第3章 逃走―決断
シベリカ人労働者らが人質をとって立てこもっている水力ダム発電所内地下室では、治安部隊が取り囲んでからも、こう着状態が続いていた。
決まったパートナーがおらず一人で配置されているリサは、「長丁場になりそうなので適度に休みをとっていい」とファン隊長から言われていた。
つまり、それくらいリサの持ち場はどうでもいい場所ということを意味している。
そこは、犯人らが立てこもっている地下部屋から遠く離れており、外出口に一番近く、建屋から脱出しなければならなくなった時、出やすい場所でもあった。
建屋外の駐車場にも隊員が2名配置されていたが、そこはコンクリートで四方を囲まれているものの、車の出入り口側に仕切りはなく、外と直に通じている。そのためかなり冷え込み、持ち場としては悪条件だ。
「結局、私は一番ラクで安全なところに配置されているってことか……」
ため息まじりに独りごちる。
犯人は凶悪犯ではなく、ダム建設時の報酬や待遇に不満がある外国人労働者であり、主に交渉班の仕事になると上官らは見込んでいた。
特戦部隊は念のために配置に着くということで、リサには即席パートナーもつかなかった。
ただし万が一、自身または隊員や人質の命に危険が及ぶと判断された場合の犯人射殺命令は出ているのだが、まずそれはないだろう。
――今回、犯人確保には立ち会えないんだろうな。もしかしたらこの先もずっと……女の私は特戦部隊のオマケ扱いかも……。
リサは唇を噛みしめた。
犯人らは全員、目出し帽を被っていると聞いている。その姿を思い浮かべると、兄を殺した犯人と重なった。
兄の遺志を継ぐなど、うぬぼれもいいところ。
そう自分を責め、リサは疲れた体に鞭打ち、無駄と分かっていながら持ち場の警備を続けた。
・・・
ジャンとセイヤは、犯人らが立てこもっている地下部屋の天井にある通気口から中を観察していた。
すでに『人質の位置』は携帯画像通信機でファン隊長と各隊員らに知らせてある。
交渉班のほうは手をこまねいていた。犯人らは取引にはさほど積極的ではなく、こちらから働きかけても暖簾に腕押し状態で、彼らが何を求め、何が目的なのか、いま一つ分からずにいた。
が、しばらくして、犯人の一人が小型通信機のようなものを手に持ち、誰かと連絡をとっていることにジャンとセイヤは気づく。
――仲間と連絡をとっている?……彼がリーダーか。
連絡を終えたらしく、そのリーダーらしき犯人は手に持っていた小型通信機をしまったかと思ったら、いきなり銃を構え、銃口を人質に向けた。引き金に指をかけ、今まさに人質を撃とうとしている。
手足を縛られて地べたに座らされている人質らは顔面を引きつらせた。
ジャンは慌てた。
通気口には細かい目の金網が取りつけられているので銃は使えない。
セイヤはすぐに『人質危険』の信号をファン隊長および各隊員らに送る。
しかし仲間の犯人らが騒ぎ始め、リーダーを止めた。「話が違う」「人質に危害を与えるとは聞いてない」「重犯罪を行う気はない」「パフォーマンスではなかったのか」「トウアの治安部隊が取り囲んでいる。人質に危害を加えれば突入され銃撃戦になるかもしれない」「我々の命が危なくなる」「あれぽっちの報酬で我々を危険な目にあわそうというのか」とシベリカ語でまくし立てていた。
仲間割れか?――セイヤは少しならシべリカ語が理解できた。
どうやら、あのリーダー格がダムの建設に関わったシべリカ人らを誘い、この立てこもり事件を主導したようだ。
ならばリーダーのみターゲットにすればいい、残りは雑魚というか、もともと大それたことをしようという気もなく、金に釣られただけのことだ。そして強制送還を目論み、無料でシベリカ国に帰るのが目的なのかもしれない。
だが犯人らは皆、同じ機種の銃を持ち、同じ目だし帽を被り、服はもちろん靴に至るまで全て同じ格好をしているので、混戦になった時にリーダーを見分けるのが難しい。
