俺の背後に立つな
「現術書素は、この世界の“法”を改変し、“魔”の領域を引き出す唯一の手段です」
イケメン転校生を装っている俺は、淡々とした教論の授業を聞く。
「魔法とは、本来、起き得るはずのない事象を発現させる御業です。本来であれば、使用するべきではない、過去の歴史においては使用を禁止されており、使い手が首を撥ねられた事例など幾らでもあります」
教科書を片手に俺の隣を歩いていた教師は、船を漕いでいる生徒を見かけてため息を吐く。
「現在では、完全な許可制となっており、このザンクト・ガレン魔法学園の最終目標は魔法行使のための国家資格の取得となっているのです。
いい加減、起きなさい。質問は?」
眠り込んでいた学生は、『空気よ、弾けろ』の現術書素で叩き起こされ、隣の席の友人に助けられながら問を発した。
「えぇと、つまり、この空中に書いてる文字列が、世界の書き換えみたいなもんなんですか?」
空中に色鮮やかな色味で描かれている『空気よ、弾けろ』を指差しながら、寝ぼけ眼の彼は言った。
「良い質問ですね。昨日の授業で、解説したばかりの内容でなければ。
そう。この世界には、起こるべきことが起こるという“完璧な理”が存在している。物理法則もまた、そのひとつ。指先を擦るだけで発火が起こるわけがないことは、皆さんは当然理解していると思いますが」
『火よ、起これ』の現術書素によって、指を鳴らした教師の手が、赤赤と燃え上がる。
「そんな常識――魔法には関係がない」
その熱に感化されたかのように、眠たげだった生徒たちは目を見開いた。
「つまり、この世界は、始めから『誰もが弄れるようになっている』んですよ。魔力という誰しもが内に内在する鍵さえあれば、真っ白な壁にクレヨンで落書きするみたいに簡単だ。子供にもできる」
女生徒の手が上がって、発言を許可される。
「でも、書式がありますよね。魔力の内在量によっては、空中に書き込まれる現術書素が異なる。同じ『火よ、起これ』を書き込んだとしても、とある凡人は種火程度でも、とある偉人は火炎になる筈です」
「ミス・クレア、君の小テストの点数に+5点を付け加えましょう。良い質問ですね。
もちろん、貴女の言う通り、魔力量の大小によって書式に違いが生じる。空中に書き込んだ、現術書素の見た目からして異なるわけです。ですが、今、話しているのは魔法の実現性の話です。
発現の精度や影響とは関係もなく差別なく、凡人だろうが偉人だろうが、凡才だろうが異才だろうが、凡庸だろうが異様だろうが――『火よ、起これ』で、世界は起こる」
授業終了のチャイムがなって、教師は教科書をバタンと閉じた。
「つまるところ、わたしはこう言いたい」
彼は、口端を歪めながらささやく。
「この世界はささいなことで移ろいやすく、誰かの妄想が世界を滅ぼしかねない。
だから――」
その先はわかりきっていて、俺は目を閉じる。
「最も力をもつ者こそが、この世界を終わらせる」
――その能力は、きっといつか、=で結ばれる
誰もが席を立って、食堂に向かっていく中……俺だけが、ただ、取り残されていた。
「うぅ……うぅ……うーっ……」
居室に戻ると、第三の魔王が突撃してくる。俺に抱きついてくるなり、腹に頭を擦り付けてきた。
邪魔なので引っ叩き、蹴飛ばして退けると号泣した。面倒くさい。
「な、な、なんで、いじわるするのぉお……! わ、わた! わた、わたし、ちゃ、ちゃんと、お、おるすばんしてだのにぃい!! な、なんで、いじわるす、る、のぉ、ぉ、ぉ、おっ……!」
泣きすぎて過呼吸を起こしたので、仕方なく背を撫でてやると、調子にのって首にすがりついてくる。背負投して窓の外に放り捨てると、数秒で上ってきて、泣きながら文句を言ってくる。
魔王だけあって、生存力だけはあるらしい。
「いい加減、泣くのはやめてくれ」
「おっ……おっ……おぇ……おぇっ……ひっ……おっ……!」
初対面時のカリスマ性は、どこにいったのか……恐るべき力で抱きしめてきて、半ば呆れながらも、背中を擦って嗚咽を吐き出させてやる。
ようやく落ち着いた第三の魔王は、俺の耳元で「ぐすぐす」言いながら、鼻水を人様の上着でぬぐっていた。ぶん殴ってやりたかったが、埒が明かないので、背をぽんぽんと叩いてやる。
「あの後、まともに話が聞けなかったんだ……頼むから、まともにしゃべってくれ……単独行動が過ぎて、最近は勇者三人組に疑われてるんだぞ……」
「……な、なにを話せばいいの?」
なんで、こんな子供を抱っこしながら、真剣に話をしなければいけないんだろうか……まったくもって、わからない。
「お前の目的は、学校に行くことだと言ったよな? ウソはないな?」
「…………うん」
『本当の目的はなんだ!? 言えっ!!』
「だから、ないって言ってるのにぃ……! な、なんで、う、うたがうのぉ、ぉ、ぉお……!」
お約束には、無反応。本当に、目的が『学校に行くこと』な――後ろから抱きしめられて、思わず『俺の背後に立つな』のお約束を発動しかけ――ひょっこりと、第二の魔王が顔を覗かせる。
「いいなー、ずるいなー、ボクも師匠に抱っこして欲しいなー」
『……次、俺の背後に立ったら殺すぞ』
両手を挙げて降参ポーズ、笑顔の第二の魔王は、スカートをつまんでお辞儀をする。
「かしこまりました、御主人様」
「いつから、つけてた? というか、お前、魔法大会のあたりから学園内にいたよな? あまり勝手を働くと、本気で殺すぞ」
俺の脅しを無視して、メイド服姿の魔王は目をぱちくりさせる。
「第三の魔王、殺さなくていいんですか? たぶん、正面からだったら、ギリ、ボクのほうが上回りますよ?」
びくりと、俺の腕の中で魔王が震えた。
「…………」
「え、『いずれ、殺す』とか答えないんですか。普通に嫉妬してしまうのですが」
お約束が発動したら、本当に後で殺すことになるからな。
「用件を言え」
「ボクにも彼女にも、真の目的はありますよ。ということをお伝えしたくて。
たぶん、彼女は、まだ目覚めたばかりだから知らないだけですね」
「……なに?」
「ボクらの真の目的は――」
嫌な予感がして、第二の魔王の口を塞ごうとし――
「大魔王の復活です」
「…………ふざけるな、バカ」
げんなりとして、文句を言える気力もなかった。




