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プライオリティ  作者: ハヤシ
シーズン1
2/73

プロローグ 喪失


 透き通るような青が空一面に広がっていたその日。

 久しぶりに兄さんと繁華街へ繰り出した。


 この春、兄さんはトウア国・治安局付設訓練校を卒業し、念願だった治安部隊の入隊が決まっていた。今日はそのお祝いしようということで食事にきたんだ。


 久しぶりの外食にちょっとワクワク。予約した時間はまだ先なので、それまでは街をぶらぶら散策しようということになった。


 ちょうどいい。ウィンドショッピングで、兄さんが反応を示したものをチェックできる。

 プレゼントは何がいいかな。バイトしてそれなりにお金は貯めたんだけど、あまり高価なものは無理だな。



 1年前、交通事故で父と母を亡くし――当時、成人年齢に達していた兄さんが私の保護者となり、二人暮らしが始まった。


 治安部隊の訓練生は治安局の訓練学校に付設されている寮へ入るのが原則だったけど、兄さんは特別な事情があるということで自宅から通うことが許された。


 それからは兄妹二人、父さんが遺してくれたお金をやりくりしながら何とか生活してきた。

 父さんと母さんをいっぺんに失い、ただただ悲しくて塞ぎ込んでいた私も、兄さんが傍にいてくれたおかげで寂しさを紛らわすことができた。


 そしてようやく――お祝いしようっていう前向きな気持ちになるまでに回復し、この日を迎えた。空は雲ひとつなく晴れ渡っていて、天も祝福してくれているようだった。


 兄さんは公務員として安定した職を得る。財布の紐もちょっとゆるんでしまいそう。私の心は弾んでいた。兄さんも頬をほころばせ、嬉しそうにしていた。


「今日はちょっと贅沢をしよう。その前にお金を下ろさなきゃな」

 私と兄さんはトウア中央銀行に寄った。



 そして今――


 目の前には覆面した一人の男が拳銃を構えていた。銀行強盗だ。

 表口玄関はシャッターで閉ざされ、私と兄さん、ほかのお客さんや銀行員は部屋の隅に集められ、床に座らされていた。


 この頃、トウア社会は治安が悪化していて、こうした凶悪犯罪が増加傾向にあった。それも未解決事件が多く、犯人の逃走を許し、検挙できないケースが多発していた。


 正義感の強い兄さんは、いつの頃からか治安部隊入隊を希望するようになり、こうして夢を叶えたところだった。


 そんな兄さんは犯人から守るようにして私の真ん前に腰を下ろし――

「大丈夫だ。そのうち治安部隊が助けてくれる。すでに通報が行って、この銀行を取り囲んでいるはずだ。こいつが捕まるのも時間の問題だ」

 そう言って、犯人の方へ軽く顎を杓った。


 でも、兄さんの予測は覆された。


 銀行周辺のあちこちの建物に仕掛けられたとされる爆弾が爆発し、街はパニックに陥り、治安部隊はその対応にも追われることになった。


 銀行内に閉じ込められた私たちにも、その爆発音や人々の悲鳴が聞こえていた。

 何が起きているのか――その時はまだ詳しいことは分からなかったけど、とにかく緊迫した異常事態に陥っていることは分かった。


 治安部隊が犯人を取り逃がす可能性が出てきた。これを機に犯人は逃走する――そう判断したのだろう、兄さんはいきなり立ち上がり、紙幣が詰まったザックを背負おうとした犯人に体当たりをし、拳銃を持っている犯人の右手を叩いた。


 ザックを背負う時だけは、犯人も拳銃の構えを解かざるを得ず無防備になる。兄さんはそこを狙ったのだ。犯人もまさか客の一人が襲ってくるとは思わず、油断をしたのだろう。


 犯人の手から落ちた拳銃を兄さんは蹴り飛ばす。拳銃は床を滑っていき、ほかのお客さんが拾った。


 犯人はそのままザックを背負って、表玄関とは反対側にあるドアを開け、部屋を出た。裏口のほうに向かったのだろうか。兄さんもその後を追いかける。


 もう犯人は拳銃は使えない。格闘術ならば訓練を受けてきている兄さんのほうが上だ。

 兄さんの活躍が見たくて、私も後を追った。


 周囲を伺いながら廊下を抜け、裏口が見えた時、その手前で兄さんは犯人を取り押さえ、馬乗りになり、犯人の覆面を剥ごうとしていた。


 犯人の口もとが見えた。左頬から口もとにかけて大きな傷跡――。


 しかし、犯人の顔が晒されることはなかった。

 ふと視線を横にずらすと、兄さんの横腹にナイフが深々と突き刺さっていた。


 犯人はナイフを乱暴に引き抜いた。

 床に血をまき散らせながら、兄さんが転がる。


 私は立ちすくみ、金縛りにあったかのように動けなかった。


 立ち上がった犯人はめくれた覆面を直しながら、私のほうへ体を向けてきた。覆面の二つの穴がジッとこちらを見据える。


 恐怖のあまり、私はそのまま座り込んでしまった。体が硬直して動けなかった。

 その時、四つん這いになって起き上がろうとしていた兄さんと目が合った。


「逃げろ」

 兄さんは声を振り絞るようにして叫んで、跪いたまま手を伸ばし、犯人の手首をつかんだ。


 犯人はそれを振り解くと、兄さんを蹴り倒して馬乗りになり、何度も何度も兄さんを刺した。ナイフが兄さんの体に沈み、それが抜かれる度に、兄さんの体は大きく震えた。命が流れ出てしまうかのように赤いものがふきこぼれ、激しい息遣いだけが聞こえてくる。


 犯人は赤く染まったナイフを私に向けた。

「動くな。動いたらこいつと同じ目に合う」


 私はずっと微動だにできなかった。兄さんが瀕死の状態で倒れているのに、何もしなかった。 何もかもがフリーズし、頭の中は真っ白だった。


 どのくらい時間が経ったのだろう。

 ようやく目の前で起きたことに頭が追いついた時、すでに犯人の姿は消えていた。


 呼吸に合わせ、微かに動いていたはずの兄さんの胸が、今はもう静かだ。

 息遣いは聞こえなくなり、床には赤いものが広がり続けている。


 私はただただ動かなくなった兄さんを見つめていた。兄さんの目は開かれたまま、私のほうへ向けられていたけれど、その瞳にはもう私の姿は映し出されていなかった。


 ――兄さんは私を守ろうとして……殺された?

 ――私が兄さんを死なせてしまった……。


 さっきまで私の心を包んでくれた祝福の青空は、地に広がる赤い血に取って変わる。

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