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プライオリティ  作者: ハヤシ
シーズン2
31/73

第5章 逆転

 真冬。木々はすっかり葉を落とし、凍てつく空気に覆われていた。

 灰色の空は厚い雲に覆われ、家々の隙間から伺える海も寒々と映る。


 セイヤとリサは、ジャンとルイの間を取り持つため、彼らを自宅に招き、とりあえず「事件が解決した」という名目で祝杯をあげることにした。


 資産家のルイは、手土産として高級ワインにそれに合わせた高級チーズ、ローストビーフといろいろ値の張るものを持ってきてくれて、おつまみが豪華になった。


 リサはありがたくルイの手土産をいただき、それらを切り分け、ローテーブルに並べる。


 ジャンもそこいらの店で揚げ物の類や缶ビールを買ってきてくれたので、テーブルの上はたいそう賑やかになり、おいしそうな匂いを立ち上らせていた。


「お腹空いたし、早くいただきましょう」

 四人はローテーブルを囲む。


「では、お疲れ様~」

 ハイテンションなジャンは乾杯を仕切り、単刀直入にルイに訊いた。


「ルイさんの好みの男って、どんなの?」


「そうですね……静かで理知的な方、教養豊かな人に惹かれます」

 ルイは素直に答える。


「へえ」

 ジャンはちょっと顔を引きつらせていた。


「うわ……先輩ともろ真逆」

「こんなに早く撃沈するなんてな」

 セイヤとリサはお互いヒソヒソとつぶやき合った。


「ん、お前ら何か言ったか?」

「いえ、何も」


「よし、飲もう。今日は飲むぜ」

 ジャンは気を取り直し、ビールをガバガバ喉に流し込む。


「細かいこと言うようですが、先輩の場合『今日は』じゃなくて『今日も』ですよね」

 セイヤはジャンの言葉を訂正した。


「先輩、飲んでばかりじゃなく食べなきゃダメですよ」

 リサも釘を刺したが、ジャンは聞こえているのか聞こえてないのか、とにかく飲みまくる。


「なんか大変な先輩だね」

 ルイは気の毒そうにリサとセイヤを見やりつつ、「でも楽しそう」とニカ~っと笑った。


 リサも顔が緩んだ。

「うん、たまにはいいよね、こういうのも」


 リサは、ルイが持ってきてくれたローストビーフをつまむ。そう、ここにきて、やっと肉が食べられるようになった。ローストビーフはやわらかく、肉の旨みが口の中で広がり、ルイお勧めの赤ワインとの相性は最高だった。


 美味しそうにローストビーフを頬張るリサを見て、セイヤもようやく肉を旨く感じられるようになった。

 こうやって家族や心許せる友人と楽しく食事ができることを幸せに思う。


 和やかなパーティは夜遅くまで続いた。

 ジャンはグデングデンに酔っ払い、気持ちよさそうに寝入り、リサとルイはおしゃべりに花を咲かせていた。


 そんな皆を尻目に、セイヤはワインをちびちび舐めながら、物思いにふける。


 ――これでもうサギーはルイに手出ししないだろう。


 シベリカのトウア世論操作は完全に失敗した。

 トウア社会の空気は完全に『反シベリカ』になり、今までの未解決事件についてもシベリカ国の関与、シベリカ工作員の存在を疑うようになった。


 もしルイの身に何かあれば、どう上手く仕組んでも「シベリカ国がやった」と世論は騒ぎ立てるだろう。もはやルイを闇に葬るメリットはない。逆に葬ろうと動いたことで今の事態を招いてしまったのだ。


