第4章 空っぽな自己満足
じんわりとした暑さが体に染み入る晩夏の頃、ついにキリルとサラが潜伏している区域の強制捜査が始まった。
その日は蒸暑く、空はあちこち雲に覆われ、時折、陽光を遮った。夏の終わりを嘆いているのか命をふり絞るようにして鳴く蝉の声が響く。
――パトロール隊がそこいらをうろついているようだ……逃げ切れるだろうか。
キリルは逡巡した。こうなる前にもっと早く手を打つべきだったが、自分たちを受け入れてくれる協力者がこれほど見つからないとは思わなかった。
そこへ、キリルとサラが隠れている倉庫の扉をノックする者がいた。世話になっている雑貨店の店主だ。
「ここも危ない。とりあえず逃げてくれ」
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セイヤとリサが次の捜査先に向かっている時――「そこの二人、止まりなさい」という怒鳴り声が聞こえた。一瞬、自分たちのことかと声がするほうを向いた。すると、その先の狭い路地から走ってくる二人組の男女の姿が見えた。あの少年と少女だ。
蝉の声が分厚い層となって落ちてくる中、パトロール隊の警笛が鋭くその空間を貫く。
リサは速やかに少年と少女の方へ向かう。
セイヤも追いかけようとしたが、ちょっと走ったら、あの少女に刺された横腹が痛み出し、リサにぐんぐん引き離されてしまった。
「待て……」
セイヤはリサの背中に声をかけたが、リサはそのまま走って行ってしまった。
少年と少女は、近づいてくるリサに気づき、すぐ横にあった路地を曲がっていった。リサもその後に続く。
その路は住宅が建ち並び、警笛の音に数人のシベリカ人が「何ごとか?」と窓から顔を出していた。蝉しぐれに人々のざわめきが混じる。
リサの頭の中にはこの区域の地図がインプットされていた。私服姿での捜査の時、ここの区域を散々歩き回った。細かい路地も全て頭に叩き込んである。
彼らが入っていった狭い路の両脇は高い塀に囲まれている。その塀の向こうは3階建ての古びたアパートだ。
路には少年と少女以外、人はいなかった。曲がりくねった路が多い中、ここは割とまっすぐで、その間は横路もなく人がひょっこり現れることもない。
――チャンスはここしかない。
裂けていく雲の隙間から太陽が顔を出し、路地に映る木漏れ日をチラチラとうごめかせる。その揺らぐ眩しさに視界がぼやけそうになるが、リサの瞳は少年と少女しか捉えていなかった。
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――マズい。
キリルの後をついて横道に入ったサラは後悔した。視界が開けたまっすぐ続く道。ここは銃撃するにちょうどいい場所だ。
――あの女は警告も威嚇射撃もせずに狙って撃ってくる。
だけど以前、女に撃たれた時――倉庫立てこもりの時も、マオーの家を襲った時も至近距離からの銃撃だった。これだけ距離が離れていれば外す可能性も高い。
とにかく女からできるだけ遠くに離れることをサラは優先し、まっすぐ走った。
サラはまたもやリサを甘く見てしまった。
・
リサは立ち止まり、銃を構え、警告なし威嚇射撃なしで発砲した。
乾いた銃声と共に少年がつんのめって転倒する。
あれだけ鳴いていた蝉の声が一斉に鎮まる。リサの放った銃弾は少年の右太ももに命中していた。
一瞬、少女が立ち止まる。
「行け」
少年が少女に怒鳴る。
が、リサはその瞬間を逃さなかった。即座に少女を狙撃する。
銃弾は少女の左足にめり込んだ。少女はよろけたが倒れなかった。
次にリサは少女の右足を撃った。
ついに少女は地面へ崩れた。
リサは銃を構えたまま、少女のほうへ走り寄っていく。
――この少女には何度も煮え湯を飲まされている。
――今度こそ確実に捕まえないと、ダイ君がまた狙われるかもしれない。
――たくさんの人を殺害してきた少女……これ以上、殺させはしない。
迷いは全くなかった。
狙いを定め、引き金を引く。
――この類まれな身体能力を奪う。
リサは、少女の右手を、そして左手を撃つ。
連続する銃声音。
銃弾を撃ち込むたびに少女の体がピクっピクっと動く。
が、少女は息遣いは荒くなるものの、声は出さなかった。
骨と血と肉が飛び散る。数発の銃弾は少女の両手を粉砕した。
