第1章 不感症
ねっとりと暑苦しさを覚える真夏の夜のこと。
ここは中央地区トウア市にある公民館。市民に貸し出されている会議室で、今日も夜遅くまで『愛国市民団体』の会合が行われていた。
今国会で審議される『移民規制』『国家治安維持法』『スパイ防止法』および『自白剤の使用条件のハードルを下げる法案』に賛同を示し、それをデモ活動で訴えようということで、デモの告知方法や配るビラの内容、演説内容などについて、そしてこれからの活動についての話し合いが持たれていた。
熱く意見が交わされ、会議に出席していた8名のメンバーは昂揚していた。なので部屋の外の、ちょっとした物音も気にならなかったのだろう。
突然、部屋の電灯が消え、暗闇に包まれた。が、窓からは外灯や家々の灯りが燈っているのが見て取れた。
「ブレーカーが落ちたのか」「そのうち職員が直すだろ」とメンバーは呑気に構えていた。
その時、ドアが静かに開く。目が暗さに慣れていない中でざわついていた彼らはこれに気づくことはなかった。
何かの気配がしたと同時にうめき声が聞こえた。声の主の傍にいた一人のメンバーの顔に何か液体のようなものがかかる。
一体、それが何なのか疑問に思う間もなく、そのメンバーも同じ液体を頸部から噴出させていた。
叫び声を上げる暇もなかった。
さすがに異変を察知した命ある者たちはドアの方向へ逃げたが、その前には誰かが立ちふさがっていた。
ようやく暗闇に目が慣れてきたメンバーが見たのは、少女らしき姿だった。その少女が近づいてくる――それが彼の最期の記憶として残り、そして消滅した。
命が流れ出てしまった8つの肉塊は生臭い空気を放ち、部屋は異臭に包まれていった。
翌日。
公民館で起こった『警備員と公民館を管理している職員および愛国市民団体会員の殺害事件』が報道された。
事件の現場となった公民館の廊下に警備員1名、受付室では職員1名、会議室には8名の――いずれも頸部を鋭利な刃物で切られた死体が転がっており、部屋の黒板には『反トウア革命団参上』と大きく書かれていたという。
監視カメラの存在を知っていたのか、犯人はカメラにスプレーをかけ、姿を映させなかったようだ。
この事件も警察捜査隊が動くこととなり、特命チームにはお呼びがかからなかった。
工作員の犯行かどうかも分からず、捜査班は犯人像の絞込みに苦労していた。
だが、この会合に参加せず命拾いをした『愛国市民団体』の者たちは、シベリカ人の若者で構成される『反トウアグループ』の仕業だとし、シベリカ人排斥運動を活発化させていた。身の危険があるので表立ってのデモはやらず、匿名性の高いインターネットを使いながら「シベリカ人を追い出さない限り、こういった犯罪は続く」と訴えた。
ネット上では多くのトウア人が彼らに賛同していた。
こうして、何か犯罪が起きたら、真っ先にシベリカ人が疑われるようになり、やがて、そんなトウア人に反感を持つシベリカ人の一部の若者らは暴走した。
『トウア人狩』と称して、トウア人への無差別暴行がなされ、死傷者を出した。
外見ではトウア人とシベリカ人の区別はつきにくいが、今ではシベリカ人のほとんどは『シベリカ人街』に住んでいる。
以前『シベリカ人街』から離れたところに住んでいたシベリカ人は、トウア人の中では暮らしづらくなり、『シベリカ人街』へ引っ越してくる者が急増した。反対に『シベリカ人街』に住んでいたトウア人はそこから出る者が増え舵手―シベリカ人とトウア人の棲み分けがされるようになっていた。
今現在『シベリカ人街』以外のところに住んでいるのは、ほぼトウア人である。
トウアに住むシベリカ人の多くはシベリカ語が話せるので、『トウア人狩り』をするシベリカ人グループは、『シベリカ人街』以外の場所で、ターゲットにした人間にシベリカ語で話しかけ、通じなければトウア人だと判断し、襲った。
こうして、トウア人はさらにシベリカ人を嫌うようになり、憎しみはさらなる憎しみを生み、犯罪を生んだ。騒ぎに便乗した愉快犯も増え、治安の悪化はとどまることを知らなかった。
殺伐とした空気が人々を歪ませていくようだった。
