第3章 特戦部隊出動―先生の正体
トウア水力発電ダムは標高1480Mにあり、その周りを3000M級の高山に囲まれているため、晩秋から中春までは深い雪に覆われ、一般人の通行はほとんどなく、そこは閉ざされた場所となる。
早朝、出動要請を受けて、セイヤとリサが所属する治安局中央地区特戦部隊は現場に急行した。
平野部では過ごしやすい秋の季節だが、ここ高山地帯はすでに雪の厚化粧と化しており、身がすくむような寒さに覆われていた。
朝日を浴びて銀白色に輝く連なる山々を背景にしたダムの雪景色は荘厳だった。発電所建屋から見える下部貯水池は碧空を映し込み、晴天の日の深い海の色を思わせる。
その水力発電所建屋の地下倉庫室に、夜間勤務していた発電所職員5名を人質にとり、シべリカ出身の外国人労働者ら15名が立てこもっていた。
このシベリカ人労働者らはこのダム建設に関わっていたそうだが、その報酬や待遇などが約束と違っていたとし、そのことを世に訴えるために事件を起したようだ。
確かにダム建設の労働は大変だっただろう。
だからこそ相応の報酬が支払われたはずであったが、彼らにしてみれば不当だ、騙された、条件が違ったという。
ダムが建設され工事を終えたのは1年前のことだったが、不満があったならば訴訟を起こせばいいのに、裁判という正当な方法をとらず、犯罪という反社会的行為で訴えるというやり方を選んだ。その上、彼らは銃を手にしており、最悪、治安部隊と銃撃戦にでもなれば、彼ら自身の命も危険に晒される。
なのになぜ、いきなりそんなハードな道を選んだのか――セイヤはこの点が少し不可解だった。
「マスコミの話題になり、世に広く知らしめたかったかもしれないな。さっそく外国人の人権を守る市民団体から抗議がいっているだろうよ。銃撃戦にでもなって犯人を射殺したら、こっちが悪役にされかねない」
ファン隊長から指示された持ち場に向かいながら、ジャンがこぼした。
「いや、さすがに銃撃戦にはならないんじゃ……彼らだって命は惜しいでしょうし。銃を持ち出したのは、先輩の言うとおり、世間に注目されるための彼らのパフォーマンスと考えるのが妥当かもしれません。だとするとオレたちの出番はなく、交渉班の仕事になりそうですね」
セイヤもジャンの後を追う。
「オレらは念のために配置されるってとこか。ま、ちょっと退屈だけど仕方ねえな」
「彼らを逮捕しても、情状酌量ということで軽い刑で済ませて、後はシべリカ国に強制送還しておしまいにするんじゃないですかね」
「あ~、早く帰りて~、あいつら、さっさと投降してほしいよな。もう世間では大騒ぎだろうから目的果たしただろうに」
そう愚痴りながらもジャンは上にある通気口を開けて中に入り、犯人らのいる地下部屋の天井裏を目指す。
この天井裏は配管やケーブルも通っており、メンテナンスや清掃などで複数の人間が立ち入り作業しやすいように広め高めに設計されていたので、移動もラクで、二人の人間が入り込んでも余裕で行動できる。
――リサはどうしているかな。
ジャンに続きながらセイヤはふと思いを巡らす。
リサは、犯人らが立てこもっている部屋から、けっこう離れたところに配置されている。とりあえず安全な場所なのでホッとしつつも、リサにはパートナーがつかず、一人で持ち場に行かされたことが気になっていた。
リサの持ち場は、これといって重要な場所でもないので、人員をそちらに割かなかったのかもしれないが――
「新人を一人で配置させるなんてな」
思わず独りごちてしまった。
特戦部隊も決して人が余っているわけではなく、限られた人員で事件解決に臨まねばならなかった。トウア国の財政も厳しく、治安局への予算が削られている。それは人件費の削減へとつながり、それぞれの部隊は人員の数を減らされていた。
もちろん、トウア国は年々治安が悪化しているため「治安部隊を強化しよう」という動きもなくはなかった。
しかし――「治安局にもっと予算をつけ、治安部隊の人員を増やしてこそ治安が守られる」という意見に対して――
「治安悪化は貧困層が増えたせいであり、まず社会保障や福祉関連へお金をかけるべき。治安部隊を強化しても対処療法でしかなく、治安悪化の根本的な解決にならない」という意見が勝っており――
治安局はいま一つ世論を味方につけられていない。
なのでトウア国政府の動きも鈍かった。
「ん、リサのことが心配か?」
セイヤのつぶやきが聞こえたのか、ジャンが声をかけてきた。
「ええ、まあ」
一応、肯定しておく。
「今回は大丈夫だろう。そう大事にならないと踏んで、リサを一人で配置させているんだろうし、万が一銃撃戦になっても、リサのいる場所なら巻き込まれることもない」