その時、倒れていた少年が上着のポケットに右手をすべり込ませていた。
ナイフが投げられる。リサは避けるが、刃先が頬をかする。
リサは即座に少年の右腕を撃つ。
少年の右手は力なく地面に落ちた。
これ以上、反撃させないよう、少年の左腕も撃つ。
少年の自由も完全に奪った。
ついに、あの少女と少年を捕えた。
それでもリサは警戒を解かず、彼らから目を離さず、銃を向けたまま無線連絡を入れる。
そこに脂汗をかきながらセイヤがやってきた。横腹に手をやっている。
「無茶……するなよ」
「そっちこそ、大丈夫?」
セイヤに視線をよこすこともなく、リサは少年と少女を注視したままだった。
「ああ、それより……撃ったのか」
地面に流れ出ている大量の血に、セイヤは眉をひそめた。少女の両手はグチャグチャだ。
「ええ……救急車を手配するよう連絡入れた。もうすぐ警察捜査隊も来る」
リサの声が冷たく響く。白い頬から一筋、血がにじんでいた。
少女と少年は共に意識はあるようで、リサとセイヤに視線を投げた後、そのまま目を閉じた。相当な激痛があるはずだが、彼らは呻くこともなく、歯を食いしばり荒く息をしているだけだった。
鎮まっていた蝉の声が再び復活する。
その時、セイヤは何を思ったか、少女の許に近寄った。
リサは銃口を少女に向ける。セイヤに何かしようとしたら、即座に撃つつもりだ。
セイヤは膝を着き、少女に話しかけた。
「心臓移植をした子どもを殺したのもお前だろう。なぜだ? 復讐か? でも、それは周りの大人たちが悪いんであって、移植された子どもには罪はない。いや、一番悪いのはそういった組織を野放しにしているシベリカ国だ。お前は復讐する相手を間違っている」
そう、どうしても分からなかったことを少女=サラに訊いてみたかった。
サラは閉じていた目を開き、セイヤを見据えた。
「……復讐ではない。解放だ」
意外にもサラはセイヤを無視せずに荒い息の中で答えた。そのことにキリルは驚き、思わずサラのほうへ目を向けた。
「解放?」
セイヤはさらに問いを重ねる。
「……心臓を取られた子たちは死んだ。なのに心臓はほかの人間の中で生きている。死んだのにこの世に縛りつけられている……いつまでも天国に行けない。だから心臓を解放した。……でも、残り二人……解放できなかった」
サラは嘆くように言葉を吐いた。お守りを握りしめたかったけど、右手も左手も動かすことができなかった。絶え間なく激しい痛みが襲っていたが、妹や一緒にいた子どもたちを見殺しにした自分への罰だと思えば、いくらでも耐えることができる。
「そうか……お前はそう考えていたのか」
隣で地に伏せていたキリルは思わずそう口に出してしまった。そして少し呻く。キリルにも激痛が走っていた。
セイヤは言葉を飲み込み、サラをただただ見つめる。
そんなセイヤに代わってリサが口を開く。
「だからといって何の罪もない子どもを殺すなんて間違っている。その前にも中央百貨店で小さな子どもを無差別銃撃したよね。なぜ、そんなことができるの? かわいそうだという感情はあなたにないの?」
ただ、そう質しつつも――果たして自分は少女を責める資格があるんだろうか? とも思っていた。
自分も血で汚れた手をしている。任務とはいえ、相手は犯罪者とはいえ……こうして、何人も傷つけ、そして、国会襲撃テロ事件では、おそらく数人の工作員の命を奪っている。兄を殺した犯人にも過剰攻撃を加えた。
でも彼らに対しても憐みは感じてない――少女への問いは、リサ自身への問いでもあった。
「かわいそう?」
激痛に顔をしかめながらも、一瞬の間をおいて、サラは逆に訊いてきた。
「この世にさよならして……天国に行けることの……どこが……かわいそうなんだ?」
「……」
リサは呆然とした。この少女たちの倫理観や価値観、考え方が自分たちとまるで違う。善悪の捉え方も違うのか。
「お前たちは、大切な人が死んでも悲しくないのか? 天国に行けるからそれでいい。殺されてもかまわないと思うのか?」
今度はセイヤが詰問する。
「大切な人?」
激痛の中にいるサラは、歪ませた顔に怪訝な色を混ぜた。
セイヤは問い続けた。
「……心臓を取り出されて殺されたシベリカの子どもたちのために、こんなことを仕出かしたんだとしたら、その子たちはお前にとって『大切な人』だったんじゃないのか?」
「……大切な人……」
