第5章 虚無の人―黒幕秘書官
数日前に行われた選挙の結果は――クジョウ率いる民主平和党は議席を落としたものの、かろうじて政権与党の座を守り、クジョウはそのまま首相続投となった。
一方、共和党は大幅に議席を減らし、党存続の危機に陥っていた。
「作戦は概ね成功だ。あの時点でサマー医師が公の場で自白するとは思わなかったがな。ま、おかげでサマーのことを治安局に密告しなくて済み、マスコミへのリークなど面倒くさい工作もなしで、上手く事が運んでくれた……」
警察の取り調べから解放され、自宅に戻った共和党党首の筆頭秘書官リバー氏は部屋にこもり、ソファでくつろいでいた。
ここは新市街にある高層マンション群の一室。独りで住むには広すぎる部屋。
残暑も去り、窓を開け放てば心地よい涼風が入ってくる季節となったが、高層階にあるリバーの部屋の窓は閉ざされている。ブラインドを開ければ、眼下に宝石が散らばるような夜景が広がるが、リバーにとっては何てことのない、とうの昔に飽きてしまったつまらない眺めだ。
エアコンの冷風に当たりながら、リバーはお気に入りの赤ワインをグラスになみなみと注ぐ。
「まるで……腐った血のようだ」
間接照明のせいか赤黒い色に染まったグラスの中のワインを見つめ、それを一気に飲み干す。
取り調べでは――サマー医師から情報を買ったことだけは認めたが、マオー氏とヤハー氏への脅迫については知らないと突っぱねた。もちろん、子どもを襲撃した少女との関係も否定した。実際、リバーはサラとは会ったこともない。全てミスズに任せていた。
なぜ一般人の子どもの情報まで買ったのか、という追及には「同時期にシベリカで心臓移植を受けたマオー氏とヤハー氏関連でさらに詳しい情報が取れるかもしれないと考えた」と説明し、「その後、パソコンがハッキングされて、これらの情報が誰かに盗まれた」とウソをつき、「共和党の敵対勢力の仕業ではないか」と取調官に訴えた。
またマオー氏とヤハー氏へ脅迫があったことや警護していた隊員の一人が怪我を負ったことをどうして知り得たかについては、そういった独自の調査ルートを持っており、これについては情報源を守るため秘匿するとして突っぱねた。
そして取調官が少しでも強く出ると、自白の強要だと騒ぎ立てたり、あるいは弁護士が呼ばれるまで黙秘を貫いた。
結局、警察側は証拠も取れず、厳しい取り調べもできず、勾留時間切れとなった。
よって、嫌疑不十分でリバー氏は釈放された。これでもう不起訴となるだろう。危なければ『ミギー』が裏で手を回すことになっていたが、そこまでせずに済んだ。
もちろん、共和党党首のほうも釈放された。こちらは本当にほとんど何も知らず、秘書のリバーに任せきりだったのだから当然だ。
「共和党は終わった。今まで第二党として野党の中で一番存在感があった組織だが、つぶすことができた。党首も政治家としてはおしまいだろう」
思わず乾いた笑いを立てる。愉快でたまらなかった。
「クジョウ派グループもかなり弱体化した。思惑通りだ」
そう、リバーは民主平和党のスパイだった。ただし、クジョウ首相とは派閥が異なるミギー議員に仕えている。
ミギー議員は、クジョウ派が党を牛耳る前には、幹事長を務めたこともある民主平和党の重鎮だった。ゆくゆくは首相になるとウワサされていた人物だ。しかし、クジョウ派が幅を利かせるようになると隅に追いやられてしまい、長い間、軽んじ続けられてきた。
当然、ミギーは『クジョウ首相とその一派』を快く思っていない。
国会襲撃事件の時、クジョウの派閥に属する議員が大勢亡くなったが、ミギー派の議員は誰も犠牲になっていない。
その時クジョウを始末できていればよかったが、それは叶わなかった。それでもクジョウ派の議員は相当減り、ミギー議員の望み通りになった。
リバーの任務は、まずは民主平和党に続く第二党の共和党をつぶすことだった。民主平和党にとって、力をつけてきている共和党は目障りな政敵だった。
ミギー議員のスパイとして共和党に潜入したリバーは、党首の信頼を得て、第一秘書官となり、長い年月をかけて工作した。
同時にクジョウ派に属する議員らの弱みも探っていた。その過程で、マオー氏とヤハー氏の孫のことも知った。そこで『共和党をつぶし、かつ民主平和党のクジョウ派の弱体化』を狙い、作戦を立て、見事に成功させた。
「共和党もえげつなかったが、民主平和党も負けず劣らず……裏での派閥闘争も凄まじい」
空になったグラスを弄び、喉を鳴らして笑う。
が、そんなリバーも懸案事項を残していた。ミスズをどうするか決めかねていた。