リーダーは先ほどの通信機をズボンの後ろ側ポケットにしまい込んでいたが、その膨らみはわずかなもので遠目では分かりづらく、そもそも犯人の正面からでは見えようがなかった。
とりあえずセイヤは、犯人らが仲間割れしていること、リーダーのみターゲットにすべきだということを手話でジャンに伝えた。
その時、一瞬、リーダーがこちらに顔を向けた。
リーダーは天井裏に治安部隊の隊員が潜んでいることをとっくに知っている――セイヤは嫌な予感がした。
そもそも彼らはここを造った外国人労働者であり、自分たちが立てこもっている地下部屋の天井裏がどのようになっているか、構造も分かっているはずだ。治安部隊が通気口から観察していることは、彼らには織り込み済みなのかもしれない。
しかしそれは『この人質立てこもり事件が世間の話題になるためのパフォーマンスである』ということが前提だろう。
人質に危害を加えるマネをすれば、天井裏の通気口から観察している隊員は、当然そのことを連絡し、治安部隊は人質救出のために突入することになり、銃撃戦になる可能性が高くなる。
それなのにリーダーは、ほかの仲間たちとは違い、妙に落ち着き払っている。そのことにセイヤは違和感を持った。こういったことは何度も経験しているかのようだ。
また犯人らが皆、靴に至るまで同じ格好ということにもひっかかりを覚えた。リーダーとほかの犯人らの見分けがつかないように、あえてそのようにしたのではないか?
セイヤのこめかみから冷や汗が流れる。
――リーダーはただの外国人労働者ではない? こういうことに手馴れている?
――まさか、人質を撃とうとしたのは天井裏に潜んでいるオレたちに見せるため?
――なぜだ? 人質に危害を加えるマネをすれば、特戦部隊が突入して銃撃戦になるかもしれないのに。
――いや、もしかしてそれが目的なのか? 銃撃戦に持ち込みたいのか?
――オレたちは罠にかかってる? だとすると突入に待ったをかけるべきか?
――でも、オレの憶測に過ぎない。その間に本当に人質が殺されるかもしれない。
セイヤの脳はめまぐるしく動いたが、どうするべきか判断できなかった。
ジャンも、犯人らのリーダーのみをターゲットにするように各隊員らへ伝えようとしたが、リーダーの特徴をつかみきれないでいた。
――皆同じ格好しやがって……どう伝えればいいんだ?
そうこうしているうちにファン隊長から各隊員に『突入サイン』が送られてきた。
『人質救出を最優先』
『次に犯人確保。人質および隊員らに危険が及ぶようであれば射殺せよ』
ジャンは突入に待ったをかけようとしたが、その時、リーダーは仲間たちを振り切り、再び銃口を人質に向けていた。
人質救出が優先だ。今すぐ突入すべき――ジャンはそう判断した。
と同時にファン隊長から突入命令が下された。
犯人らが立てこもっている部屋のドアが爆破され、外で待機していた突入班が動いた。
突入班の隊員らが部屋になだれ込むのを牽制するように犯人側が発砲する。
ついに銃撃戦が始まった。
・・・
突入命令を聞いたリサはファン隊長に指示を仰いだが『そのまま待機。次の指示を待て』という命令がきたきりだった。
この場を動けないことにヤキモキしつつ、セイヤのことが気になっていた。新人に無茶はさせないだろう、と思いつつ、首にかけたお守りに触れる。
そう、それはセイヤからもらったものだった。
――立てこもり事件への出動要請がきた時――
現場へ飛ぶヘリを待っている間、セイヤが近づいてきた。
セイヤとはずっと気まずいままだったので、リサは視線を避けた。
が、セイヤは意に返さず、目の前にやってくると「これ、もらってくれるかな」と胸ポケットからロケットペンダントのようなものを取り出した。ありふれたデザインだったものの、海を思わせる碧色が印象的だった。
「何?」
「その……お守りとして身につけてほしい」
「どうして?」
「お守りだから」
「……」
「頼む」
セイヤは頭を垂れた。
そのままセイヤは顔を上げようとせず、お守りをリサに差し出していた。リサが受け取らなければ、ずっとその姿勢を貫くつもりのようだ。