「そうですよね」
「あ~、早く帰りてえ~、どうせオレたちが命がけで働いたって、世間さまはあんまり認めてくれないんだし」
ジャンの緊張感のないぼやきは続いたものの、目的場所が近づくとさすがに口を閉じ、静かに移動していった。
・・・
歴史を感じさせる荘厳な佇まいの煉瓦建築物が並ぶトウア国立大学構内。
この大学の歴史学科に在籍しているルイは朝早くに受講を終えていた。これから自分が所属する研究室に閉じこもり、そこで旧アリア国関連の資料を読み漁る予定だ。
瀟洒な柱が並ぶ回廊に囲まれた中庭では、紅や黄に色づいた葉が秋の陽光を浴びながら舞い落ち、教授や学生たちの目を楽しませていた。
が、その中をルイは脇目もふらず横切り、研究室がある別館へ入っていく。
明るい日差しを遮る館内はひんやりとしており、思いのほか暗かった。エレベータを待つ時間も惜しく、そのまま階段を上る。2階に並ぶ部屋の一つが、近代歴史学研究室だ。
ルイは早朝から報道されていた『発電所立てこもり事件』のことが気になっていた。研究室に着くなり、さっそく部屋の隅にあるテレビを点けてみる。
どのチャンネルも特番を組み、生放送でこの事件を中心に扱っていたが、今のところこれといった動きはなく、こう着状態が続いているようだった。
その時、研究室のドアがノックされる音がした。
テレビを消し「はい」と返事をしながらドアを開けると、そこには養護施設付設学校の担任だったあのサギーが立っていた。
「久しぶりですね。ルイ」
ルイを見つめ、サギーがニッコリと微笑む。
突然のサギーの訪問にルイは戸惑いを隠せなかったが、とりあえず笑顔を作る。
「……サギー先生、ご無沙汰しております」
「ここにいると聞いて……アポイントも取らず、ごめんなさい。元気そうで何よりです」
サギーはいかにも着古した風な毛玉の付いたカーディガンにロングスカート姿で、相変わらずやぼったい身なりをしていた。眼鏡もそのまんまだ。
「おかげさまで」
挨拶もそこそこに、ルイは客用テーブル席にサギーを案内する。
「さっそく本題に入らせてもらうけど、今日、あなたを訪ねたのは急ぎのお願いがあるからなの」
椅子に腰かけたサギーはお茶を用意しようとしたルイを止めた。
「何でしょう?」
ルイもそのまま席に着く。
「ええ、実は……」
神妙な面持ちとなったサギーはこのようなことを話し始めた。
――最近トウア国の治安が悪化し、政府は治安部隊強化のために治安局への予算を増加しようとしている。
しかし、そんなことをしても問題の根本は解決しない。
治安悪化は国の経済が低迷しているせいであり、労働力不足が原因なので、その対策として外国人の移民をもっと受け入れ、外国人の権利を充実させることが大事である。
また貧困対策にも力を入れるべきで、治安部隊を強化するよりも、社会保障や福祉関連へ予算を回したほうがいい。
このようにトウア国は治安部隊強化よりもやるべきことがたくさんあり、治安部隊強化は優先順位の上位ではない――と。
「政治のお話をされても、私には手助けできることなどありません。私の専門は歴史ですよ」
ルイは首を傾げる。
が、サギーは頓着せず話を続けた。
「ええ、分かってます。今、シべリカ国から出稼ぎにきた労働者たちによる水力発電所立てこもり事件が起きているのは知ってますね?」
「あ、はい」
立てこもり事件のことは、ニュースで朝からずっと報道されている。もしかしたらセイヤとリサも出動しているかもしれないと心配だった。
リサとはたまに連絡をとっており、二人が特戦部隊に所属していることは前々から聞いていたルイだが、もちろん今回、二人が出動しているかどうかは分からない。部外者のルイに知りようがない。
でも、セイヤたちの所属する治安局中央地区管轄内で起きた事件だ。
そんなルイの心を読んだように、サギーはこう言った。
「あなたもセイヤとリサが心配でしょう。彼らは結局、治安部隊に入ってしまいましたから」
「ええ」
思わずルイは頷く。
「セイヤとリサのためにも、あなたに協力してほしいのです。正義のために立ち上がってほしいのです」
「一体、私に何を?」
「あなたにテレビに出てもらって、弱者である外国人労働者の人権を訴え、水力発電所に立てこもっているシべリカ国の貧しい出稼ぎ労働者たちを擁護してほしいのです。『戦犯の子孫』のあなたが訴えるほうが世に響くでしょう。『処刑された旧アリア国元大統領の孫娘』という肩書きは、俗なことを言うようだけど人々の興味を惹きつけます。だから、多くの人に注目されるだろうあなたに、このようなお願いをしているのです」