ちなみにマオーとヤハーに脅迫電話をかけた男はすでに始末しておいた。
――あの女は処分するには惜しい。愛人としてもそこそこ楽しめる。それにあの女の抱えている虚無感は私と通じるところがある。
「ミスズには、治安局に疑われるような行動は慎み、自重するよう言い含めておくか……」
そもそもリバーはミギーに仕えているのではない。振りをしているだけに過ぎない。
リバーがミギーを利用しているのだ。
――これは私にとって単なるゲーム。ミギーはゲームの駒でしかない。私は黒子となって、この虚無感を紛らわせるためにプレイしているに過ぎない。そう、暇つぶしのゲームを。
黒子であることは大事だ。目立てば必ず打たれる。不必要に敵を作ることにもなる。
今回も、何も知らない共和党党首が矢面に立つことになった。マスコミはリバーのことにはほとんど触れない。
真のプレイヤーは闇に紛れた影の存在であるべきだ。責任は表に立つ駒に取ってもらえる。失敗すれば駒を替えればいいだけのこと。駒の選び方さえ気をつければいいのだ。
「私の駒には、ミギーのような人物がふさわしい」
リバーにとって、慎重派のクジョウは駒として動かしづらかった。
対して、賭けに出る冒険気質型・自由の民ユーア人の血が混ざっているミギーはリスクを恐れない性格で、おだてに乗りやすい調子者。実に操り人形として打ってつけだった。
かく言うリバーにはノースリア人の血が入っている。
ノースリアは、シベリカ国の北東に位置し、王家の独裁が何代にも渡って続いている国家権力が強い国だ。国民は王家を批判できず、不自由を強いられている。
リバーの祖父はそんなノースリアを捨て、トウアに亡命し、ここトウアで財を築いた。
ノースリア国に残されたリバーの祖父の親族はおそらく強制収容所送りとなり、劣悪な環境で強制労働をさせられ、命を落としただろう。
トウアに逃れてきたリバーの祖父は自分を罰するかのように働き詰めの毎日を送っていた。早くに両親を事故で亡くしたリバーは、その祖父に育てられた。
リバーは、祖父が笑ったのを見たことがなかった。いや、祖父は怒ったことすらなかった。感情というものを持ち合わせていないのでは、という人物だった。
祖父の抱えていた罪悪感は虚無感へと変化していたのかもしれない。行っていた事業はその虚無感をまぎらわす体のよい暇つぶしだったのだろう。
先ほどまで得ていたリバーの満足感はすでにもう薄れてきている。
リバーは飢えていた。心はすでに次のゲームを求めている。
――さて、どんなゲームをしようか……どうせならば、大きなゲームをしたい。『国を大きくする』のもまた一興だ。
この世は所詮、弱肉強食。
リバーは目を閉じ、思考の世界に沈む。
国力を高めるには、シベリカがやってきたように利用価値がある国を支配下に置くことも一つの手段だ。
そのために圧倒的な軍事力が必要だった。
何も最初から戦争をしようというのではない。軍事力は相手へこちらの力を見せつけ、交渉を有利に進めるための有効なカードに過ぎない。
また軍需産業を活発化させることで経済も上向き、国力をつけることができる。
それにはまず、平和ボケという病に侵されていトウア国民の目を覚まさなければならなかった。このシベリカ国の工作は劇薬だったが、効き目は抜群だったようだ。今はトウア国民の多くが軍事力強化を叫び始めている。
ミギーをバックにつけたリバーは、公安を含め独自の情報ルートを持ち、ずっと前からシベリカからの内なる攻撃・工作に気づいていた。
が、あえて何もしなかった。そっと息を潜め、時が来るのを待っていた。劇薬によってトウア国が死なないように、それだけを気をつけながら。
――平和ほど退屈なものはない。ゲーム=戦いがあってこそ、おもしろい。
豊富な地下資源があるノースリア国を支配する。ミギーであれば、このゲームに乗るかもしれない。王家の独裁で苦しんでいるノースリア国民を、人権意識に篤いトウア国が解放してやるのだ。『ノースリア国民にも民主主義と人権と自由を』はいい名目となるかもしれない。
ここでふとリバーの心は空を舞う。ノースリア国の王家をつぶせば、祖父も喜んでくれるだろうか。
……いや、もう祖父はいない。
とうの昔に、虚無を抱えながら最期まで感情を表に出すことなく、リバーに心を許すことなく孤独にこの世から去っていった……。
目を開けたリバーはその虚ろな眼差しを、間接照明によって壁に映された己の影へ向ける。黒子のような影は、ポッカリと穴が開いているようにも視え、リバーを失笑させた。