 ――ルイもこれからはもう少し平穏に過ごせるようになるといいよな……。


 ジャン先輩は意外と頼りになることもあるから、ルイさえ気に入れば仲を取り持とうと思っていたけど、ま、こればかりは仕方ない。


 ほんわかと暖かい空気に包まれた中で、四人はそれぞれくつろぎの時を過ごした。

 外は冷気に支配され、部屋の窓ガラスを曇らせていた。


   ・・・


 パーティから数日経ち、その後もジャン、セイヤ、リサの三人は通常勤務に励んでいた。

 局長から目をかけられている『特命チーム』といえど、治安局所属の公務員に変わりはなくデスクワークもけっこう多い。


 報告書を書き終え、セイヤとリサが帰り支度を始めた時、ジャンが声をかけてきた。


「もうすぐ、お前らの結婚記念日だよな。このオレがお祝いの計画を立ててやるぜ。その代わりルイさんも誘うんだぞ。このオレがお前らとルイさんの都合のいい日に合わせてやろう」


 セイヤとリサは顔を見合わせた。結婚記念日は二人っきりで家でのんびり過ごそうと考えていたけど――

「ま、ルイを元気づけたいし、いいかもね」


 皆でまたワイワイやりたいと思い直した。

 そう、あんな事件が立て続けにあったのだ。ルイは表面上は明るいが、精神的にはだいぶダメージを負っているだろう。


「それにしても……先輩、まだルイをあきらめていなかったんだね。こうなったら生温かく見守ってあげようよ」

 リサはセイヤに耳打ちした。


 思い返せば、ジャンは決定的にふられたわけでなく、ルイは単に「静かで理知的な人が好み」と言っただけである。

 そんなわけで四人はまた集まることになった。


   ・・・


 まだ春は遠く、冬真っ盛りだったが、その日は天気がよく比較的暖かった。

 四人はトウア市立中央動物園に来ていた。晴れ渡った空は突き抜けたかのように碧い。


「ジャン先輩の計画、結婚記念日から一か月以上ずれたね」

 結局、セイヤとリサは結婚記念日を二人でのんびり過ごし、お祝いを済ませた。


「ま、四人が真昼間にそろって都合のいい日って、なかなかなかったからな」

 ジャンとルイの後ろを歩いていたセイヤとリサはボソボソと話し込む。


「それにしても先輩が動物園をチョイスするとはなあ」


「きっと動物たちと何か心通じるものがあるのよ」


「なるほど、確かに先輩って動物的だもんな」


「やっぱりゴリラとかオラウータンとかイノシシとかマントヒヒとかワニとかカバとか、そのあたりと相性がよさそうよね」


「獣オーラをまとう先輩にピッタリって感じだな」


「でも私も好きよ、動物園。だから楽しみにしてたんだ」


「そうだったのか。言ってくれれば、休みの日に遊びに行ってもよかったのに」


「今まではそんな余裕なかったでしょ。休日もいかに節約して過ごすかが私たちの課題だったんだから」


「休日はいつも家でゴロゴロだもんな」


 後ろにいるセイヤとリサのやり取りが聞こえたのか、ルイと並んで歩いていたジャンが割って入ってきた。


「お前ら、動物園の入園料もケチんなきゃいけないくらい貧乏していたのか」


「ええ、まあ、減給されてた中、家電や生活用品そろえたり……いろいろ物入りだったから」


「じゃあ、リサがお前に髪を切らせたのも、本当に美容院代をケチりたかったからなのか」


「そうです。決してプレイではなく、金銭的に余裕がなかったからです」


「補足ですが、多少不揃いでも、それまでと同じように括ればいいかな、と思ってたんです。まさか括れないほど短くされるなんて想定外だったんで」


「じゃあ、今はプレイしていないんだ」


「だから、プレイじゃありません」


「……ちなみに今もセイヤに切ってもらってますが」


「何? 今もプレイしているのか」


「プレイじゃありません」


「ま、その、タダで済むならそれに越したことないということで……それに上手くなったし」


「そうか、プレイが上手くなったのか、よかったな」


「先輩、わざと言ってますね……」


「とにかく私たちは節約に励まなきゃいけないんです。もっと広い部屋に住みたいし、貯金もしたいし。だから先輩、あまりセイヤにたからないでくださいねっ。セイヤの小遣いの値上げは当分できませんから」


