貴博くんの誕生日
僕、綾小路隼人はその日、退屈していた。
特に何の変哲もない、いつもと変わらない1日。
昼休みが終わりを迎えようとしている今、この平凡な1日が放課後まで続くだろうと思っていた。が。
「そういえば、今日は貴博の誕生日だな」
気だるい1日の生温かさにどっぷりと浸かっていた僕は、友人である黒田恭弥の一言でその思考を止めた。
ついでに言うと、飲んでいたイチゴ牛乳を半分ほど噴き出した。
「……落ちついたか、隼人」
昼休み終了5分前。
恭弥はイチゴ牛乳を噴き出した僕にハンカチを差し出しながら半ば呆れた表情で聞いてきた。
むせている僕は礼も言える状態ではなく、取り敢えず恭弥から借りたハンカチで口元を拭う。
甘ったるい匂いとベタつき加減にまたむせそうになった。
無理矢理咳き込んで自分を落ちつかせながら、先程恭弥から発せられた爆弾発言を思い出す。
『今日は貴博の誕生日』
知らないし! 今知ったし!
それが伝わったのか、恭弥は持ってきた雑巾で机の上を拭きながら溜息を吐いた。
「聞いてなかったのか?」
「……てない」
「ま、己の誕生日を自ら言いふらすような性格じゃないからな。貴博は」
お前が知らなくても仕方ないな、と慰めなのかそれとも責めているのか、静かに言いながら恭弥は空っぽになったイチゴ牛乳のパックを捨てに行った。
ようやく落ち着いた僕はというと、ポケットに入っていた自分の財布をおもむろに開き、
「ていうか隼人、もう昼休み終わ……どうした?」
あまりにも財布の中身が寒い事に撃沈している僕を見て、恭弥は今日二度目の溜息を吐いた。
とはいえ、いつまでもこうしてはいられない。
3-2に帰ろうと立ち上がったのだが、重要な事を思い出して僕は慌てて恭弥の元に駆け戻った。
そんな僕を不思議そうに見ている恭弥の手を取り、
「ごめん、助かった」
イチゴ牛乳まみれになったハンカチを返して、僕は今度こそ3-2に向かって駆けだした。
背後から「洗って返せ、馬鹿隼人!」って恭弥の声が聞こえた気がしたが、そんな事に構っている暇もないのでさっさと3-3を後にした。
6時限目、最後の授業を抜け出して屋上に来た。
幸い先客は居らず、1人で考え事をするにはもってこいである。
5時限目は小テストがあったので考える暇などなかったが、放課後まで残り1時間弱。
何とか頭を捻るだけの時間は稼げるだろう。
で、問題は貴博へのプレゼントをどうするか、だ。
ハッキリ言ってお金はない。財布の中身どころか貯金だって寂しいものだ。
これから学校を抜けだしてプレゼントを買いに行くのも無理がある……というか、ここまで考えて一番の難題にぶち当たった。
岩崎貴博に、一体僕は何を渡せばいいんだ……!?
待て待て落ちつけ。取り敢えず屋上の隅っこに座りこんで僕は貴博の事を思い出した。
貴博は1年生で、僕と同じく新聞部に入っていて……それで………それで?