サラは反芻するようにこの言葉を今度はシベリカ語でつぶやいた。
「その子たちが殺されて、お前は悲しい、嫌だ、寂しいと思ったんじゃないのか?」
「……」
あの時、自分はどう思ったのか――いや、思い出したくなかった。何も感じずにいたい。感じるのは激痛だけでいい。サラは自分を守るように目を閉じた。
それを見たキリルがつぶやく。
「身の周りに大切な人間がいて……そういう感情が持てるヤツらは……幸せだよな」
そう言って、視界の中で霞みそうになるセイヤとリサを睨みつける。なぜか嫉妬心が芽生えた。
「不幸な者は、他者に何をしてもいいとでも思っているのか?」
セイヤはサラからキリルへ視線を移す。
「別に……オレの場合は……上から命令されて任務を遂行しただけだ。百貨店や国会での銃撃は……任務だ。あんたたちも任務で人を殺すことあるだろ……それと同じだ」
痛みのため、言葉が途切れがちになるものの、乾いた声でキリルは答えた。
「シベリカ国のためにやったということか? シベリカはそこまでして仕えるべき国なのか? 子どもの臓器売買を行う組織を野放しにしているような国だぞ。お前たちがやるべきことは他国への工作ではなく、シベリカを変えることじゃないのか?」
セイヤの問いかけにキリルは一瞬、言葉を詰まらせた。サラも再び目を開ける。
「国を……変える」
そんな発想をしたことなかった。命じられるままに動く生き方しかしてこなかったから。
「お前ら、今まで罪悪感もなく人の命を奪ってきたんだろうな。それは決して許せない。けど、お前らは国に利用されただけだということも分かる。それに……お前が言ったように、オレも任務で人の命を奪っている。自分にとって大切なものを守るために、ほかを犠牲にした」
セイヤはキリルとサラから流れ出ている血を見つめた。そして、いつかリサが「一緒に罪人になろう」と言った言葉を思い出す。
「オレは、任務じゃなくても、大切なものを守るためなら手を血に染めるだろう、罪悪感を抱えながら……」
そんなことを考えながら、独り言のようにつぶやいた。
「ただ、命を奪われ傷つけられた側にしてみれば、相手が罪悪感を持とうが持つまいが関係ないだろうけどな……。罪悪感も、所詮は自己満足かもしれない……」
セイヤのその言葉は、その後ろで銃を構えるリサの心も刺した。
――罪悪感も所詮、自己満足。
その時、にわかに人の気配が騒がしくなる。
警察捜査隊が到着したようだ。怒号も飛び交い、蝉の鳴き声に人々のざわめきがかぶさる。狭い路地に敷かれた規制線の外に、シベリカ人を含め、野次馬が集まっていた。
セイヤとリサの許に警察捜査隊がやってきた。
地面は少女と少年から流れ出る血を吸い、黒く光っている。その凄惨な光景に、規制線の外にいるシベリカ人たちは眉をひそめていた。
警察捜査隊も救急隊員も、数発の銃弾を浴びたと思われる少年と少女の様子を見て、顔色をなくしていた。特に少女の両手は悲惨な状態だ。恐ろしげにセイヤとリサを見やる。
が、セイヤもリサも無表情だった。
野次馬が増えたのか、ざわめく声が蝉の鳴き声を凌駕し、喧騒へと変わる。
少年と少女を銃撃したリサは平然とした様子で、隊員らに淡々と事情説明をする。
その間、セイヤはこんな言葉をキリルとサラに投げかけていた。
「ひょっとしたらお前らに罪悪感がないのではなく……罪悪感を持ちたくないがために、単に感情を押し殺しているだけなのかもしれないな。その感情の蓋が開いた時……ま、せいぜい苦しめ」
そして最後にサラに向かって冷たく言い放った。
「ところで……お前、天国があるって信じているのか? 死んだら消滅するだけだ。天国はお前みたいな人間を操るために作られた夢物語に過ぎない。お前は何も解放していない。幼稚な思い込みで罪のない子どもたちの命を奪っただけだ」
そのセイヤの言葉を聞いたサラの見開いた瞳は――空洞だった。
夕刻が近い空の陽光には黄昏色が混じり、雲の切れ間からいくつもの柱のような光を放っていた。まるで天国という幻想を見せるかのように。
が、その美しい幻想はサラの瞳に映し出されることはなかった。
救急車が到着した。
あれだけうるさかった蝉の声が遠くの空に霧散し、遠巻きに囲む人々のざわめきだけがぼんやりと耳に伝わる。
が、それもつかの間、やがて全ての感覚が闇に呑まれ、サラの意識は消失した。