人員不足の治安部隊はこれら犯罪を抑止できず、検挙率も落ち、軽犯罪については野放し状態となった。
そしてついに――
シベリカ人少年によるトウア人の通う中等学校での銃乱射事件が発生する。
以前、この中等学校で虐めにあっていたという少年は4丁の銃を持ち、学校の先生や生徒8名を撃ち殺し、6名に重傷を負わせた後、同級生らを人質に教室に立てこもった。
少年の要求は『今現在、拘置所、留置所、刑務所にいるシベリカ人全員を解放すること』だった。
シベリカ人の若者の間では「今国会で、自白剤使用条件のハードルが下がる法案やスパイ防止法改正案が可決されれば、シベリカ人は罪をでっち上げられて捕まり、自白剤を打たれて廃人にさせられる」とウワサされていた。
この件ではファン隊長率いる特殊戦闘部隊=特戦部隊が出動することになった。
相手は少年であり、銃をどこから手に入れたのか明らかにする必要があり、確保が望まれた。
だが特戦部隊が動く前に、少年は人質にした同級生らを何人か撃ち、最後に拳銃を口にくわえ自殺してしまった。
現場は凄惨を極め、少年の血に染まった脳みその断片が教室の壁に貼りついていたという。
少年は最初から自殺を考えていたようだった。自分の要求が通るはずがないことも分かっていた。
かつて少年は、トウア人と一緒の中等学校に通っていた。が、そこでの虐めが原因で、少年は心を病んでしまい、程なく『シベリカ人街』へ引越し、シベリカ人学校へ転校した。
けれど、心は蝕まれたままだったのだろう。
前の学校では、トウア人の生徒からよほどのことをされていたようだ。が、教師は見てみぬふり。数人の同級生らに体を押さえつけられ、ゴキブリを食べさせられたり、パンツを脱がされ、肛門に石を入れられたりしたと、少年の親は警察の事情聴取で訴えていた。
そう、彼の目的は、かつて自分を虐めたクラスメイトへの復讐、そして世間の注目を浴びて自分の訴えが広く報道されることだった。現場となった教室の黒板に「シベリカ人よ、立ち上がれ。トウア人に屈するな」というメッセージを遺していた。
なお少年が持っていた4丁の拳銃は、例の盗られたパトロール隊ものだったことが分かった。
当然、少年が一人でパトロール隊を襲って銃を盗ることは不可能だと考えられ、その入手経路はこれから捜査される。
その後――
少年の思惑通り、この事件は一部のシベリカ人の若者を奮起させ、ついには『トウアの未来をつぶす運動』と称して、トウア人の子どもを狙う犯罪が頻発するようになる。
もちろん、こんなバカなことはやめるようと呼びかけるシベリカ人もたくさんいたが、そんなシベリカ人にはどこかしらから「アンモン教授の二の舞になりたいか」という旨の脅迫文が届いた。
やがて、暴走する若者を止めようとするシベリカ人は少なくなり、トウア人と共生しようと呼びかける声は消えていった。
一方、シベリカ人少年による銃乱射事件で犠牲になった生徒たちの親を中心としたトウア市民らの『シベリカ人はトウアから出ていけ運動』の輪は大きくなり、憎悪の連鎖は止まらなかった。トウア愛国市民団体もこれを後押しした。
また一般トウア人の間では「自白剤を使用しろ」「スパイ防止法を強化しろ」「今すぐに治安部隊の人員を増やし、強化しろ」「シベリカ人への公安の監視を徹底させろ」という声がさらに高まった。
そんな中、サハー氏は「危険だ。時間をかけて慎重に審議すべき事案だ」と反対したが、そんなサハー氏はいつしか「トウアの敵」「シベリカのスパイ」「売国奴」と揶揄されるようになっていった。
ミスズ先生もサハー氏の応援をしようとするものの、その発言内容は――
「シベリカ人によるこのような犯罪が起きるようになったそもそもの原因は、トウア人がシベリカ人を虐めたからですっ。トウア人がまず反省すべきですっ」
「治安部隊や軍を強化するのは相手にケンカを売っているようなものですっ。今こそ武器を捨てる勇気が必要ですっ。それが平和につながるんですっ」
「トウア人はいつから平和と人権を軽視するようになったんでしょうかっ。私はそんなトウアを悲しく思いますっ。今、私はトウア人であることが恥ずかしいですっ」
