第1章 休日のカレー・ミスズ先生登場
「自白剤の使用条件を緩和する法案とスパイ防止法が閣議決定されました。次の国会に提出され、審議されます。否決されるよう、皆さんも声をあげましょう」
アサト・サハーは今日もテレビカメラの前で声を大にして訴えていた。
そんな彼の肩書は社会問題を扱う研究者・ジャーナリスト。ロマンスグレーの似合う細身の中年男性だ。テレビのワイドショーや討論番組にもよく登場し、コメンテーターとして活躍していた。
この頃は、激論を交わすルイ・アイーダの天敵としても有名になった。
――ルイ・アイーダは、トウア国立大学近代歴史学を専攻している女子大学生だ。巨乳にして童顔、かつ華やかなお嬢様的な外見と『旧アリア国の戦犯・アイーダ元大統領の孫娘』という立場を売りにして、サハーと同じく、テレビの討論番組やワイドショーやニュース番組に出演するコメンテーター業を担っている。
今現在、アリア国はシベリカ国の支配下にあるのだが――「旧アリア国はシベリカの謀略にはまり、戦争に引きずり込まれた」と考えるルイの「シベリカに対する警戒を強めよ」という主張はトウア社会に浸透しつつあった。
そのせいでトウア世論では治安部隊や軍の強化が叫ばれるようになり、そのことに警笛を鳴らすアサト・サハーは、ルイ・アイーダを敵視していた。
「自白剤を使用するなど、とんでもないことです。こういった人権軽視は、やがて国民への人権侵害につながります。警察権が強化されれば、さらにそれが加速するでしょう」
「その通りですっ。私たち『平和と人権を守る教職員連合会』もサハーさんの意見に賛同しますっ。皆、国家権力の恐ろしさを知らないのですっ」
サハー氏の発言に頷きながら、ミスズ・シマーもショートカットの髪を揺らしながら意見を述べる。
ミスズ・シマーは『平和と人権を守る教職員連合会』に所属している非常勤の女性教員だ。
番組制作側としては、治安部隊の強化賛成の立場をとるルイ・アイーダに賛同するコメンテーターが多くなってしまったため、アサト・サハーを応援しルイ・アイーダと対立姿勢をとってくれそうな者が欲しいということで、ミスズ・シマーに白羽の矢を立てたようだ。
華やかな知的お嬢様のルイに対し、弾むような話方をするミスズは庶民派の元気娘というキャラクターで売り出されようとしていた。
が、ルイのいない単なる対談は、サハー氏とミスズ先生がお互いの意見に頷き合うだけの少々退屈な番組になっていた。
「自白剤といってもその効力は疑わしいのです。大脳上皮を麻痺させるだけで、朦朧とした状態になるので黙秘を貫くのが難しくはなりますが、妄想が出てくることもあります。ですから信憑性という点で問題があります。そして副作用として中毒、廃人になる可能性がある恐ろしい薬です。断じて使用すべきではありません」
サハーの意見に、ミスズは同調する。
「治安を守るためといって、こういう人権無視が許されていいのでしょうかっ」
「不眠状態にさせ自白を促すやり方だって人権侵害です。ましてや副作用が強い薬を使うなど論外です」
「全くですっ」
しかしアサト・サハーやミスズ・シマーの考えは、最近の治安悪化を憂えるトウア市民には浸透しなかった。
トウア国の中に潜んでいる『シベリカ工作員』の存在が疑われる今、多くの人々は「公安を含め治安部隊の権限強化はやむを得ない」と考えていた。
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「……どっちを優先するかだな。被疑者の人権を守る代わりに事件解明が遅れることを仕方ないとするか、それとも多少の人権は無視し、事件解明を急ぐか――もちろん人権も守り、事件も早急に解明することが理想だけど、現実はそうはいかない。理想を追い求めた先にもリスクはある。それでも理想を追求する覚悟があるのか……だよな」
このサハー氏とミスズ先生の対談を自宅のテレビで見ていたセイヤはつぶやいた。
――『理想』というと、やはり祖父の母国だったジハーナ国のことが頭によぎる。
そう、不戦の誓いを立て軍を持たず絶対平和主義という理想を掲げていたジハーナ国は結局、諸外国の餌食となり、消滅した。
小さな島群で成るジハーナは諸外国に分割・併合され、ジハーナ人は併合先の国の民となったが、併合先の国によっては差別されたり、暮らしが貧しくなったジハーナ人が多いと聞く。
ちなみに、ジハーナの島々を一番多くモノにしたのがシベリカ国だった。
――善と理想を貫くリスクを覚悟していたジハーナ人はどのくらいいたのだろうか?