サギーは教職員らで組織されている『平和と人権を守る教職員連合会』――この団体は「子どもの未来に必要なのはまず平和と人権だ」という理念のもとに作られ、20年ほど前から存在している――の副会長もしていて、こういった社会問題についても活動をしているという。
「私にはテレビ局へのツテもあります。テレビ局のほうもコメンテータとして話題性のある人物を探していて、私はあなたを推薦してしまったのです」
「……」
「ルイ、やってくれませんか? 立てこもっている出稼ぎ労働者らも悪気はないと思います。トウア国政府が彼らに配慮し、外国人の権利をもっと認めるよう、世論に働きかけてほしいのです」
サギーは弁舌なめらかに力強く訴え、ルイを見つめた。
しかし、ルイは視線を下に落とし、黙ったままだ。
「もちろん『戦犯の子孫』として名乗り、テレビに出ることは勇気がいるでしょう。でもセイヤとリサのためでもあるのです。銃撃戦にでもなったら彼らの命さえ危ないのですよ」
「……そうですね」
黙り込んでいたルイがようやく反応した。
サギーは眼鏡の奥で目を細め、微笑んだ。
「やってくれますか」
「……はい」
「ありがとう、ルイ。あなたを誇りに思うわ」
こうしてサギーに説得され、テレビに出ることになったルイだが、その際「生放送で」という条件を出した。そもそもニュース番組は生放送なので、局としてもそのほうが好都合のはずだ。
「生放送で大丈夫? あなた、こういうの初めてでしょ?」
「でも生放送のほうが臨場感が醸し出されて、より多くの人の心を動かせると思うんです。大学のゼミの発表会などで人前で話すことは慣れてます」
怪訝な顔をするサギーにルイはそう説明した。
「分かったわ。番組責任者へ相談してみましょう」
さっそくその日の夜、ルイは生放送のニュース番組に急遽出演することになり、タクシーを拾い、サギーに連れられテレビ局へ向かった
テレビ局としては高視聴率が見込めるとのことで、旧アリア国の戦犯となった元大統領の孫娘ルイ・アイーダの出演は大歓迎であった。
サギーが予め、ルイの写真もテレビ局へ持ち込んでいたのだろう、華やかでかわいらしいルイの容姿も、この番組プロデューサーの興味を惹いたようだ。
サギーは、こういったテレビ局の責任者と懇意にしており、ほかの局にも知人がいるという。
ルイはサギーの意外な一面を見た気がした。質素で地味なサギーが、派手な雰囲気のテレビ局関係者と親しく交流している様子を想像できなかった。意外を通り越し、不可思議な感じさえした。
テレビ局のビルに到着し、番組の打ち合わせをし、それらを終えてスタジオに入ったルイは、サギーにチェックしてもらった原稿を手に特別ゲストとして席に着いた。
やがて生放送のニュース番組が始まる。
「え~、それでは番組内容を一部変更し、まず、ここで今夜の特別ゲストを紹介させていただきます。ルイ・アイーダさん、あの旧アリア国アイーダ元大統領のお孫さんであり、現在はトウア国立大学歴史学科に在籍しているとのことです。今日は皆さんにお話したいことがあるそうで、急遽ご出演いただきました」
司会者がルイの紹介をした。そして旧アリア国についての説明をしながら、ゲストのルイに話を振った。
緊張しつつもルイはテレビカメラに向かって話し始める。
「こんばんは、ルイ・アイーダです。今晩は皆さんにお伝えしたいことがあって、この場に参加させていただきました」
ここで深呼吸し、強張っている顔をほぐす。少し落ち着いてきた。
「現在、私は戦前の旧アリア国について調べ、勉強しています。なので、まずはその旧アリア国についてお話させていただきます。
当時のアリア国では――外国から移民や出稼ぎ労働者を受け入れてました。主にそれはシべリカ国からでした。そして程なくして、平和運動や人権運動が盛んになっていき、治安も悪化していったようです。そう、今のトウア国の状況と、とてもよく似ているのです」
これをスタジオ外にある待合室のテレビで聞いていたサギーは虚を突かれたような顔になっていた。
――ルイ、何を言っているの? 打ち合わせとまるで違うことを……。
スタジオでは、ルイの話が続いていた。
「旧アリア国とトウア国が違うところは……旧アリア国は軍や公安、警察の力がもう少し強かったことでしょうか。平和運動や人権運動にも公安や警察が目を光らせてました。
それゆえ旧アリア国は言論の自由がない恐ろしい国というイメージがあるようですね。
しかし、それは純粋な平和運動や人権運動だったのでしょうか?
