上から来るぞ、気をつけろ
「起きてください……起きてください……」
窓から差し込む陽光、目を細める。
身を揺さぶられて起きると、勇者Ⅱ号の姿が視えた。
「……なんのつもりだそれ?」
彼女の黒髪の上にはふんわりとホワイトブリムがのって、白黒の色合いが美しいメイド服を着込んでいる。いつもの半目でジトりとこちらを睨んでいるが、格好も相まって可愛らしかった。
「よくわかりませんが、この服装で起こさなければいけない気がしました。なので、大変むかつきを覚えることに、シキさんのことをこの美少女スマイルで起動させることにしたのでした。まる」
「いや、だったら、せめて笑えよ……」
起き上がり、しわくちゃの着替えを手渡される。
「貴方のことを思って、ガッツ振り絞ってたたみました。どやぁ」
「…………」
一緒に短い旅をしていたことを思い出し、俺はとある夜に話した内容を反芻する。
「お前、確か、勇者として選ばれる前は、とあるお嬢様の従者をしてたって“俺に”話してたよな」
「なんですか、とても憶えてらっしゃいますね。もしかして、シエラに好意を抱いて、この艶めかしい肢体をご所望なんですか。なんて大胆なハレンチを繰り広げるおつもりなのか、びっくり仰天の助ですよ。いやん」
立て板に水。無表情でつらつらと口上を並べるⅡ号に感嘆を覚えながらも、俺はひとつの可能性に辿り着きつつあった。
「……マズいね」
「なにがですか?
とりあえず、シエラは、正当な目覚まし代として、こちらの衣服を頂戴しますね。むほほ」
そう言って、前日に着ていた俺の服を奪うと、シエラはとてとてと逃げていって――
『おいおい、そんなに走ったら転ぶぞ』
ものの見事にすっ転んだ。
手早く着替えを済ませた俺は、ずっこけているⅡ号から服を奪い取り、脇を通って階下に向かう。
「下着まで、本格的なんだな」
目を見開いたⅡ号は、バッとスカートを押さえて顔を真っ赤にした。
「え、えっち……」
「冗談だ。なにも視えてないから安心しろ。薄ピンク」
「み、視えてる!!」
後ろ手を振ってから、猫背の体勢で真鍮の手すりにつかまり、赤カーペットの階段を下りる。
魔王討伐の恩賞の一部だけあって、大都市のど真ん中に建てられており、内装も外装も豪華絢爛そのものだ。俺たち四人では持て余すくらいであるし、あのドジメイドⅡ号では、管理しきれないだろう。
まぁ、管理者は、俺な――
「おはよう、王子様」
一階、ダイニングルーム、優雅な物腰でテーブルに腰掛けている少女がいた。
彼女は紅茶を片手に本を読んでいて、金色の美しい髪を後ろで結んでいた。朝っぱらから銀色の鎧を身に付けて剣帯を腰にくくりつけている彼女は、蠱惑するかのように目を細めて、妖艶な笑みをたたえている。
「随分とお寝坊さんだね。柔らかいベッドの腕に抱かれて、幼少の頃合いを思い出していたのかな?」
「……なんで武装してる、“勇者Ⅰ号”」
「わたしには、『エフィ・ヴァーミリオン』という名前があるのだから、そちらで呼称してもらいたいものだね」
そう、目の前のこのキザったらしいのが勇者Ⅰ号……昨日まで『あの、その、えっと』という接続詞を多用し、おどおどとしていて、前髪で顔を覆い隠し赤面症を誤魔化していた少女である。
あいも変わらず、戦闘モードと日常モードの差が激しいヤツだ。まぁ人間なんて、時と場合によって、コロコロと性格や意思が変わるものだが。
「さて、ここが戦場でないと仮定すれば、麗しき乙女が鎧で身を包み剣を帯び紅茶を片手に本を読んでいるのは如何なる理由か……当ててみるかい?」
「第二、第三の魔王が現れたな?」
ぽろりと片手からカップが落ちて、慌てて彼女は床を掃除し始める。根本が変わっていないので、ボロが出やすいのは相変わらずだった。
「な、なぜ、わかった? 夜中に抜け出して、情報を集めてきたのかい?」
「俺が原因だからな」
困惑する勇者Ⅰ号に、俺は説明する。
「朝、従者服を着たⅡ号が俺を起こしに来た」
「……それが、なにか?」
「アイツは、旅の途中で俺に『とあるお嬢様に、従者としてお使えしていた』という伏線を話していた。そしてもし、この世界に美少女従者がいるとしたら、主人を毎朝起こしに来るのは“お約束”だ」
「…………?」
こういうことには疎いからなコイツ、理解できないんだろう。
「今、ココは、どこだ」
「うん? 館だが?」
「洋館と美少女従者はセットだ。
アイツは、俺の能力の影響を受けて、唯一の男である俺をご主人さまと見做し“お約束”を起こしてるんだよ」
「いや、でも……あ……!」
Ⅰ号が立ち上がり、半目の俺はそれをぼーっと眺める。
「俺の『お約束の誓約』は、言説と行動と状況によって成り立つ。俺の意思が第一だが、意にそぐわない“お約束”を引き起こすこともある。
魔王の遺言、憶えてるか?」
震える声で、彼女はつぶやく。
「だ、だが、忘れるな……例え儂を倒そうとも第二、第三の魔王が……」
「そうだ。恐らく、魔王の最期に言い残した言葉で、俺の能力が自動的に起動した。
俺が、輝かしい舞台も栄光も、権威も名誉も望まない理由はソレだ」
平坦な声で、俺は言った。
「使い方を誤れば、この世界が滅びる」
かち、かち、かち……古めかしい大時計が音を立てて、バァンという豪快な開閉音、ネグリジェ姿のⅢ号が現れる。
髪の毛はぐしゃぐしゃで、艶めいた腹と下着が丸見えになっている。ぽりぽりと柔らかそうなお腹を掻いて、彼女は豪快なあくびをした。
「ふぁあ……よく寝たぁ……ねー、エフィ、悪いんだけど、適当に飲み物でも入れて……くれ……な……」
俺とⅢ号の目が合った。
瞬間、彼女は、カーッと顔を紅潮させて「うぎゃぁあああああああああああああ!!」と叫んで部屋に引っ込む。
「つまり、こういうことが日常茶飯事だ」
「美少女との同居生活によるお約束……なるほどね、キミの周りは、神様が回ってるのか……」
またも強烈な音を立てて扉が開き、髪の毛を完璧に整えて化粧も施し、ドレス姿になったⅢ号が瀟洒な出で立ちで現れる。
「……あぁ、あんた、いたんだ。おはよ」
「よう、水色」
「うわぁあああああああああああああああああああああん!!」
またも、部屋に閉じこもる。暫くは、出てこないだろう。丁度いい。
「で、お前は武装して、ひとりで討伐しに行くつもりか?」
「出来れば、キミに付いてきてもらうつもりではあったがね。うん、そのとおりだ」
「……いや、その必要はないな」
小刻みに振動を始めた家具類、不吉な金属音が鳴り響き、不穏が天を覆い尽くして暗闇が訪れる。
「訪れた安息、目覚めた第二、第三の魔王、そして謎の振動や物音――」
そっと、俺はささやく。
「状況は整った」
俺は、上を見上げる。
『上から来るぞ、気をつけろ』
「え?」
上から来るとわかっている俺は、Ⅰ号を抱きかかえ跳んで――凄まじい衝撃と共に、床ごと地面が陥没した。