母は強し
「…………勇者?」
真っ白な雪のような髭を蓄えた村長は、村門の見張り番である若者をふたり控えさせ、シキの連れてきた『自称勇者』を見つめる。
「おっす! 久しぶりだな、クソジジイ! 生ける屍みたいな面しやがって! 今度は蘇らないように、丹精込めてトドメ刺してやろうかぁ? ぁあん?」
「……コヤツが、“彼”のわけがなかろう。
追い出せ」
筋骨隆々の若者たちは腕まくりをして、とてつもない臭気を発している自称勇者の肩を掴み――昏倒した。
「なっ!?」
それぞれに、打撲痕はひとつ。
昏倒したふたりには、急所である蟀谷に痕が焼き付いており、ただ突っ立っているだけにしか視えない彼はニタニタと笑っていた。
「随分と平和ボケしてらっしゃいますねぇ、みなさんはよぉ? オレ様が世界を救ってる間に、ムダにセックスばかりして、無能ばっかり増えやがったんじゃねぇのか? ガハハハッ!!」
「こ、子どもの前じゃぞ!? か、仮にも勇者を名乗るのであれば、口の利き方に気をつけんか!!」
「良いこと教えてやるぜ、学名、『ハゲアタマ』……オレ様は、そーゆー、『お約束』なんぞに囚われねぇ。
オレ様は――」
満面の笑みを浮かべた男は、シキと目を合わせて言った。
「オレ様だ」
シキは、なんとも言えない羨望を――彼に抱いた。
大笑いをして煙草を咥えた男は、村長に緑色の煙を吹きかけてから歩き始める。とことこと後をついていくと、くるりと振り向いた彼は、しゃがみ込んでシキの頭を思い切り掴んだ。
「クソガキぃ~、なんかよう?」
「ど、どこ行くの?」
猫背で半目の男は、ニヤニヤしながら言った。
「この村の若い娘を漁って、朝まで楽しい時間を過ごすんだよぉ。うらやましいか。オマエは混ぜてやんねぇ、ベロベロバ~!!」
「シキ!! そんなよそ者は、放っておかんかっ!!」
村長に怒られながらも、シキはドキドキと高鳴る胸の鼓動に合わせて口を開く。
「お泊りするところ、ある?」
「シキッ!!」
「オレ様のベッドは、この星そのものだ。スケールでけぇだろ?」
「う、うん……で、でも、屋根のあるところで寝たほうが疲れがとれるよ……」
頭をボリボリ掻きながら、前髪が長すぎて、まともに顔が視えない彼は言った。
「オマエ、身体、売ってんのか?」
「え……お手伝いはするよ……お母さんの……」
そう言った瞬間、彼の両目がキラリと光った。
「ほうほうほうほうほうほう! オマエ、母親がいるのか? へぇ~、ソイツはぁ、重畳。どうだ、なんだ、どういうタイプの女性だ。窓の近くで本を読みながら、ふと月を見上げる感じの令嬢か? もしくは、男勝りながらも、時たま、悲しげな眼差しをする麗しきご婦人か?」
「よくわかんないけど、世界で一番、美人だと思うよ!」
「……なんだか、突然、キミとお友だちになりたくなってきたなぁ」
がっしりと肩を組まれたシキは、男から漂ってくる血と薬と煙の臭いを鼻いっぱいに吸い込んでしまい、思わず咳き込んでしまう。
「オマエ、名前は?」
「シ、シキ……お、お兄さん、ちょっと臭いよ……」
「だっせー、名前だなぁ。インキくせぇ。まだ、タンキやソンキのほうがマシだぜ」
「ひ、人の名前は、バカにしたらダメなんだよ?」
「はぁん?」
男は、鼻で笑う。
「誰が決めた、そんなの?」
「……え?」
「誰が決めたんだよ、そんなお約束? そこのハゲアタマか? もしくは、オマエの美人な母親か? それとも、規律で人を縛りつけ、規範をもって社会を制し、規定を形作って歴史に名を残したお偉いさんか?
