つまり、人の手によって作られる、作成者の思い通りに動く肉人形。外見も内面も、まるで人と同様の模造品。
あの女性は、ノンプレイヤーキャラクター……NPCと呼んでいた」
あまりに埒外な話に飛んで、ふたりはぽかんと大口を開く。彼女らの脳みそは混乱していて、悲しみの供給が一時的にストップする。
「ま、まってください……し、シエラには、なにがなんだか……最初の魔王の研究の主題は、人間の手で人間を作ることだったんですか……つまるところ、自然の法則性……せ、せせせせせ、性交渉(小声)も伴わずに……?」
「はい」
「な、なんで、そんなわけのわからないことをしないといけないのよ? だ、大好きな人と子どもを作ればいいだけの話じゃないの? 最初の魔王は、自分の命令にだけ従う軍団を創り出したかったってこと?」
「わかりません……自然の法則性を無視して創り上げる手間を、なぜ惜しまなかったのか……ただ、あの女性は……」
頭を押さえながら、エフィは顔を歪める。
「幼いわたしを見逃した……そして、魔王城で戦った時は、まるで違う姿に変じていた……あれから長い時が経って、外面も内面も、魔王じみたモノに変わっていました……だから、躊躇なく首を飛ばすことができた……」
「……エフィ」
「最期の魔王を殺せば」
彼女は、つぶやく。
「最期の魔王を殺せば……全部、終わるんです……今後、魔王に怯える人たちはいなくなる……わたしみたいに、両親を亡くして、ひもじい思いをしながら……物乞いをして、ようやく命を繋ぐようなこともなくなる……浮き出る肋骨とは反対に、ぷっくりと浮き出ていく自分の腹に恐怖することもなく……生きていける……」
第二の魔王も第三の魔王も、救おうとしていたあんたが、どうして急に最期の魔王は殺せるなんて言えるのよ。そんなことしようとしたら、本当に、あんたぶっ壊れちゃうわよ。
レイラはそう言いたかったのに、エフィが噛み切った唇から垂れる血液を見つめ、なにも言えなくなって押し黙る。
「……シキさんと出逢って、わたしは彼に憧れました」
「…………」
「すごい人だと思った。わたしたちが歯が立たなかった最初の魔王を、あっという間に打ち倒し、それでいて偉ぶらずに褒賞も受け取ろうとしない。あの人こそ、わたしが夢見た、勇者様なんだと思った」
祈り。
エフィ・ヴァーミリオンは、祈っていた。
無意識なのか意識的なのか、彼女の両手は固く硬く結ばれて、届くかもわからないお祈りを捧げていた。
「でも、いざ、一緒に暮らし始めたら……あの人は、負けず嫌いで……毎日毎日、飽きもせずにボードゲームで挑みにきて……負けると『ば、バカな……』なんて、子供っぽいこと言って……料理食べる時はしかめっ面なのに、デザートを食べてる時は頬が緩んでて……なんだか、いつも、む、無理してるみたいで……と、ときどき、悲しそうな顔をしてるのを視るのが……つらくて……」
顔を上げた泣き顔のエフィ・ヴァーミリオンは、世界から選ばれた勇者ではなく、か弱い村娘にしか視えなかった。
「もし、あの人との出逢いが運命なら……わたしが……わたしが殺さなきゃ……他の誰かじゃなくて……わたしが……わたしが……」
運命、お約束。
夜中に集まって、テーブルを四人で囲んで、笑いながらボードゲームをプレイしたことを思い出す。いつも、難しい顔しているシキは、良い手を思いついた時だけは、口元を緩ませていた。
あの時は、勇者と村人。
でも、今は、勇者と魔王。
殺し合う運命。お約束。苦しんでいる彼が、レイラたちを待っている気がした。
――か、帰ったら、ボードゲームをやりましょう。あの、その、学園の寮で、三人で夜中にこっそりプレイしてて
エフィの言っていた、あのお約束を思い出して。
もう、戻れないと知って。
流した涙の分だけ、自分の無力さに悲しくなって。
――なんで!? どうして、私たちが世界を救わないといけないの!?
あぁ、そうか。
レイラは、ようやく理解する。
勇者は、世界なんて、救いたくなかったんだ。
本当に救いたかったのは。
「エフィ、シエラ、私たちで」
きっと。
「魔王を殺しましょう」
大切な人だ。