 セイヤとリサとジャンの噛み合っているんだかいないんだかの話を聞いて、ルイは声を出して笑っていた。

「あなたたちって、ほんと楽しいね」


 ずっと心を張り詰め、警戒しながら過ごしてきたルイにとって、心許せる友だちに囲まれ、穏やかに過ごせるこの愉快な時間が愛しかった。


 ちなみに、いつもはヒラヒラっとフェミニンな格好をしているルイだが、この時は帽子を目深に被ってメガネをし、スポーティーでパリっとした格好をして雰囲気を変えていた。いちおう有名人なので、こういった変装じみたことをしないと私的には外を出歩けなかった。


 一方、リサはもうすっかり世間に忘れられた存在となったようで、堂々とその他大勢として人ごみの中に入っていけている。


「あ、ほら見て、あのゴリラ、かわいい~」

 顔を輝かせたルイはゴリラのいる檻へ近寄っていく。


「……あ、先輩のお友だち」

 セイヤはつい口を滑らす。本当に見れば見るほどジャンはゴリラに雰囲気が似ていた。


「ん? 何か言ったか?」

 ジャンが睨んできたが、セイヤはそっぽを向き、知らないふりをする。


 とその時、リサがセイヤの腕を引っ張って、耳打ちしてきた。

「ね、『先輩がカワイイ』っていう感覚、今なら分かるでしょ」


 セイヤはハッとする。そう、いつぞやの『下品についての考察』の時は『ジャン先輩のかわいさ』を理解できなかったが――


「そうか、つまり『ゴリラがカワイイ』という感覚だったのか。ま、オレに言わせりゃ『カワイイ』ではなく『ユーモラス』が正しいと思うけど、『カワイイ』=『ユーモラス』という感覚は分からないではないよな。……なるほどなっ」


 やっと腑に落ちた。

 セイヤは何度も頷く。分からなかったことが理解ができて、大変清々しい気分だった。


「お前ら、かなり失礼なこと言ってるよな?」


 仏頂面のジャンに、セイヤは力説する。


「先輩、ルイは『ゴリラ、かわいい~』とゴリラのほうへ走ってったんですよ。つまり、ルイはゴリラを好ましく思っているんです。これはまだまだ先輩に可能性があるということです」


 そう、セイヤだって、ジャンのことを応援はしているのだ。


「そ、そうなのか……何かヒドいことを言われている気もするが、オレは意外とルイさんの好みだということだな」

「要するに、そういうことです」


 そんなセイヤとジャンのやり取りを聞きながら、リサは疑問型でボソッと独りごちる。

「そういうことなのかな……?」



 動物園を堪能し、すっかり心が和んだ四人は動物園に付設されている公園を散策した。


 あんなに晴れていた空にいつの間にか雲が立ち込め、黄昏色に変化していた。常緑樹の間を風が駆け抜け、カサカサと葉を鳴らす。

 少し休憩しようということになり、四人はベンチの前で足を止めた。


「あ、ちょっとトイレ」

 ジャンはトイレの標識に目をやるとトットと走っていった。


「どうせなら、その間に……あそこに売店があるから適当に買ってくるよ。喉が渇いたし、腹もちょっと減ったしな。何かリクエストある?」

 リサとルイの希望を聞いて、セイヤも売店のほうへ行ってしまった。


「私もトイレに行っておこうかな」

 ルイがトイレのほうへ歩きかけ、振り向いた。


「リサはどうする?」

「誰もいなくなったら、ジャン先輩とセイヤが困るだろうから、私はここで待っているよ」


「じゃあ、行ってくるね」

 ルイはリサと離れて、小走りにトイレへ向かった。


 リサは一旦ルイから目を離し、ベンチに腰掛ける。そして、また何気にルイが走っていった方向へ視線を移すと、崩れ落ちるルイの姿が飛び込んできた。

「え?」


 ルイの傍にはナイフを持った少年が佇んでいた。

 反射的にリサはルイのもとへ猛ダッシュする。


 それに気づいた少年はそのまま走り去ってしまった。


 ルイはお腹に手をやりながら、地面にひれ伏すよううずくまっている。その手の間からこぼれる血が地面を濡らしていた。


 リサは少年を追いかけることはせず、ルイの傍らで跪く。とにかくルイを動かさないようにし、できるだけ出血させないよう傷口を抑えつつ、携帯電話を取り出し、救急車を呼んだ。


