第6章 『メガネ』の漫画
それから――
トウア国内は治安悪化が収まらず、ついに超法規的措置としてトウア国防軍が国内の治安を守るということで動き始めた。一般人はできるだけ外出を控えるようにと戒厳令が敷かれた。
まず、シベリカ人たちの暴動がトウア国防軍によって抑え込まれた。
あちこちで起きていた犯罪に対し、軍が監視体制を敷き、小銃を持った兵士たちが街の巡回をするようになってからは犯罪件数が劇的に減った。
軍が国内の治安に関わることについて、トウア世論は歓迎ムード一色だった。これに反対する者は皆無と言ってよかった。
クジョウ政権の支持率はグンと伸び、90%を越える勢いとなった。
そして、いつの間にか――ミスズ先生に倣うように、サハー氏もテレビ界から消えた。ルイもフェードアウトしていった。
軍が国内の治安を守る手助けをしてくれるようになったおかげで、激務続きだった治安部隊はようやく一息つけるようになった。
その中でも治安局長直属の特命チームは、ルッカーより「規則正しい生活に戻り、体調を常に整えておき、有事に備えよ」とのお達しがあり、過重労働から解放された。訓練も再開される運びとなった。
それでも、ほかの部署は過重労働が問題になり、退職する隊員が増加し、ますます人員不足になり、残った隊員に負担が増すという悪循環に陥っていた。
「あ~、仕事が終わらねえ~」
特命チーム専用室では、昼休みになったというのに仕事が遅れているジャンが報告書を書きながら愚痴っていた。ルッカー局長からは「子どもが書くような内容だな」と言われ、書き直しをさせられているようだった。
「それより先輩、腕の怪我、もう大丈夫なんですか?」
リサがお茶を運びながら、声をかけた。今日のお昼もお弁当だ。
「おうバッチリよ。あの時はオレだけ戦線離脱して悪かったな。国会のほう、大変だったな。……そうそう、そっちの軍出向組の皆さんもお疲れさん」
あっけらかんとしたジャンの言葉に軍出向組の4人は顔を上げた。彼らもまだ報告書を書いていた。
セイヤとリサだけが弁当を広げ、昼食タイムに入る。
「ああ、そうそう『メガネ』、仕事が落ち着いたら、約束のリサ漫画、見せろよな。あれから忙しすぎて、結局、見せてもらってないよな」
またジャンの声。
あれじゃあ報告書はいつまでたっても仕上がらないだろう……セイヤは生ぬるい視線をジャンに投げかけた
ちなみにジャンは『メガネ』のことを、本人を目の前にしても『メガネ』と呼んでいるが、彼の本名はフィオ・エルーだ。
「あっ、実は今日、持ってきているんです。まだノートに下書きの段階ですが、読めるようにしてあります」
フィオは机の引き出しから、ゴソゴソと数冊のノートを取り出し、目をキラキラ輝かせて、ジャンのほうへ差し向けた。
「うお~、そうだったのか~、じゃあ仕事終わったら、ちょっとつきあえよ。奢るぜ」
治安が最悪だった一時は居酒屋含め、あらゆるお店が閉められていたけど、ここ最近は再開する店が増えてきた。
「はい、ありがとうございます。じゃ、定時に終われるようにがんばります」
そう言うとフィオは視線をパソコンに向け、仕事に戻った。
「あ……漫画、オレも見てもいいっていう話でしたよね?」
弁当のおかずをつまみながらセイヤは遠慮気にフィオに確認する。
「ええ」
再び顔を上げたフィオはメガネの位置を直しながら、大きく頷く。
「あの~ジャン先輩とセイヤに見せるなら、当然、私もいいですよね。本人なんだから」
リサも話に乗ってきた。何が描かれているのか、やっぱりすごく興味がある。フィオが言うには、漫画の中の『ヒロイン・リサ』は天才スナイパーで世界を股にかけて活躍するという設定らしい。
そのフィオは暫しフリーズしつつ、感動に打ち震えていた。