「……どうも」
ためらいながらもリサはお守りを受け取った。
友人はいらない、セイヤと距離が縮まなくてもいいと思っていたけど……やっぱり仲直りしたかった……せめて挨拶が交せる程度に。
孤独を貫けない自分の弱さを呪いながらも、お守りを身に着けるくらいであれば、セイヤに迷惑をかけることはないだろう……。
そう心の中で言い訳しながら、リサはぎこちなくお守りを首にかけた。
セイヤはホッとした様子を見せていた。
それにしても――どっちかというと論理的で現実的な思考をするセイヤが『神頼みのお守り』とは……ちょっと意外だなと思いつつ、お礼を言おうと言葉を探している間に、セイヤはジャンのもとへ戻ってしまっていた。
結局、お礼を言ってない。
この任務を終えたら、お礼だけはちゃんとしよう――リサはお守りを握った。
・・・
特戦部隊突入班が、犯人らが立てこもっている倉庫室に突入する際、煙幕が張られた。
今、室内は白い靄で何も見えない。
突入班の隊員らは身を伏せつつ移動し、人質の救出に向かう。
そこへ何発もの乾いた発砲音が重なった。隊員らに向かって犯人側から銃撃が続けられたので、やむなく隊員らは応戦する。
「やめてくれ」――シベリカ語が聞こえた。
もしかしてリーダーだけが隊員らに銃撃を加え、わざと銃撃戦に持ち込もうとし、ほかのシベリカ人労働者らはそれを止めようとしているのでは、と推測できた。
――あのリーダーに銃撃戦を仕組まれた?
――そして、シベリカ人労働者らもリーダーに騙されていた?
――でも、なぜだ? リーダーは一体、何が目的だ?
セイヤの疑問は大きく膨らむ。
その時、大きな爆発音がして何かが崩れる音がした。
煙幕のせいで、天井裏の通気口にいるジャンとセイヤは何も見えなかった。
今考えれば、天井の通気口からリーダーと思われる犯人の動きを観察し、リーダーのみターゲットにするよう突入班の隊員らに指示する方法もあったが、これではそれもできない。
「クソ……突入班に煙幕を張らせるべきではなかった。全て後手後手に回っている」
ジャンは頭をかきむしる。
――壁を爆破した?
セイヤは爆発音がしたほうをじっと見据えた。
やがて煙幕が薄くなる。
思ったとおり、廊下に通じる壁に大きな穴が開いており、その時にはもう、犯人側からの銃撃は止んでいた。
逃げられた? ジャンとセイヤは焦ったが、犯人らの姿があちこちで確認できた。
先ほどの銃撃戦で倒れている犯人もいたが、残りは銃を手放し、両手を上げて膝をつき、投降の意思を示していた。
突入した隊員らは人質の無事を確認し、犯人らの怪我の具合を見ながら身体を拘束していった。2名が重傷を負い、1名は死亡していた。
しかし、犯人は14名しか確認できなかった。
――あのリーダー格の犯人がいない。
セイヤはすぐにファン隊長と各隊員らに知らせる。
と同時に、廊下のほうから何発か銃声がした。
別場所で待機していた隊員と、あのリーダー格の犯人が接触したのだろうか。そう思った時、セイヤは青ざめた。
――リサは今、どうしている?
・・・
銃声が聞こえ、何かが倒れた音がした。
特戦部隊の隊員らは全員、防弾ベストを着用しているが、撃たれれば命は無事でも、着弾の衝撃で気絶する。
それからまもなく、何者かが走ってくる足音が近づいてきた。
どうやら撃たれたのは隊員の方だったようで、足音の主は犯人のようだ。
『犯人一人逃走』という知らせを受けていたリサは銃を構える。
――ここを通らなければ外に出られない。犯人は必ずここに来る。
廊下の向こうから人影が見えた。目出し帽を被った犯人だ。
が、すでに犯人も銃口をリサに向けていた。
リサはとっさに横に飛び、壁に身を隠す。
足音が近づいてくる。リサは身を潜ませながら、再び銃を構えた。
人影を確認したが、犯人の発砲が早かった。威嚇の発砲だったのだろう。リサは思わず身を縮ませてしまった。筋肉が硬直し、動きが鈍る。
――手馴れている。これは、ただの出稼ぎ労働者ではない?