 その間にも尋常ではない様子のリサとルイの周りに人が集まってきた。


 ざわめく人々の声に包まれながらも、リサはふと強い視線を感じ、目を留める。

 そこには……あのサギーがいた。


 リサの心臓の鼓動が速くなる。

 ――何でサギーがこんなところに?


 サギーの姿を見るのは、養護施設付設高等学校を出て以来、3年弱ぶりだった。眼鏡はかけておらず、野暮ったさはなくなったものの、眼光が鋭く好戦的な雰囲気が漂い、とても『平和を唱える人』には見えなかった。


 なぜかリサの脳裏に、かつてサギーが放った言葉がよぎる。

 そう、学生時代、治安部隊へ入隊希望するセイヤとそれに反対するサギーが論戦していた時だ。


 ――『あなたは血に染まった手で、ごはんを食べられますか?』――


 その問いに今、リサは心の中で答えた。


 ――ええ、できる……あなたたちと戦うにはそれができなきゃいけないみたいね。


 リサはサギーを見据えながら、ルイの血で染まった手をサギーに向けていた。


 サギーはそんなリサを見返しつつ、ふと頬を緩めた。

 その笑みはなぜか哀しそうにも嬉しそうにも見えた。


 しかし、そんな表情はすぐに消え、サギーは踵を返し、背を向けた。



 サギーはそのまま人だかりを抜ける。

 と、その時、売店で買ったものを抱えながら何事かと駆けつけてきたセイヤと鉢合わせた。

「あら、久しぶりね」

 思わず声をかける。


 セイヤは一瞬、虚を突かれた顔になったものの、すぐに凄まじい目つきでサギーを睨みつけた。

 セイヤもリサと同様、サギーと会うのは3年弱ぶりだ。


 サギーは悪戯っぽく笑い、茶化すようにつぶやいた。

「ここまでは想定してなかったでしょ。一般人がルイを襲うなんてね」


 セイヤは何があったのか、すぐに悟る。

「お前がやらせたのか?」

 そう問いながら、遠くにいるリサとルイに目をやり、再びサギーに視線を戻す。


 リサを見やった時、セイヤに気づいたリサは小さく頷いていた。ルイの怪我は命には別状なさそうだった。


 サギーは冷笑する。

「さあね、どうかしら。でも、ルイのおかげで、トウア人はシベリカ人を嫌悪するようになり、シベリカ人もトウア人を嫌悪するようになった。この空気は誰にも止められない」


 そして、さらに歩を進め、すれ違いざまにセイヤに言い放った。

「あなたは私に勝ったつもりだったでしょうけど……逆転したのよ」


 そのサギーの腕をセイヤはとっさにつかんだ。売店で買ったものがセイヤの手を離れ、音を立てて地面に落ちていく。


 サギーは愉快そうに目を細めた。

「あら逮捕できるの? どこに証拠があって? 私を監視している公安に訊いてみなさい。私は何もしていないわ。偶然、ここにいただけ」


「……」

 そうだった、サギーは公安が監視していたはずだった。そしてサギーはとっくにそれに気づいていた。セイヤは力なく手を離す。


 サギーは視線を前に向けたまま、振り向くことなくそのまま遠ざかっていった。


 その後、トイレから出たジャンも駆けつけてきた。「一体、何があった?」


 人々のざわめきの中から、救急車の音が近づいてくる。

 陽が隠れた空はすっかり暗くなり、救急車の赤色灯が辺りを不気味に照らした。

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