平和運動は、軍備増強への抑止になるでしょう。
人権運動は、公安によるテロリストを疑われる人物への取り締まりを躊躇させ、警察官による凶悪犯の射殺をためらわせる効果があるかもしれませんね」
ルイを何とかしなければと、サギーは待合室を出かかったものの、そこで足を止めた。行ったところで、部外者立ち入り禁止となっている生放送中のスタジオ内に入ることはできない。どうしようもなかった。
司会者、ディレクターやプロデューサーたちも、打ち合わせと違うことをルイが話し出し、最初は慌てたものの、その話が興味深かったので、そのまま続行させた。
ルイ・アイーダの話は移民や外国人差別を煽る懸念があるものの、陰謀論めいており、人々の興味を誘うことだろう。きっと話題になる。移民や外国人を疑うような差別発言については、ルイ・アイーダ個人の責任であり、番組側は後で形だけのお詫びをすればいい。
その頃には緊張は消え去り、ルイはよどみなく言葉を紡いでいた。
そう、今話している内容は、大学に入ってから旧アリア国のことを調べ、ずっと考え続けてきたことだ。
「やがて、旧アリア国の治安は徐々に悪化していきました。旧アリア国の年毎の犯罪件数がそれを物語ってます。軽犯罪も重犯罪も増加し、それに反比例するかのように犯人の検挙率が下がっているのです。
その治安悪化にシべリカ国が関係しているのではないか、と公安警察は疑問を持ったようです。移民や出稼ぎ労働者の中に相当数の工作員が紛れ込み、巧妙な凶悪事件を仕掛け、犯人の逃走の手助けをし、かくまい、犯人の検挙率を下げ、アリア国の治安を悪化させているのではと。シベリカ国はアリア国の弱体化を狙っていたのではと」
待合室では――サギーが、テレビに映っているルイをひたすら睨みつけていた。そこにはもう、微笑みを絶やさなかった優し気な平和主義者の顔はなかった。
スタジオ内にいるルイも挑むようにテレビカメラを見据えていた。
「ついに、アリア国で大規模な無差別大量殺人事件が発生しました。アリア国の公安警察はこれを防ぐことができませんでした。それほど敵は巧妙だったのです。真相は今もって分かりませんが、病院、映画館、遊興施設が爆破被害にあい、多くの犠牲者が出ました。
それからまもなく、これはシべリカ国の仕業だというウワサがアリア国中に広がりました。シべリカ国政府はシべリカを陥れるためのデマだとしてますが、真相は謎です。
とにかく、シべリカ国に対するアリア国民の怒りが沸騰し、アリア国内にいるシベリカ人を憎悪し差別をする者が表れ、シベリカ人に対する暴力事件や嫌がらせも多発し……そのことでシベリカ政府がアリア人を非難するようになり、ますますアリア人が怒り、シベリカ人を攻撃するという悪循環が生まれてしまったのです」
ここで一息つき、ルイは声に力を込める。
「そういったことをきっかけに、旧アリア国は戦争の道へ進むことになったのでは、と私は推察してます。旧アリア国のことを調べれば調べるほど、国や国民を守るためにはどうしたらいいのか、外国や外国人とのつきあい方を考えさせられます。
どうかトウアの皆さんもぜひ考えてみてください」
発言を終えたルイは、番組が次のコーナーに行って区切りをつけたところで、アシスタントデイレクターの指示に従ってスタジオを出た。
その廊下には無表情のサギーが突っ立っていた。
人通りは少なく、今、ルイはサギーと二人きりだ。
お互いの視線が絡み合う。
ルイはサギーと対峙する。
「私は、本当に訴えたいことを言わせていただきました」
やがて――サギーは口元に手をやりながらクックと笑い出した。
「なるほど、発言をカットされないように……だから『生放送』を条件にしたのですね。私はあなたをちょっと見くびっていたようです」
そう言うとサギーはルイを見据えた。その目は敵意の色に染まっていた。
が、ルイもサギーから視線を逸らせなかった。サギーの敵意を受け取る。
「サギー先生はなぜ、セイヤとリサが治安局の『特戦部隊』に所属していると知っているのですか? セイヤとリサが先生に知らせたわけじゃないでしょ。彼らは先生と距離を置き、先生も彼らを無視してましたから。卒業後も彼らが先生と連絡をとっていたとは思えません」
「あら……私、特戦部隊の名を出したかしら」
眼鏡の奥のサギーの瞳が妖しく光る。
「はい、『特戦部隊』とは言いませんでしたが、『銃撃戦になったら彼らの命も危ない』とおっしゃいました。銃撃戦は特戦部隊が受け持ちますよね」
ルイは目を細めた。
「そうね……彼らの所属先は、きっと風の便りで聞いたのかもしれません」
「では、そういうことにしておきます」
そう、テレビ出演の話が出た時から、ルイはサギーに違和感を持っていた。
サギーはただの教職員なのか?
