第1話*4
静寂。
いつの間にか降りだした雨の音が部屋を満たしている。
緊張が解けたのか、その場に座り込んだ。
拍子抜け、だ。
一体何を期待してたんだろう。
自分の浅はかさが、おかしくてたまらない。
華美は静かに笑い始めた。
嬉しさも悲しさもない。それはただの嘲笑だった。
「くだらない…」
呟いて、立ち上がろうとした。
「………?」
違和感。
額に、何かを突き付けられているような感覚があった。
手で触れようとして、華美は気付いた。
姿見と自分の間に、何かがいることを。
「…ご自身で呼び出しておいて、くだらない とは心外ですね」
「!」
その声をきっかけに、部屋の気配が変わった。
暗い部屋に更に闇が沁み込み、示し合わせたかのように外の雨は強くなる。
華美の目の前に立ちはだかる黒い人物は、言う。
「常闇より導かれし魔人…。導いたのは、貴女ですか?…人間」
「魔人…?」
わけがわからない。
呆けている華美を一瞥して、“魔人”は尚も不思議そうに言う。
「偽りの契約に背き我の元へ…。新たな主と契を交わす為来たのですが…」
「契…」
「…状況の把握が必要みたいですね。まぁ、互いに顔も見えないのも何ですし」
そう言って、パチン と指を鳴らすと、たちまちあの闇の気配は消え失せ、一瞬にして部屋の明かりが点いた。
「な……」
一向に飲み込めないまま、華美はようやく姿を現した“魔人”と対峙することとなった。
雰囲気こそ威圧的なオーラを放っているものの、その姿はまるでおとぎ話に出てくるような、悪魔 死神…そういったものをどことなく連想させた。
黒く長く広がるマントに、銀の長髪。
何故だか恐怖のようなものは、感じられない。
「契…って何…?」
「貴女の願いを叶える為の、言わば交換条件みたいなものですよ。難しく考える必要はありません」
「願いを…かなえてくれるの?」
「はい。その為に呼び出したのではないのですか?」
「あたしは…」
―――あたしは、何も叶えてほしいことなんかない。
自分の家であんな現場に遭遇したことにどうしようもなく絶望して、本当かどうかもわからない噂に縋っただけなのだ。
実際に現れるなんて、思いもせずに。
「…我々は契約を交わしてこそ存在意義を持つ生き物。手ぶらでは…」
そこまで言って、ふと何かを思案するように目を細めた。
一息置き、漆黒のマントを打ち鳴らすと
「…猶予を与えましょう」
そう言って、“ある物”を差し出した。
「何…これ」
「短剣ですよ。貴女の願いが見つかるまで、それは預けておきます」
「どうして…?」
「本来なら、何らかの理由で契約が行われない場合は、その場で呼び出した人間を“消す”ことになっているんですが……貴女には、闇…迷い…自責の念…そういったものが視える」
「!」
「しばらく考えると良い。その間私も貴女の人となりを視させていただきます。現代へ使わされたのも初めてですしね」
「…もし見つからなかった場合は」
「…言葉にするのは少々残酷です。どうか、お察しを」
華美は、掌の短剣を見つめる。
鈍く重く光を放つそれは、魔人の言う“残酷”な結末を物語っていた。
銀色の鞘に、歪んだ自分が映る。
「…………」
真直ぐに、魔人を見据えた。
「…肯定と取ってよろしいですね?」
頷く華美。
それを確認すると、満足気に笑みを浮かべ、大仰な身振りでマントを広げる。
「…名乗り出が大変遅くなりました。我が名は 魔人 カルセオ。仮初めの縁ではありますが」
そう言って、すっ と手を差し出した。
紳士的、というよりは、やっぱり何かのおとぎ話の悪魔みたいだな、と華美は漠然と思った。
どこか演技じみた動作が、現実味を欠いているせいもあるのだろうか。
そんな事を考えながら、目の前に差し出された手を、取った。
すっかり麻痺してしまった頭で、何もかも手遅れなんだということに気付いた。
「あたしは、華美。早雲、華美」
カルセオは静かに微笑んだ。
呼応するように、雨は、強く降り続ける。