「…………ああ、リサさんに見てもらえるなんて光栄です」
「おい、オレが奢ってやるのは『メガネ』だけだからな。お前ら二人には奢らないからな」
ジャンがセイヤとリサに釘を刺す。
「分かってますって」
やれやれとばかりにセイヤは苦笑し、食事を進める。昨晩の残りものだけど、キノコ類が入った炊き込みご飯が旨かった。一時はレトルト食品しか手に入らなかったが、物流が回復し、値上がりはしたものの、以前と同じように豊富な種類の食料が手に入るようになっていた。
「ま、そっちの軍出向の皆さんも、そのうち酒でも飲もうぜ」
ジャンの誘いに『ゴリラその1』ことゴンザレ・トマーと、『ゴリラその2』ことアザーレ・ネガーは顔を見合わせ、軽く頷いた。
ただ相変わらず『クール』ことグレド・リネーは無視を貫いていた。が、それが彼の性格であり、彼の自然な姿として、ジャンもセイヤもリサも受け止めていた。
もう特命チーム専用室にかつてのような冷やかな空気が漂うことはなかった。皆、それぞれ互いの命を預け合い、過酷な任務を一緒にやり通した仲間だ。
その後、居酒屋で『リサ漫画』がジャン、セイヤ、リサの間で回し読みされ、大いに沸いた。
そこはいつも利用していた勝手知ったる居酒屋で、多くの人で賑わい、昔と同じく雑多な活気に満ちていた。久々の酒の席。客のざわめきと揚げ物の匂いが充満し、どこか懐かしさを覚える。
『リサ漫画』はなかなか面白かった。セイヤが気にしていたあんなことやこんなこともなく健全な漫画で、ヒロイン・リサは勇敢な女戦士として描かれていた。リサが照れてしまうほどカッコいい女だ。
「漫画家になればよかったのに。何で軍に? ま、今は治安部隊の特命チームだけどさ」
ジャンは酒を注ぎながらフィオに訊いていた。
するとフィオからは「軍にも憧れていたし、戦う主人公を描くために軍に入ってみた」という答えが返ってきた。
「それに……仕事にすると好きに描けなくなるから、趣味にしているんです」
「へえ、おもしろい理由で軍に入るヤツがいるんだな。ま、今は治安部隊の特命チームだけど」
「軍は一番競争率が低かったし、どうせ戦争なんてないって高をくくっていて……ほら、軍事演習だって、ちょっと前までは『外国を挑発する反平和的行為だ』と世間が反対していて、表だってやらないようにしていたから、軍は仕事が少なくラクで暇そうに見えたんです」
ここでフィオはいったん口をつぐみ、間を空けた後に妙なことを口走った。
「今は……漫画を描くことで心が救われているんです。あの辛い経験はいずれ創作の糧になるはずだと自分に言い聞かせてます」
そんなフィオの言葉を、セイヤは横で聞きながら――その『辛い経験』とは訓練の大変さとか人間関係の厳しさだと――その時はそう思っていた。フィオは技官として軍に入ったという。専門は理系なので、体育会系の軍の環境は合わなかったのだろう。
飲み会は遅くまで和気あいあいと続き、フィオとはすっかり親しくなった。
サクサクしたコロッケとシーフードの揚げ物がことのほか旨く、何皿も注文した。健康のため、サラダも追加する。久しぶりの外食に舌鼓を打った。
そのうち飲み過ぎたのだろうフィオがトイレに席を立つと、ジャンは何気に「ルイさんは最近どうしている?」とリサに訊いてきた。「ちょっと交流は途絶えているけど元気そうにしている」とリサが答えると、ジャンは「そうか」と短く頷いただけで、それ以上はルイのことに触れなかった。
一瞬、会話が途切れ、座が静まり返るものの、ジャンはすぐに別の話題を振ってきた。そのうちフィオが席に戻り、再び『リサ漫画』のことで盛り上がる。
賑わう店内は汗ばむほどに暑かったが、外はまだ厳しい冬の最中。春は遠かった。