いくら『教職員連合会』という大きな団体の副会長だとしても、一般の教員が番組に関われるほどテレビ局とつながりがあるなんておかしい。
それに手回しがあまりによすぎる。サギーがルイを訪ね、その日のうちに生放送のテレビ出演が決まることなんてあるのか? 予め、そういう話が進んでいたのではないか?
しかし、立てこもり事件が起き、速報が出たのは今日の早朝である。
つまり……こういった事件が起きた場合『ルイ・アイーダ』を出演させ、話をさせることになっていたのでは? そんなことをテレビ局と話をつけていた?
そして……事件が起きることを予め知っていた?
今回のことは、あまりに不自然すぎる。
そもそもサギーが研究室に訪ねてきた時から不思議に思っていた。
――なぜ私のスケジュールを知っていたの? まだ講義を受けているかもしれないのに、午前中の早い時間に訪ねてきた。
そう、まるで、後の時間はフリーであることを知っていたかのように……。
ルイの胸に言い知れぬ不気味な疑惑が広がる。
平和と人権を守るために活動しているという地味で質素なサギー。
しかしこれがサギーの真の姿なのか?
「それにしても変わりましたね、ルイ。あなたなら、てっきり私の言いなりになると思っていたのに……残念だわ」
改めてサギーは、ルイをじっと見つめる。まるで恫喝するように。
だが、ルイは臆することはなかった。ついに、平和主義者を装っていたサギーの化けの皮が剥がれた――そう思った。
「そうですね。学生時代、従順を装い、あなたに反論することはありませんでしたから」
「セイヤとリサがあなたを変えたのかしら」
「ええ、彼らは私の大切な友人です」
このルイの言葉に、サギーは口に手の甲を当て、クスクス笑った。
「それなのに、あなたは彼らを危険に晒そうとするのですね」
「どういう意味ですか?」
「私の言うとおりにしていれば、この事件は誰も犠牲にならずに、早々に解決していたでしょうに。私が世に求めるのは『シべリカ国への配慮』『トウア国に住むシベリカ人はじめ外国人の権利を訴えること』だったのですから。
けれど、あなたはシベリカ国に疑いの目を向けるよう、世に訴えてしまった……。なので、私はやりたくありませんでしたが、もう一つのプランで行くことにします」
サギーは今までの忍び笑いから一転、感情を凍らせたように無表情な顔になった。
「もう一つのプラン?」
ルイは眉をひそめた。
「ルイ、あなたが引き金を引いたのですよ」
地の底から発せられたかのような禍々しい声だった。
サギーは何の感情も宿さない瞳でルイを一瞥すると、そのまま踵を返した。
遠ざかっていくサギーの後姿を見据えるルイの心中は嫌な予感でざわめく。
教師としてのサギーは仮面に過ぎない。
世論に影響を与えるテレビ局とつながり、ルイの大学でのスケジュールも把握している――おそらく、サギーのバックには多くの仲間がいるのだろう。
そして、事件が起きることも予測していた……。
サギーはこの立てこもり事件の関係者……いえ、それどころか首謀者かもしれない。
でも証拠もないのに騒ぎ立てれば、ルイのほうが世間の信用をなくしてしまうだろう。
――先生は、私が裏切ることも想定していた? もう一つのプランって何?
――サギー先生、あなたの正体は……
ルイの背筋が凍る。
しかし、今のルイには呆然と立ち尽くす以外、何もできなかった。