邪道
瓦解した魔王城は、闇に包まれている。
天井に大穴の空いた魔王の根城には、一筋の光が差していて――たったひとつの、“駒”を示していた。
勇者との戦闘によって、焼き焦げたボードゲームの駒。その古臭さと懐かしい感傷が噛み合って、自然と胸の奥から込み上げてくる“情”を感じる。狂おしいまでの感情に支配されかけて、必死に呑み下して空を見上げる。
青空の下、陽光を浴びながら。
俺は、どうしようもなくて言った。
「俺が……殺した……」
涙は出なくて、それでもう、自分はどうしようもないのがバレて。
――お約束だ
ただただ、虚しいまでの終わりを感じる。
「俺が……」
――次会う時は、オマエの番だな
「俺が……殺した……」
跪いた俺は、祈るようにして、その駒を抱き締める。
ただ、その祈りは神様には届かなくて。
きっと、魔王には――神なんていないのだと知る。
「俺が……俺が……」
泣き真似をしながら、蹲る。
――……大きくなったね
あぁ、やって来る。
「俺が……殺した……」
過去編が――やって来る。
ひとりの少年がいた。
彼の名前は、シキ。『フィーニスの村』に、母親とふたりで住んでいる。
フィーニスの村は、かの有名な勇者の出身地であることから『はじまりの村』とも呼ばれていた。世界各地から訪れる観光客向けに商いをする輩が多く住んでること以外、特徴のない村であった。
「おかあさんおかあさん!」
シキ少年には、他の子どもとは違う特徴があった。
「みんな、ぼくとあそんでくれないの……なんで……?」
「んぅん? えぇ? 大人気のシキくんがぁ? おかあさんが聞きたいくらいなんだけど、どうしてぇ?」
「お前と一緒に遊ぶと、身体が勝手に動くからやだって。勇者様ごっこしてるのに、いつも、魔王役のぼくが勝っちゃうの」
「…………」
「ぼく、ただ、『跪け、勇者たちよ』って言っただけだよ? わるい魔王みたいでしょ?」
「……シキは、難しい言葉を知っててすごいねぇ」
シキとの『ごっこ遊び』によって、夫が“この世界から消えた”ことを知っている彼女は、最愛の息子の頭を撫でながら言った。
「でも、もう、他の子と遊んじゃだ~め! かわいいかわいいシキは、お母さんが、独り占めしちゃうんだから!
ぎゅ~っ!」
「おかあさん、いだぃ~!」
「がまんしなさい~、おとこのこでしょ~、ぎゅ~っ!」
笑い合いながら、母子は抱き合う。
まだ幼い子どもであるシキにはわからなかったが、母である彼女にははっきりとわかっていた。自分には、最早、『シキ』というかけがえのない男の子しかおらず、彼のもつ能力によって失せた夫はもう帰ってこないことを。
「……シキ」
「ん?」
「お母さんと約束して……もう他の子と遊んだりしないって……村の人たちと関わったりしないって……約束して……」
「え~!? でも、僕!!」
「シキ」
真剣な顔つきで、彼女はシキを見つめる。
「約束して」
「…………」
「シキ……お願い……お母さんの一生のお願いだから……」
遊び盛りの息子に酷いことをしていると知りながら、涙をにじませた彼女は、愛らしい彼に言った。
「『お約束』して……誰とも深く関わらないって……感情的になったりしないって……ただ、普通に生きるって……『お約束』して……」
「……わかった、だから、泣かないで」
小さな指で涙を拭われて、思わず、もう一度抱き締める。
「シキ……愛してるから……お母さん、シキのこと大好きだからね……それだけは……それだけは、憶えておいて……いじわる言ってごめんね……ごめんね……」
「うん、だいじょうぶ」
満面の笑顔を浮かべたシキ少年は、小指を差し出して言った。
「お母さんのことは、僕が、絶対にしあわせにするから!」
「うん……そうだね……シキは、善い人になるんだもんね……」
屈んだ母親は、ちっちゃな息子と小指をからめる。
『お約束』
このお約束が結ばれて以降、シキは感情を表に出さないようになる。
他人との接触も可能な限り避けるようになるが、この頃の彼はまだ自身が大魔王であることを知らない。自動的に発動している魅了によって、異性から不自然な好意をもたれている彼は、どうすればいいのかとほとほと困り果てていた。
そんな時――彼は、出会った。
「……ぁあ~!」
発熱した母のために薬草を取りに行った山の中、恍惚とした獣のようなわななき声を聞いてぎょっとする。
好奇心から葦を掻き分けて、奥の方へと入ると――目をあらぬ方向に向けて、静脈注射を行っている男性がいた。
「えっ!?」
その恐ろしい迫力に尻もちをつくと、彼のさまよっている視線がシキに合う。注射器をカバンに仕舞った男は、ニタニタと笑いながら煙草を咥えた。
「おっす」
気さくに挨拶してくる男に対して、口をパクパクと開いていると爆笑される。
「あ、あなたは……だ、だれですか……?」
ボサボサでもじゃもじゃで、複雑怪奇に絡まっている黒色の長髪。いかにも臭いの染み込んでいそうな茶色のボロ布を身に纏い、お守りのようにしてロケットペンダントを首から下げている。
「視ればわかんだろ?」
浮浪者にしか視えない男は、口から緑色の煙を吐き出しながら言った。
「勇者様だよ、ガキンチョ」
中性的な声でそう言った彼は、ニヤニヤと笑いながら煙を吸った。




