第5章 孤独な闘い
それからまもなく、ルイを刺した犯人が捕まった。
シベリカ人の少年で、犯行理由は『弟の仇』という。その弟は学校で虐めにあっていて、自殺に追い込まれたようだ。
つい最近まで、その兄弟はトウア人と普通につきあっていた。
が、ルイがテレビに登場し『シベリカ国が関わったと疑われる事件』が取り沙汰されるようになってから、兄弟を取り巻くトウア人の目が冷たいものになり、やがて虐められるようになっていったらしい。
周囲のシベリカ人たちは「ルイ・アイーダのシベリカを敵視する発言によってシベリカ人は嫌悪されるようになった」「トウア人がシベリカ人を差別するようになったのはルイ・アイーダのせいだ」と話しており、少年はルイを恨むようになった。
実際、トウアに住むシベリカ人は、一部のトウア人から嫌がらせや差別を受けることが多くなっていた。
先の地下鉄中央駅爆破事件のあまりに大きすぎる被害や、マハート氏暗殺未遂事件での犠牲者のことを考えれば、それがシベリカ国が関係した疑いがあるとなれば、シベリカ人を敵視する者が増えるのも当然の現象かもしれない。それが人間社会の現実だ。
その上、ルイ・アイーダの拉致事件、殺人未遂事件と続き、『シベリカ人は恐ろしい』というイメージを多くのトウア人が持ってしまった。
『シベリカ国』と『一般シベリカ人個人』を分けて考えることはなく、ひと括りにされているのだ。
本当ならば、国の命令で動くシベリカ工作員と一般市民であるシベリカ人は別々に見なければならないのだが、物事はそう単純に割り切れない。
一般市民の中にシベリカ工作員が紛れ込んでしまっているのだ。世間の人々には、シベリカ人全てがトウア社会に犯罪を仕掛ける敵に思えてしまうのだろう。
多くのトウア人にとって「シベリカ人個人の犯罪なのか、シベリカ国がやらせている犯罪なのか」は関係なく、全て『シベリカ人がやったこと』として同列に扱われ、シベリカ人への嫌悪感が煽られる。
――『この空気は誰にも止められない』――
サギーの言葉が不気味に思い起こされる。
そう、シベリカの工作目的は次の段階に進んでいた。もうトウア世論を操ることをとっくに捨てていたのだ。
迂闊だった――セイヤは自分の想定が甘かったことを悔いた。
シベリカ国は今、トウア人と一般シベリカ人が憎悪し合うように仕向けているのだ。
トウア社会はまんまとその罠にはまっている。
――つい1年程前のトウア社会は、外国人との共生を謳っていたのに……世間の空気ってこんなに変わってしまうものなのか……。
このあやふやな『世間の空気』が支配する社会。
民主主義である国の運営はこの空気=民意っていうヤツに左右されてしまう。
シベリカも恐ろしいが、セイヤはこの『世間の空気』を恐ろしく思った。
・・・
ここはトウア国立総合病院。
『発電所立てこもり事件』で負傷したリサが入院した同じ病院に、ルイもお世話になっていた。
特等室ということで、シャワーやトイレもあるゆったりと広い個室だ。
部屋の外にはルイが雇った護衛二人が鋭い目線をあちこちに投げかけながら警護している。
「具合はどう?」
リサとセイヤとジャンは、ルイが入院している部屋を訪ねた。
「うん、もう大丈夫。ほんと心配かけたね」
ベッドから半身を起しているルイは一見、元気そうだった。
「申し訳ない。あんなとこに誘わなきゃ、こんな目にあわなかったよな……」
めずらしくジャンがしょんぼりしていた。
そんなジャンにルイは微笑みで返す。
「いえ、誘ってくれて嬉しかったです。またぜひ誘ってくださいね」
「お……おう、ぜひぜひ。なら、お誘いします。お前らもつきあうんだぞ」
根が単純なのかジャンはすぐに元気を取り戻し、セイヤとリサに偉そうに言いつけた。
「犯人は一般のシベリカ移民です。私はどこにいても狙われたと思います。皆と一緒の時で、むしろラッキーだったかもしれません」
ルイはそう言うと気持ちを引き締めるかのように笑顔を引っ込めた。
「警戒を解いていた私が悪かったんです。これからはいつも護衛をつけます。決して油断しません。戦いはこれからです」
そしてルイは窓へ、雲がうすくかかった空を見やった。
――楽しい幸せな時間は終わった。
・・・
