Not A Save
「……似てんなぁ」
「なにが?」
シキの顔をまじまじと見つめていた自称勇者は、ため息と一緒に、煙草の煙をぷかあと吐き出した。
「べつにぃ、なんでもねぇよぉ?」
「ねぇねぇ、いつ、修行、はじめるの?」
「しゅぎょぉ~?」
半ば強制的にメアリの手で入浴させられたにも関わらず、捻じくれ曲がった髪で顔を隠している彼は頭を掻いた。
「んなことより、メアリさんとオレ様が結婚できる確率について激論交わさね?」
「ゼロパーセント! はい、修行、しよ!」
「はい、今の発言で、オレ様のやる気もゼロパーセント」
如何にも身体に悪そうな緑色の煙、強烈な薬臭さにげほげほと咳き込んで、シキは涙目になりながら続ける。
「その煙、なんなの? すんごい臭いよ? せっかく、昨日のお風呂の後には、煙臭さが抜けてたのに」
「そういや、昨日と言えば……あの女の印象はどうだった?」
夜更けに勇者が呼びに来た時には、既に姿を消していた女性。彼女はこの自称勇者のことを知っていて、『勇者の言うことをよく聞きなさい』と言い含められていた。
「おじさんの知り合い?」
「まぁな。よく知ってるよ。なんで、この村にいるのかもな」
「綺麗な女性だったよ。おじさんとは正反対で、なんだか、お月様から下りてきたみたいだった」
ニヤニヤと笑っている自称勇者は、『ソイツの本性も知らないくせに』と言わんばかりでシキはむっとする。
「まぁ、あの女の言うことは聞いておいて損はねぇよ。オレ様とは正反対で、シキくんの大好きな美人なお姉さんだったみたいだしなぁ?」
「だったら、修行、はじめてよ。お母さんだって、おじさんがぼくに能力の使い方を教えるって言うから仕方なく家に置いてるんだよ」
「オレ様は、捨てられた犬かなんかか……」
嘆息を吐いて、自称勇者様は指を鳴らす。
途端、雷鳴が鳴り響いて――腰を抜かしたシキは、数メートル先の木に落ちた雷、そして燃え盛る木々を見つめる。
「今、オレ様は現術書素を書いてない。だが、魔法が発動した。
なぜか、わかるか?」
腹の奥底にまで鳴り響いた大轟音、冷や汗を垂らしたままで、シキは首を振った。
「現術書素ってのは、この世界との“対話”のことなんだよ。
本来、魔法使いたちが行使している魔法は、人の言語をこの世界が理解できる言語に置き換えているものだ。つまり、書式という翻訳機を通して、世界に命令を与えて実現させているわけだな。
オレ様のレベルにまで至ると、わざわざ、口でお伺いを立てなくても指二本で対話できるってわけだ」
「…………?」
理解できていないシキが首をひねると、猫背に半目の勇者はつぶやく。
「アヴェヴェ・ロ・コルプ」
「え、なに?」
「そこでしゃがめ」
シキは、命令に従ってしゃがむ。
「つまり、こういうことだ。
オレ様言語で『アヴェヴェ・ロ・コルプ』は、『そこでしゃがめ』を意味している」
「あ~! わかった! 魔法って言うのは、ただ、相手にもわかる言葉に置き換えるだけのことを言うんでしょ!」
「ガキンチョにしては賢い」
あいも変わらず、煙草をスパスパと吸っていた勇者は、しきりにこめかみを押さえながら顔を歪ませる。
「つまり……つまりだ……クソが、なんでそこまで似てる……違う……シキ、よく聞け……こういった魔法の事実関係には、大半の奴らは気がついてもいない……だから、オマエの能力を不気味がって遠ざけようとするわけだ……」
「う、うん、おじさん、大丈夫?」
水面から顔を出した人が空気を求めるかのように、青白い顔をした勇者は、必死の形相で煙草に吸い付いて緑色の煙を吸い込む。幾度も幾度もソレを繰り返すが、どんどん、身体の痙攣が激しくなってくる。
「オレ様から言わせれば……ソイツは、不思議な能力でもなんでもない……ただ、オマエには特異体質が備わっていて……人の言語だけではなくて、世界の言語まで理解ができるだけだ……一種のサヴァン症候群……どっかの学者が話していた、世界の法則を見通す能力だと思う……」
「お、おじさん、だいじょうぶ? ね、ねぇ、もう、しゃべんないほうがいいよ? お、お母さん、呼んでくるね?」
「い、いい、呼ぶな……フェリ……なんで……なんで、そんな男のこと……クソ……また、死ぬ……死ぬよ……いやだ、やめて……うぅ……もうやだよ……たすけて……たすけてぇ、ふぇりぃ……」
その場に蹲った勇者は、地面に頭を叩きつけながら、しきりに『フェリ』という女性の名を呼んだ。助けを求めるかのように、縋るみたいにして、子どもみたいな声で、慈悲を求めて涙を流していた。
駆け出したシキは、泣きながら母の腕を引っ張って、全身を小刻みに震わせながら泡を吹いている勇者の元へと案内する。
「ちょ、ちょっと、シキ、どうしたの!? お母さん、なくしちゃった白のワンピース、探すので忙しいんだけど!?」
「いいから!! 早くっ!!」
倒れ伏している勇者を捉えた瞬間、母の形相が変じる。
駆け寄ったメアリは彼の腕をとって脈を計り、地面に落ちている煙草と仕舞い込まれていた注射器の中身を改めていた。
シキは、煙草を手に取り――それが、“薬草”で出来ていることを知る。
「この注射器の中身も、薬草の成分を抽出して作られた薬……投与方法をわざわざ注射にしたということは、以前からこの症状が出ていて、より確実な効果の発現を求めた……一体、いつから……」
――薬草は、精神的な苦痛を和らげるのにも使われるのよ。依存性が高いから、あんまり、頻繁に使用したりするのはダメだけどね
薬草を採りに入った裏山で勇者と出会ったことを思い出し、彼がなんのためにあんなところで注射を打っていたのかを理解する。
もがき苦しんでいた彼は、注射を打ってから数分が経つと、穏やかな寝息を立て始める。
「……シキ」
ぼそりと、母はつぶやく。
「この人は、勇者ではないけれど……」
シキの母は、彼の腕を持ち上げる。
そこには、おびただしい数の注射痕と――『救わなかった』と書かれた題名の下に、人名がびっしりと刻み込まれていた。
「きっと、善い人だと思う」
シキは、知れず、頷いていた。