いいかよく聞け、美人な母親をもつガキンチョ」
とんとんと、胸の中心を指先で叩きながら、目だけが異様に光り輝いている男は言い募る。
「お約束ってのはな、誰かが得するためにつくられるもんなんだ。誰も得をしなかったら、絶対にお約束なんてもんは存在しない。どっかの誰かが、気持ちよく笑うためだけに我が物顔で存在してんだよ。
だから、自分が得をしないお約束なんてムシしちまえ。そんなもんクソの戯言だ。いいか。自分が得するお約束にだけ従え。オマエは奴隷じゃねぇんだ」
力強く、シキがよろけるほどの力で、男の握りこぶしが胸を叩く。
「意思をもて、シキ――奴隷になるな」
熱く、滲む。
ドクンドクンと、心臓の跳ねる音がしてきて、ぼうっと自身の身体が熱を帯びていくのを感じた。こんなことを言ってくる人は初めてで、だからこそ、異様なまでの高揚感を抱いていた。
だからこそ、シキは――試してみたかった。
『あーっ!!』
既にシキを置いて歩き始めていた男は――
『あぶなーっい!!』
唐突に転げ落ちてきた大岩に押しつぶさ――ひらりと避けて、つかつかとシキの方に歩み寄り――世界が弾ける。
殴られた、とわかったのは数秒後。
衝撃で息が詰まり、あまりの激痛に視界が真っ赤、嘔吐感が込み上げてくるほどにぐわんぐわん、お空がまばゆくなったりくらくなったり、意味不明の言葉がへろへろと口から出てきて、胸ぐらを掴まれて正気に戻る。
「……今のはなんだ、現術書素か?」
「ほへ……へ……へぇろ……」
「初対面時から、魅了らしき呪文をかけてきてたのは感じてたが……さっきのは、まるで別物だな……オマエは、書かずに魔法を発言させたのか……まるで、言葉だけで世界を捻じ曲げたような……なんなんだ、オマエ……」
「き、貴様!! シキを離さんかっ!! おいっ!! 誰でもいい!! 早く来てくれっ!! おういっ!!」
村長の必死な叫び声が聞こえてくるが、圧倒的な彼の力を垣間見ていた村人たちは、立ちすくんで遠巻きに見つめるだけだった。高価な武器と立派な鎧を装備している立派な剣士たちでさえ、見て見ぬ振りを続けている。
「答えろ。
今のは、な――」
パァンと、高らかに音が響き渡る。
どさりと尻もち、解放されたシキの視界がクリアになって、自称勇者の頬を引っ叩いたたったひとりの女性が目に映る。
「人の子どもになにしてんだ、殺すぞ」
シキの――母親であった。
いつもは朗らかで誰よりも優しいと言われる彼女は、ひとかけらの恐怖も見せずに、殺意を両目に宿らせて男を睨みつける。一歩たりとも退いたりしないと言わんばかりに胸を張り、シキを隠すかのようにずいっと前に出た。
沈黙が流れる。
突っ立ったままの自称勇者は、ぼーっと魂が抜け落ちたみたいに微動だにしなかった。あまりにも長い時間そうしているものだから、シキの母親は訝しげに眉根をひそめた。
そんな母を見つめた勇者は、ぼそりとつぶやく。
「……世界で、二番目に好きだ」
「は?」
「世界で!!」
自称勇者は跪き、まるで女性みたいに甲高い声で叫んだ。
「二番目に愛し――」
シキの母親の右拳が顔面を捉え、凄まじい勢いで鼻血が吹き出す。
その一発を契機に、村のご婦人たちが、手に手に物騒な調理器具をもって襲いかかる。あっという間に取り囲まれた自称勇者は、女性集団たちによる、視るも無残な暴行を受けてボロ布のようになっていく。
残酷な私刑を鑑賞してご満悦、ニコニコしている母親。
そんな母をシキが見つめていると、パッと表情が切り替わり、美しい笑顔の彼女は言った。
「それじゃあ、シキ、そろそろかえろっか?」
「……う、うん」
母は強し、これもまたお約束。
生まれてはじめて、シキは母親が怖いと思った。