リサのこめかみから冷や汗が流れる。
その間に、犯人は外へ通じる階段を走り抜けた。
今度こそとリサは追いかけ、犯人を狙う。
その時『殺せば、一生、重い十字架を背負うことになりますよ』というサギー先生の言葉が頭をよぎる。一瞬、ためらいの気持ちがリサを支配する。発砲したが、犯人には当たらなかった。
それからもリサは、犯人を追いかけては発砲したが、やはり外してしまった。
犯人を止めるために足を狙っていたのだが、なかなか当たらない。犯人も命中させじとジグザグに動きながら走っていた。
「あれだけ訓練したのに」
リサは焦った。仕方なく、的が大きい胴体部分を狙う。
しかし、またもや――サギーの言葉がリサを縛る。
『あなたは血に染まった手で、ご飯を食べることができますか?』
――いえ、どんなことをしてでも、私は兄さんの代わりに犯人を捕まえなければ。
リサは撃つ。
でも当たらない。どうしても当たらない。焦りが冷静さを奪う。
その後も、威嚇にもなると何発も発砲したが、犯人の足を止められなかった。
銃を構える度に足を止めるリサと犯人の距離は開く一方だ。
焦燥感に駆られながらリサは犯人を追う。
途中、ファン隊長に指示を仰ごうと思ったが、やめた。きっと隊長は待機を命じるだけで、ほかの隊員を動かすだろう。
リサは通信機を完全に切ってしまった。これでファン隊長から横槍が入ることもない。
犯人は地上の駐車場に出ていた。
そこには防寒着を着込んだ2名の隊員が待機していたが、犯人に発砲され、隊員らは身を伏せるしかなかった。
駐車場には数台のスノーモビルが並んでいる。ほかのスノーモビルは発電所職員用のものだが、予め1台だけ逃走用に用意してあったのだろう。犯人はその中の1台に乗り込み、懐からキーを取り出していた。
治安部隊は、犯人らが乗ってきたと思われる3台のバンについては確保し調べていたが、駐車場に並んでいたスノーモビルまでチェックしていなかった。発電所職員用のものとして見逃していた。
犯人が発砲を続けたため、駐車場に配置されていた隊員は身を伏せたまま何もできない。
そもそも単なる出稼ぎ労働者が、銃撃戦でプロの特戦部隊の隊員らを蹴散らし、外に出てくるなど想定外であった。
治安部隊側は完全に油断していたのだ。
犯人を追いかけてきたリサは、ちょうど犯人の後ろに位置していた。「今度こそ」と狙いを定め、引き金を引く。
しかしもう弾切れだった。
犯人のスノーモビルにエンジンがかかる。
弾を込める時間はない。リサは犯人に向かって走った。発電所職員用の他のスノーモビルも並んでいたが、キーがなければ動かせない。
――決して逃がさない。
リサは思わず犯人のスノーモビルの後ろ側に手をかける。犯人はハンドルを握っているので何もできない。
スノーモビルが走り出す。
と同時にリサは後ろに乗り込み、そのまましがみついた。
リサが一緒に乗り込んでしまったため、駐車場に配置されていた隊員らは犯人に発砲することができず見送るしかなかった。
駐車場を出たスノーモビルは走り去り、あっという間に見えなくなる。
時は夜深く、暗闇に包まれた外は猛吹雪だった。
・・・
銃声を聞いてから、すぐにセイヤとジャンは天井裏を移動し、通気口へ戻って、そこから廊下へ出た。
地下倉庫室へ向かう途中、犯人に撃たれた隊員を見つけ、介抱していた時『犯人1名、スノーモビルで逃走。その際、女性隊員が犯人のスノーモビルの後ろに乗り込んでいった』との連絡が入ってきた。
「え、女性隊員ってリサのことだよな」
ジャンはセイヤを見やる。
セイヤは即座に、上着についている複数のポケットの一つからタブレットパネルを取り出していた。
「ん、それは?」