――というもので、多くのトウア人から反感を買っていた。
当然ながら「ミスズ、トウア人への人権侵害をやめろ、トウア人差別するな」「ミスズもトウアから出て行け」「お前の平和主義がトウア人の犠牲者を増やす」といった反応が多く、ミスズ先生は『平和』『人権』という言葉を胡散臭いものにしてしまっただけだった。
・・・
「このミスズセンセって何だかヘン。これだけトウア人の犠牲者が出ている中、一方的にトウア人のほうが悪いなんて発言をすれば叩かれるに決まっているのに」
セイヤとリサはテレビを見ながら朝食を食べていた。出勤時刻までいくらか余裕があった。
そう、実は先日、引越したのだ。新しい住居となったマンションが治安局から歩いてすぐという近さなので、通勤に時間がかかることがなく、朝は比較的ゆっくりできるようになった。
日増しに悪くなっていく治安に、今まで住んでいたアパートでは心許なかった。旧市街にあったそのアパートの周りは、細かい路地が入り組んでおり、夜道は暗く、近所ではかっぱらいや暴行事件が頻発し、犯罪の温床となっていた。
そこでセイヤとリサはもっと安全な地域に住居を移すことにした。
二人の新しい住まいとなったマンションは海からは離れてしまい、家賃が三割ほど高くなったものの、人通りの多い新市街にある。夜も明るく人目があるので犯罪に巻き込まれるリスクも少ない。
裏を返せば、そういうことに気を使わなければいけないほどトウア社会は不安定になっていた。家賃の高さよりも、安全安心を優先せざるを得なかった。お金で安心安全を買う時代になったのだ。
また治安局から緊急で呼び出しを受けた場合、すぐに駆けつけられるし、通勤に時間をかけなくて済むのも体力的にもありがたかった。
テレビのワイドショーでは、ほかのコメンテーターたちからも白い目で見られつつ、ミスズ先生は「シベリカ人がこういう犯罪を起こした理由や事情を考えたことありますかっ? トウア人がそうさせたと思いませんかっ?」と暴走していた。
さすがに司会者が「理由はどうあれ、銃の乱射は許されません。被害者の心情を思いやってください」とミスズ先生に釘を刺した。
リサはパンを頬張りながら、覚めた目でテレビの中のミスズ先生を見つめる。
「おかげで、ミスズセンセが所属している『平和と人権を守る教職員連合会』も胡散臭い目で見られるようになっているし、センセに応援されているサハー氏も『おかしなミスズの仲間』って思われちゃっているし……お仲間の足を引っ張っちゃっているよね~、センセ」
「まあな」
セイヤの短い相槌を受けて、リサのおしゃべりは続く。
「番組も何でミスズセンセみたいなのを出すんだろうね。また苦情の電話やメールやファックスが殺到しているよ」
「ああいうのを出すと視聴率が取れるからだろう」
「確かに。今日はどんな爆弾発言をやらかすんだろう、と思って見ちゃうのかもね。……おっと、いつまでもゆっくりしてられないっ」
リサはパンを口に押し込み牛乳で流すと、席を立ち、食器を流し台に運んだ。
セイヤも釣られるように立ち上がり、テレビを消す。そして流し台に積まれた食器の汚れをお湯で流しながら「皿洗いは帰ってきてからだな」と独りごち、バタバタしながら出勤準備を始めた。
もう、これだけ凄惨な事件が続くと、セイヤもリサも慣れっこになってしまっていた。
事件直後はそれなりにショックを受けるが、だからといってそれを長く引きずることはなくなった。そのショックの度合いも確実に薄まっていた。
今ではどんな悲惨な現場を見ても、平気でミンチされたハンバーグや血が滴るステーキ肉を食べられる。
「ま、不感症になったってことか」
セイヤは自嘲気味につぶやいた。そのくらいの図太さがなければ、この仕事は長続きしない。工作員らとの戦いにも勝てないだろう。
――オレのメンタルは、目的のためなら何でも犠牲にできる冷徹なシベリカに近い。もともと持っているオレの素質なのか、こういう仕事をしている環境のせいなのか……。
そう思った時、なぜか肉が食いたくなった。魚介類じゃパワーが出ない。戦えない。
――そうだ、今晩の夕飯は肉にしよう。