そんな物思いにふけっているセイヤの隣では、リサがクッションにもたれ、寝ぼけ眼で相槌を打っていた。
そう、今日は待ちに待った休日である。
特命チームは「いざという時、体を張ってもらうことになるから」というルッカーのもとで、基本的に遅番も早番も夜勤もない規則正しい勤務体制を取らされ、休日は二人そろって休めるようになった。
その代わり出動命令が下れば、夜中であろうと休日であろうと飛んでいき、任務が終わるまで休みはない。デスクワークもあるが、訓練と座学にも時間が費やされ、度々軍へ出向き、軍と合同で過酷な訓練をすることも多かった。そのため休日はゆっくり休まないと体がもたず、家でダラダラ過ごすのが定番になっている。
「ただ、サハーの言っていることも間違っちゃいない。でも『国に治安を守ってもらうこと』が皆にとっての最優先事項とするなら、治安部隊の権限をある程度強くしてもらわないとな」
セイヤの感想は続いていた。
「この頃、サハー氏とルイが直に討論するってこと、少なくなっちゃったよね。いつも言い負かされちゃうサハー氏がルイを避けているらしいけど」
合いの手を入れるようにリサが口を挟むが、その内容はいまいちセイヤと噛み合ってない。
「まだそこそこ治安がよかった1年前のトウア社会ならサハー氏に賛同していただろうに。ほんと世間の空気は変わったよな……」
「サハー氏はルイの天敵としてケンカ討論するから面白いのにね。ルイがいないとインパクトないよね。こんなんで視聴率、取れるのかしら」
「工作員の疑いがある被疑者への自白剤使用のハードルが下がれば、事件解明への糸口になる可能性は広がる。自白剤は万能ではないけど、そのうち、もっと有効なクスリ、あるいは有効な使い方が開発されるはずだ。原則使用禁止の今の状態ではそういった開発もできない。自白剤が使用できるよう、今国会で通して欲しいよな」
「サハー氏のお仲間みたいなミスズセンセっていうのが最近、出てくるようになったよね。番組側もルイのライバルを育てて、いずれルイとバトルさせて、視聴率稼ごうって魂胆ね」
セイヤもリサもお互い、会話はズレまくっていたが気にすることなく、それぞれ思いのままを口にしていた。
そのうち、サハー氏とミスズ先生の対談が終わり、番組は次のコーナーへ移った。
「さて、今日の夕食は野菜たっぷりシーフードカレーにでもしようか」
テレビを消したリサは立ち上がり、大きく伸びをした。海洋国家でもあるトウアは魚介類が豊富に獲れる。シーフード料理はトウア国の名物だ。
「じゃ、買い物、行こうっ。セイヤ、荷物持ちよろしく」
「ああ」
身支度を整え、二人は近くの店へ買い物に出た。
セイヤとリサの自宅となるマンションは小高い丘にある閑静な住宅街にあり、食料品店が並ぶ商店街まで下り坂だ。白壁の家々の隙間からは海が覗き、いい散歩道となる。
二人が歩く小路の脇では、木々の葉が淡い黄昏の陽を浴びながらサラサラと音を立てていた。昼間は春の陽気に包まれるが、夕方になれば気持ちのいい涼しい海風が吹く。
日増しに治安が悪くなっていくトウア社会に暗雲を感じつつも、まだそこそこ平和な日々は続いていた。
・・・
時を同じく。トウア市立中央動物園の公園周辺ではデモが行われていた。
「シベリカ人を監視しろ」「シベリカ人を厳しく取り締まれ」「外国人労働者・移民の入国を規制しろ」「自白剤使用賛成」「犯罪者の人権よりも、善良な市民を守れ」と主張する『トウア愛国市民団体』だ。
一部の識者からは「シベリカ人への憎悪を煽っている。こういった危険な市民団体のデモを許すべきではない」という声も上がっていた。
だが『言論・表現の自由、デモや集会の自由』がトウア国憲法で定められているため、よほどのことがない限り、こういったデモを規制するのは難しかった。
『愛国市民団体』の輪は全国に広がり、デモの人数が増大し、ニュースでも彼らのことが取り上げられるようになり、アサト・サハーもこの愛国市民団体を名指しで批判し続けていた。
この件に関してはルイ・アイーダも同意見だった。
ただ――「トウア人と一般シベリカ移民のお互いの憎悪を煽ることこそ、シベリカの思う壺。愛国市民団体は、結局はシベリカのために動いているようなもの」とあくまでもシベリカへの警戒感を表すルイと――「こんな差別主義の団体はあってはならない」と善悪で論じるサハーとでは、やはりお互い相容れることはなかった。