ジャンの質問に答えず、セイヤが呆然とした様子でつぶやいた。
「リサが……ここから離れて……移動している」
セイヤの持っているタブレットパネル画像には、表示された地図上に点滅している光が徐々に移動している様子が見て取れた。
「ん? まさか、お前、リサに発信機でもつけていたのか?」
「はい……」
「彼女は発信機がついていることを知っているのか?」
「いえ……たぶん、知りません」
「うおっ、一歩まちがえれば完璧に嫌われるようなストーカーじみた行為を……リサを見守るためとはいえ、すげえな、お前。いや、でも今にしてみれば正解だったぜ、それ」
ジャンはすぐにファン隊長に連絡を入れた。
「犯人のスノーモビルに乗り込んだリサを追わせてください。彼女には発信機がついているので確実に追えます」
しかし、隊長の答えは『ノー』だった。
『外は猛吹雪だ。暗闇の中、我々は悪天候の冬の高山を移動する万全の装備をしていない。遭難の可能性がある。よって救助隊を要請する。以後、救助隊が到着するまで待機』
「このままじゃリサが危険です」
ジャンは食い下がる。
『リサは私の指示を仰がず、勝手な行動に出た』
隊長は冷たく言い放った。
『待機だ。彼女を追うことは許可しない。これは命令だ』
隊長は考えを覆す気はない。
「どうする?」
困ったようにジャンはセイヤを見やる。
「追います」
セイヤは即答した。
救助隊も風が弱まるまで動けないはずだ。すぐに動いてくれるわけではない。そして基本、高山地帯では夜に救助が行われることはない。朝になるまで待つ可能性が高い。
「命令違反になるぞ。後で相当の処罰が待っている」
「かまいません」
「遭難の危険性もある」
「必ず生還します」
「思いだけじゃ説得力ないな。その根拠は?」
ジャンはため息交じりに問う。
「オレも発信機をつけます。ここの職員に頼んで、防寒装備をし、スノーモビルを借ります。先輩は救助隊を待って、オレの信号を受け取りながら、後から救助隊と共に追ってください」
セイヤはもう一台用意しておいた発信機の信号を受け取る受信パネルを取り出し、セットしてジャンに渡す。
「リサを連れて還ることだけを考えます。犯人逮捕は頭にありません。犯人がリサを置いて逃げてくれればいいと思ってます。ただ、犯人がリサやオレに危害を加えようとすることもありえます。その場合は射殺します。リサとオレが生き残る最善の道を選びます。決して無茶はしません」
早口で一気に話す。セイヤは、ジャンを説得しようと必死だった。
ジャンは携帯用受信パネルを見ながら、感心したように言った。
「もう一組、発信機と受信機を持ってきていたのか。用意周到だな」
「いざという時の命綱ですから、予備を用意しておくのは当然です」
セイヤは何でもないことのように応えたが、ジャンはその慎重さに舌を巻く。
こいつならば行かせても大丈夫か――気持ちが動いた。
それに……命令違反をしてでも、命がけで女を救いに行くなんて熱いぜっ、これぞ男の花道だぜっ――と『漢ジャン』は大いに共感していた。
しかしそう思う一方で、やはり迷ってもいた。仲間の援護もなく、暗闇の猛吹雪の中、新人のセイヤだけを行かせるのはあまりにもリスクが高すぎる。
「う~ん、先輩としてお前を止めるべきなんだろうけど」
「行かせてください」
セイヤは頭を下げ続けた。
しかしジャンは、セイヤが銃のホルスターに手をかけていることを見逃さなかった。
「お前……オレが力ずくで止めようとしたら、それを抜くつもりか?」
「はい」
顔を上げたセイヤは微塵も揺らぐことなくジャンを見据えた。
その鋭い眼光に思わずジャンはたじろぐ。
「そんなことをすれば懲戒免職では済まなくなる。実刑食らうぞ」
「かまいません」
