手料理は、進展フラグ
仄かに――残光が差した。
焼け焦げた駒を弄くり回しながら、俺はあの女性のことを考えている。たったひとり、たったひとりだけの、俺だけの勇者のことを。
「……俺が殺した」
俺に関わった人間は、地獄に落ちる。
母も、父も、あの女性も……俺という存在に歪められて、不幸のドン底へと叩き落された。
――お約束だ
いや、貴女との約束は守れない。
俺の主人公補正は、最期の敵補正だった。
勇者に倒される予定の魔王が、その最期まで、事故や病気や不幸で死んではならなかったんだ。だからこそ、俺には自殺すら許されず、どんな現術書素も、まるで掠りもしなかった。
「……ようやく」
疲れ果てた俺は、息を吐く。
「ようやく……死ねるのか……」
せいぜい、幕が閉じるまでの間、苦しんで苦しんで苦しみ抜いて、地獄の奥底にまで落ちなければならない。現在に至るまでに背負った罪業ごと、二度と抜け出せない牢へと誘わなければな――
「嘘でしょう!? 天井がものの見事にぶっ壊れてるじゃないですかっ!!」
「困ったね……第二の魔王くん、直せそう?」
「天井の修繕作業を行っても、魔王としての威厳を失わないのであれば」
魔王城、最上階に位置する玉座の間に、ぞろぞろと二匹の魔王がやって来る。こちらの心情を慮るつもりはないのか、豪勢な食事を詰め込んだランチボックスを片手に修繕作業の話し合いをしていた。
「……出てけ」
はじめて気づいたと言わんばかりに、彼女らは目を丸くする。
「あぁ、なんだ、師匠改め御主人様兼大魔王様。こんなところにいらっしゃったんですか」
なぜか、メイド服を新しくしている第二の魔王は、合わせて髪型も新調して巻毛になっていた。以前よりもよほど女性を意識させる出で立ちで、蠱惑的に目で笑んで魅せる。
「よもや、おひとりでしか出来ないことをしてらっしゃったんですかぁ? なんなら、お手伝いいたしますよぉ? 性別未確定のボクでよければぁ」
「なぁに、その手の動き?」
「男性特有のエッチな本をめくる動きです。こうすることで、世の男の人たちは、己の昂ぶったエロティシズムを満足させるんですよ」
「へーっ! わたしも、本をめくるくらいなら、お手伝いしてもいいなぁ!」
純情かよ。
呆れながらも、俺は立ち上がる。
「じゃあな」
俺に関われば、魔王であるコイツらも、道連れになる可能性もある。今後の計画からしても、この二匹の魔王と馴れ合うつもりはなくて、名前すらも知りたくなかった。
――わすれないで
俺は、あの女性の名前すらも……ただのニセ勇者役である彼女の名も……知り得なかったんだから。
「……勇者との決戦に備えて、準備を整えてお――なにしてる?」
立ち去ろうとした俺の腰元に、ぎゅーっと両目を閉じた第三の魔王が抱きついていた。
「捕まえてるの!」
「…………」
「捕まえてるのっ!!」
聞こえなかったんじゃない。
そもそもからして声がデカいのに、こんな近距離で叫ばれたから、鼓膜にかなりのダメージを負ったんだが。
「わたしの魅了かかった!?」
「…………」
「わたしの魅了かかったぁああ!?」
聞こえなかったんじゃない。
大魔王の俺に対して、格下であるお前の魅了が効くわけないだろ。そもそも、最期の敵に状態異常は無効だ。そういうお約束だからな。
「第三の魔王ちゃん、お任せを」
淑やかに進み出た第二の魔王が、余裕綽々の微笑みをたたえて、第三の魔王の肩に手をかける。
「こう視えても、この第二の魔王、男性を魅了するのに一家言ありましてね。
まずは、お酒で鈍った男性の手を『だいじょうぶぅ?』と心配しながら、さり気なくボディタッチす――ちょっと!! せめて、実践まで付き合ってくださいよっ!!」
無視して早足で離脱しようとすると、両足にしがみつかれる。
「御主人様ぁ、あんまりですよぉ、ちょっとくらい付き合ってくださいよぉ!」
「お前らと親しくつもりはない。目障りだ。遊ぶなら他所でやれ」
「シキ」
振り向くと、今にも、泣きそうな顔をしている第三の魔王が目に入る。
「わ、わたしたち、魔王だから、シキと一緒にいるんじゃないよ。ママの病気を治してくれたから、だから――」
「哀れな阿呆を救ってやろう、とでも続ける気か?
離せ。顔面を蹴り飛ばすぞ」
びくりと反応した第二の魔王が、ゆっくりと両手を離す。
「その感情の根源は、哀れみじゃない。そいつは、ただの表象だ。
実際のところ、お前らは第二の魔王と第三の魔王で、『大魔王とは、魔王を従える者を云う』というお約束で縛られている奴隷だ。わかるか。お前らの俺に対する好意は、お約束で作られた虚偽なんだよ」
そう、そうだ。
母さんも父さんもあの女性も、俺に優しくしてくれたのは、そういう風にお約束されていたからだ。そうでもなければ、俺のような忌み子を大切にしてくれるわけがない。
――キミのことは、わたしが、絶対にしあわせにするから
だから、あのお約束を、あの女性は守ってくれなくていい。
「ち、ちがうよ、シキ……そんなことない……だって、わたし……」
「寄るな」
第三の魔王は、なおも近寄ってきて、傷だらけの指でランチボックスを俺に差し出す。
「せ、せめて、ご飯は食べて……昨日から、なにも食べてないでしょ……ほ、ほら、コレ……わたしが作っ――」
思い切り、弾き飛ばす。
ランチボックスが吹き飛んで、丹精込められた中身が散らばり、ゴミに塗れて台無しになった。
真っ赤になった手の甲、第三の魔王は、床の上で汚物と化した料理を見つめ――嗚咽を上げながら、泣き始める。
「失せろ」
「……失礼します」
背を撫でていた第二の魔王は、彼女の手を引き、ふたりそろって玉座の間を辞した。
「…………」
気配がなくなったのを見計らって、床に這いつくばる。
四つん這いになった俺は、第三の魔王が作ってくれた料理を拾って口に運んでいった。
傷だらけの指を視れば、どれだけ、彼女が頑張ったのかは理解できた。だから、蔑ろにするわけにはいかない。
ゴミとホコリで塗れたソレを、ひとつひとつ、抜け漏れのないように拾い上げて咀嚼する。吐いてしまわないように気をつけて、味だけは格別な料理を、床掃除するみたいにして舌で舐め取っていった。
そして――自分の拳を、床に叩きつける。
「俺は……」
ささやきは、闇に解け落ちて。
「俺は……なにをしてるんだ……俺は……ぼくは……」
悪役にも成りきれない自分を――早く、殺して欲しかった。