病院を後にしたセイヤ、リサ、ジャンはしばらく無言だった。
やがてジャンが確認するかのようにセイヤに訊いてきた。
「ルイさんを刺した犯人はシベリカ工作員じゃないんだろ」
「はい……公安も調べてくれましたが、工作員とは関係のない一般のシベリカ人です」
「ルイさんもショックだろうな。一般人に恨まれるようになっちまったとは」
「これでますますトウア人とシベリカ人はお互い反目し合う空気になりましたね」
セイヤもリサもジャンも口には出さなかったが、ルイを連れて四人そろって外に出かけ、心穏やかに過ごせる日はもう二度と来ない気がした。
まだ春は遠く、寒気が三人を包み、そこに刺すような冷たい風が吹き抜けていった。
・・・
その翌日、まだ入院中のルイのところにめずらしい見舞い客が現われた。
「びっくりしたぜ、お前が刺されたって聞いた時は」
アントンは勝手にルイのベッドの傍らにあるイスに腰掛けた。
「またネタになるわね。インタビュー、いつでもOKよ」
上半身を起こしたルイも笑みを浮かべた。
「ああ、よろしく頼むぜ。ま、元気そうで何よりだ」
「ええ、こんなことで戦意喪失していられないもの」
そう答えたルイに、アントンは目を細める。
「……お前は何のために戦っているんだ? 旧アリア国の名誉回復のためか?」
一瞬、考え込むように間を空け、ルイはおもむろに言葉を紡ぐ。
「まあ……そういうことになるかしら。学校でも散々、戦犯扱いされたものね。だから、あなたも私をイジメたんでしょ?」
「……」
「もう昔のこと。どうでもいい話ね。気にしないで」
「……いや、オレは……お前が『戦犯の子孫』だからイジメたわけじゃない」
「え?」
「いや、別にいい……忘れてくれ」
それから、しばし二人は無言だった。
静寂が部屋を満たす。
やがて、アントンが口を開く。
「お前は……セイヤが好きじゃなかったのか?」
ルイはすぐには答えなかったが、アントンからの視線を逸らしながら、うすく笑った。
「それも昔のこと。あれから何年経ったと思っているの?」
「そうか……」
「それにね、セイヤはけっこう大変な男よ。リサの話を聞くと、ヘンなところにこだわるそうだし。束縛気味で、最近ではリサにはもれなくセイヤがついてくるって感じよ」
「ああ、それにあいつは結構、黒いとこもあるし、切れるとヤバイしな」
二人は声を出して笑い合った。
「あなたと笑い合える日がくるなんてね。きっかけを作ってくれたリサのおかげね」
「ああ、まさか、セイヤの嫁が話をつけに訪ねてくるなんてな。ま、できた女だよな」
――あいつは絶対的な味方を手に入れたんだな……。
アントンはセイヤがちょっとうらやましかった。
そしてこんなことを思う。
――ガキの頃、ルイと仲が良かったあいつに恥をかかせようと思って、あいつの惨めな姿をルイに見せつけたが、結局、オレはますますルイに嫌われただけだった。そして、棍棒を持ったあいつの狂ったような暴力にルイは同調し、あいつと一緒にオレを哂った。
――そう、あいつも黒いが、ルイも相当だ。あいつとルイはけっこう似た者同士だ。
もちろん、自分も腹黒い。利用できるものは利用し、実益を得るほうを優先させる。プライドなどなかった。プライドがあったら、逆にやっていけなかった。
「ま、オレも今のところいい思いをさせてもらっているしな、せいぜい利用させてもらうぜ」
アントンはひねた笑いをルイに向ける。
「ええ、お互い、利用し合いましょう。ウィン・ウィンの関係で」
ルイはサバサバと応えた。
「ああ」
頷きながらアントンは立ち上がる。
が、部屋から出ようとドアに近づいた時、ルイには背を向けたまま、独り言のように話しかけてきた。
「セイヤは絶対的な味方を得たよな。お前にもそこそこ信用できる仲間はいるんだろうが……あいつらのような絆とは違うだろう。独りで戦っていけるのか?」
ルイもアントンに顔を向けずに、こう答えた。
「私の戦いは皆と目的が違う。だから独りでいい」
「そうか……」
アントンはルイに目をやることなく、そのまま立ち去った。
再び静寂が落ち、ルイは窓の外へ視線を移す。その瞳には――厚い雲に覆われた寒空の下で遠くの海が灰色にくすんでいる――モノクロのような侘しい光景が映った。