セイヤはジャンを見据えたまま、手もホルスターにかけたままだった。
――こいつは本当に銃を抜く。オレを失神させるために、オレの防弾ベスト上に発砲してでも行くつもりだ――ジャンはセイヤの強い覚悟を思った。
「止めてもムダか。……ま、リサのことも放っておけないしな」
苦笑しつつ、ジャンは頭に手をやった。
「でも、お前を行かせるオレも命令違反することになっちまうなあ」
天井を仰ぐジャンに、セイヤは再び頭を下げる。
「すみません。オレが先輩を脅して、仕方なく協力したことにしてください」
「どうやってオレを脅したことにするんだ? さすがに『銃で』は無しだぜ」
「オレが先輩の弱みを握っていることにしてください。女性関係が適当だと思います」
「お前、しれっとよくそんなこと思いつくな。仕方ねえ、それで口裏を合わせておくか」
「本当にすみません」
「この借りは大きいぜ」
それから――
ジャンは、順番に事情聴取をされている発電所職員らの一人とこっそり接触した。
「実はこれから隠密作戦があるから協力してほしい。機密扱いなので口外しないように」と適当なことを語り、防寒着など備品が納められているロッカーの鍵とスノーモビルのキーを借りた。
スラスラとでまかせを言うことについて、ジャンは天才的だった。
その時、ほかの隊員から「おい、何している? 持ち場はここじゃないだろう」「ファン隊長から呼ばれているだろう」と声をかけられた。
「ああ、トイレ探していたら迷っちまってなあ」と何とかごまかし、ジャンはセイヤの背中を押して、隊員らから離れた。
セイヤはタブレットパネルを見つめていた。こうしている間にもリサはどんどん移動し、ここから離れていく。
すぐにでも出発したかったが、発電所職員のロッカーから防寒着をリサの分と二着取り出し、できる限りの装備を整えた。遭難すればリサを助けることもできず、協力したジャンも責めを負う。
それでも今、リサはどういう状況なのか、気が気ではなかった。
逃走している犯人は単なる出稼ぎ労働者でない。こういったことに手馴れている。
そう、あのリーダーは逃げる途中も、待機していた複数の隊員らを銃撃して命中させた射撃のプロだ。この手の相当な訓練を受けてきたのだろうか。
そんなテロリストのような犯罪者とリサが一緒にいる――そう考えると吐き気がしてきた。
セイヤとジャンは駐車場へ向かった。
駐車場に配置されていた隊員はおらず、ファン隊長のもとへ引き上げていた。今、彼らは事情聴取されているはずだ。
「慎重なお前なら大丈夫だと信じて行かせるんだからな。気をつけろよ」
ジャンはセイヤの肩に手を置いた。
「本当ならお前一人で行かせたくないが、お前の信号を受け取って、救助隊をそこへ案内する役がどうしたって必要だからな」
そう言いつつもジャンは思う――いや、自分も一緒に行っても、後から発信機の識別データをファン隊長や救助隊に伝えれば、追跡できるだろう。
心情的には自分もついていきたい。
だが、それをやれば上官の命令に完全に背くことになる。ファン隊長の命令は正しい。本来ならば命令は順守すべきだ。
自分が協力できるのは、万全の装備をさせてセイヤを行かせること。譲れるのはここまでだ。
これはジャン自身のけじめの問題だった。
「ありがとうございます。この借りは必ず返します」
「おう、必ず返せよな。……必ずだぞ」
「行ってきます」
セイヤはジャンに背を向けた。
その時「訊いておきたいことがある」とジャンがセイヤの背中に声をかけた。
セイヤが振り返ると、ジャンは何かを見定めるように問う。
「お前はリサに惚れているのか?」
「はい」
セイヤは迷いも見せず、はっきり答えた。
「よし、行け」
ジャンはセイヤを見送った。