ごっこ遊び
「…………は?」
思わず、シキは、疑問のみを漏らしていた。
「い、意味が……意味がわからない……なんで……そんな……出来すぎてる……そんな……俺の周りにばかり……第一、あの人は、勇者なんて器じゃなくて……急に俺のせいで、いなくなっ――」
開いた口が、閉じなくなった。
汗が、伝う。
ゆったりと、なめくじが背筋を、のろのろ、這いずり落ちていくみたいだった。その気色の悪い感触に身震いしつつ、脳裏をよぎっていくのは、記憶から薄れてモザイク画みたいになった父親の顔面だった。
そう。
そうだ。
そうだった。
父としていたのは、楽しい愉しい『ごっこ遊び』。
代わりばんこに。
ぼくの父親は、“勇者役”をさせられていて。
お約束みたいなセリフを、幾度も幾度も幾度も、何度となく繰り返していて、そのうちに目の色が変わって――『メアリ。僕は、勇者だったんだ』。
シキは、思い、出して、猛烈な、吐き気、勢いよく反吐をぶち撒けて、自分がした罪を、己の罪過を、自身の罪咎の重さを、目を見開いたまま、カタカタと震えながら受け止める。
「お、俺が……」
シキは、感情を間違えて、にへらと笑った。
「あの“普通だった人”を……勇者にして……殺した……魔王と相打ちにさせて……『勇者ごっこ』で……」
笑いながら、シキは、ぽろぽろと涙を零す。
「俺が……世界を救った……」
――そんなの……そんなの……わたしは……望んでない……だれも……だれも……そんなの……そんなの……望んで……なかったのに……わたしは……ただ……普通の……普通の幸せが……
母の望んでいた普通の幸福を、根こそぎに奪い取った。
――お母さん、おなかいっぱいだから
あの優しい人の幸せを。
――彼にも……視てもらいたかったな……あの人にも……
あの無邪気な人の願いを。
――シキ……愛してるから……お母さん、シキのこと大好きだからね……それだけは……それだけは、憶えておいて……いじわる言ってごめんね……ごめんね……
あの無垢なる人の慈愛を。
――お母さんのことは、僕が、絶対にしあわせにするから!
お約束ひとつ守れず、すべて、ないがしろにした。
「あ、あの女性は……お、おかあさんは……の、望んで……なかった……ぼ、ぼくが……ぼくが世界を救うことなんて……おとうさんが世界を救うことなんて……の、望んでなかった……な、なのに……ぼ、ぼくは……ぼくは……ぼ、ぼくは……」
顔面に爪を突き立てて、思い切り、肉をえぐって血でまみれる。
てらてらと、血の涙が、流れて。
真っ赤っ赤に泣きながら、シキは自己の罪を顔に刻み込む。同じようにならないと誓った勇者の『救わなかった』の葬列みたいに、己を救うためだけのエゴイズムで傷つける。
「世界を救って、あの女性を見捨てた……」
「シキ……」
「あぁ、なるほどぉ。なるほどねぇ。おもしろ~い。あはは。おもしろ~い。ぜ~んぶ、そうかぁ。なるほどねぇ。おもしろ~い。おもしろ~い。おもしろ~い。ぼくが生まれたのは、こうして、お約束で世界を救うためかぁ。なるほどねぇ。おもしろ~い」
両手をパンパンと打ち鳴らしながら、シキはその場でぴょんぴょんと飛び跳ねる。
「アッハッハ!! なぁなぁ!? おしえてあげよっかぁ!? あんたの言ってたことに対する、ぼくのかんっぺきなこたえ!?」
――勇者と魔王は、一体、誰が選ぶんだろうね?
「ぼくだよっ!!」
満面の笑顔で、血を流しながら、シキは爽やかに言い放つ。
「ぼくが選んだっ!! あははっ!! すっげーだろ!? ぼくだ!! ぼくの意思で!! ぼくの言葉で!! ぼくの行動で!! ひとりの女性と男性を、絶望の底に落としてやった!! ぼくがいなければ、幸せになれたのにっ!! あの人たちを!! 幸せな夫婦をひとりの悪魔が――いや、真の魔王が、陥れてやったんだ!!」
「シキ……シキ……やめろ……オマエ……進むって、約束し――」
「なにが、お約束だ?」
自身の親指の先を食いちぎりながら、シキはコリコリとした骨の感触に笑みを浮かべる。
「ぼくにそんなものが守れるかよ、あはは、笑わせるなよ。たったひとりの母親を幸せにするなんてお約束しといて、その実、あの女性の不幸は、ぜ~んぶ、ぼくが作り出したんだよ?」
「シキ、なぁ、頼む、やめ――」
「皮肉だと思わない? 救世を願ってた子供は、ふたりの肉親を犠牲にすることで、とっくの昔に世界を救ってたなんてさぁ? 真の勇者ってヤツなのかな、ぼく? なぁ? 答えろよっ!! ぼくは、なんだ!? なぁ!? おい!? なぁ!?」
感情の制御を失って、けたけたと笑いながら泣きわめく。楽しい気分になったかと思えば、猛烈な勢いで哀しくなった。
「ねぇ……おしえてよ……ねぇ……」
縋って、シキは、彼女にささやきかける。
「おかあさんは……ほんとうにぼくのことをあいしてたの……ぼくのおやくそくで、『おかあさん』のフリをさせられてたんじゃないの……どこからがおやくそくで、どこからがぼくで、どこからがほんものなの……ねぇ……ねぇ……ねぇ……?」
「シキ……」
強く、抱き締められる。
その場に、魂を固定させるみたいに力強く。
それでいて、どうしようもない哀しみも抱いていた。
「わたしが……勇者を名乗ってたのは、オマエの父親に復讐するためだった……そのためだけに生きてきた……勇者の息子であるオマエの顔が、あんまりにも似ていて……時折、過去を思い出して、辛くて、薬の量が増えた……」
「…………」
「シキ。わたしには、世界で一番、愛している女の子がいて。誰よりも好きで、誰よりも愛していて、誰よりも失いたくない人がいて。今までのわたしの人生は、あの子のためだけにあって、その他にはなにもいらなくて、いつかはきっと結ばれるんだって、儚い希望を抱くだけで幸せで。
でも、でもね、わたしの愛するあの子は、最初から勇者に同行するヒロインAでしかなくて」
泣きながら微笑んで、彼女は言った。
「わたしの目の前で、何度も愛し合って、お約束みたいに――オマエの父親と結ばれていったんだよ」
急に小さく視えた勇者は、嗚咽を上げながら、シキに縋り付いた。
シキは、ただ、呆然と立ち尽くす。
泣き崩れた、勇者の泣き声を聞きながら。
ただ、シキは、真っ直ぐに。
目の前の虚空を――見つめていた。