またルイは『工作員の疑いがある被疑者への自白剤使用』については賛成の立場でもあり、基本的にはサハーと対立していた。
・・・
茜色の空が光を失い、黒く塗り替えられていく頃。
その日のニュース特集では、ルイ・アイーダと、トウア国立大学で社会学を専門とするアンモン教授の対談が放送されていた。
老紳士という風情のアンモン教授は元シベリカ人でトウアに帰化しており、シベリカの国内問題について忌憚なく語る識者として最近注目を浴び、テレビにも頻繁に登場していた。ルイとは相性がいいようだ。
ルイは「シベリカ人とトウア人は反目しあってはいけない。アリア国の二の舞になる」「この状況が続けばますます治安は悪化し、経済も停滞し、民族間の憎悪だけが膨らんでいく。これこそがシベリカ国の狙いである」「かつてのアリア国と今のトウア国は社会状況がとても似ている」とトウア社会に警告を発していた。
ルイの祖国であった旧アリア国も当時、シベリカからの出稼ぎ労働者や移民を受け入れていたが、やがてアリア人とシベリカ人の溝が深まり、対立するようになっていった。そしてシベリカ国の謀略に引っかかり、戦争へと誘われた――ルイは大学で近代史を専門に旧アリア国を研究し、そう推察していた。
旧アリア国――シベリカ国との戦争に敗れる前、当時、大統領だったルイの祖父アイーダ氏が統治していた時代までを、世界ではそう呼んでいる。
戦時中、小さかったルイは母親とトウア国へ逃れ、アリア国が敗戦してからもトウア国に留まり、そのままトウア国に帰化した。
が、大統領だった祖父は戦犯として処刑され、軍人だった父は戦死しており、その上、母も病で亡くなってしまう。孤児となったルイは、トウア第一未成年養護施設に送られ、そこでセイヤやリサに出会い、友情を育みながら学生生活を過ごしたのだった――。
アンモン教授もシベリカ中央政府の拡大路線を批判しつつ、「一般シベリカ人の多くは、トウア人と仲よくし、このトウアの地で暮らし続けたいと願っている」と語っていた。
「今、トウアに住むシベリカ人の若者の中に『シベリカ人街』の自治を訴えるグループがいます。彼らは最終的には独立を望んでいるようですが、非現実的です。シベリカ人であることに誇りを持ちたいがために、そんな理想を描いてしまうのでしょうか。今、そんなシベリカの若者を取り込み『反トウアグループ』を組織化している動きがあります。注意が必要です」
そして教授は頭を下げながら、このように締めくくった。
「シベリカ人全員が『反トウア』ではありません。ごく一部なのです。『トウア愛国市民団体』の方々もシベリカ人と仲よくしてくれたら嬉しいです。どうかお願いします」
・
野菜たっぷりシーフードカレーを頬張りながら、セイヤとリサはこのアンモン教授とルイが出演している番組を見ていた。
「きな臭い世の中になっちゃったよね……」
「愛国市民団体っていう集団がニュースで取り沙汰されるようになったんだな」
「ちょっと昔は日陰者扱いの小さい集団だったのにね。今、存在感を増しているみたい」
「ただサハー氏みたいに、この愛国市民団体を単に批判するだけじゃ、ますます彼らはヒートアップするよな。その点、アンモン教授は大人だよな。ああやって頭を下げてお願いされれば、愛国市民団体の連中も冷静になれるかもしれない」
「ルイの言うとおり、トウア人とシベリカ人がお互い憎しみ合うことこそ、シベリカ工作員やシベリカ国の思うツボになるよね」
二人は思い思いを口にしながら、アンモン教授のような人が、このトウアの剣呑とした空気を少しでも変えてくれることを期待した。
テレビ画面の中で、ルイもアンモン教授の発言に深く頷いていた。ここでCMに入り、番組は一段落する。ルイとアンモン教授の対談は終わったようだ。
開けた窓から涼しい海風が流れ込み、カレーを食べて火照ってきたセイヤとリサを気持ちよく撫でていく。
「やっぱり、カレーが一番だな」
カレーをおかわりをし、満腹感を得たセイヤは大きく伸びをした。明日から仕事だ。いや、その前に食器を片づけて皿洗いだ……。
夜の帳が落ち、穏やかな休日が暮れていった。