そこまで考えて僕の頬を汗が伝った。
『やばい』という単語だけが僕の脳内を占めていく。
「僕、貴博の事知らなすぎじゃないか?」
屋上で1人呟き、力なくその場に倒れ込む。
呟いた言葉は、無情にも6時限目の終わりを告げるチャイムの音にかき消された。
結局あの後もしばらく屋上から動けず、気付いたら陽が傾き始めていた。
重い足取りで教室に戻ると中には誰もおらず、気付けば僕は自分の席に座っていた。
背もたれに全体重を預けて天井を仰ぐ。
僕の手には、彼に渡せるものなど何もない。
だからといってこのまま何もしないのは……その、恋人としてはどうかと思う。というか最悪だと思う。
何とかしなくてはと分かってはいても何をすればいいのか、答えは出て来ずただ堂々巡りが続くだけだ。
どうしよう、どうしようと考えていた。その時。
「あ、綾小路先輩」
「おぁ!?」
教室の入り口から聞こえてきた声に驚いて僕はバランスを崩した。
派手な音を立てて床に転がった僕は幸い頭を庇ったものの腰を打った。すっごく痛い。
何とか上半身を起こすと、目の前にはいつの間にか、僕の名を呼んだ彼が立っていた。
「……貴博」
「綾小路先輩、大丈夫ですか!?」
「へーきへーき」
本当は全然平気じゃないけど、ここで痛がるような姿を彼に見せるわけにはいかない。
何でもない風を装うと、貴博は心配そうな顔で僕の前にしゃがみこんだ。
そんな彼に何を言えばいいのか解らないまま、気付けば僕は貴博の胸に顔を埋めていた。
「綾小路先輩、どうかしたんですか?」
「……貴博、今日誕生日なんだってね」
小声でぼそりと呟くと、貴博の体が一瞬だけ固まった。
顔は見えないけど、多分ちょっと困った顔してんだろうなぁなんて思ってると頭上から「はい」と返事が聞こえてきた。
「……ごめん、何も用意してないんだ」
「いいんですよ。そもそも僕、言ってませんでしたから」
「……恭弥は知ってたよ」
「新聞部の部員の誕生日は、全員分部室のカレンダーに書き込まれてるんです。だからですよ」
ふーん、と返事をしながらも僕は顔を上げられずにいた。
果たして、どんな顔をして貴博を見ればいいのか未だに解らない。
僕の重みを受け止めたまま、彼は何も言わず動かない。
いっそ肩でも押し返してくれればいいのにと思いながらも、僕はもう少しだけ貴博の胸に額を強く押し当てた。
そのままどれだけの時間が経っただろうか。
「___貴博」
漸く発した声は僅かに裏返った。
顔を上げると、貴博はいつもの穏やかな表情で僕の事を見ながら「はい」と答えた。
「僕が用意できる範囲で欲しいものとか、してほしい事とかある? どうにかするから」
お金はないけど、と小声で呟くと貴博は小さく笑った。
それは決して嘲るようなものではなく、僕の言葉自体が嬉しいと言わんばかりの笑みだ。
貴博はゆっくりと僕の脚の間に膝をつくと、さっきまでこっちがやっていたように僕の胸に顔を埋めてきた。
「綾小路先輩。僕の頭、撫でて下さい」
顔を埋めたまま、貴博は温かい声でそう言った。
困惑したものの、彼がそう望むならと右手で貴博の頭を撫でてみる。
……って、意識しながら人の頭撫でるのって何か変な気分だ。
いつも貴博の頭を撫でる時どうしてるんだっけ。
考えながらだと上手くいかないなと思い、一旦肩の力を抜いて一度撫でてみる。
何となくだが、僕に凭れている貴博が小さく笑ったような気がした。
「ねえ、貴博。こんなのでいいの?」
さすがに誕生日プレゼントにこんなのじゃ駄目だろうな、と思い問いかけるが貴博は答えない。
取り敢えず撫で続けていると、ゆっくりと彼の手が僕の背中に回された。
「綾小路先輩」
ぎゅう、と貴博が僕の胸に耳を当てながら強く抱きついてきた。
頭を撫でながら、僕よりもだいぶ小さくて細い体をもう片方の手で抱き寄せる。
触れている貴博の体は結構温かくて、多分気を抜いたら寝てしまいそうなほど心地よかった。
「綾小路先輩は知らないかもしれないけど、僕、こうしてもらうの大好きなんです」
すり、と貴博が頬を擦り寄せる。
その仕草が、懐いてくる小動物に似ていて思わずキュンとした。
「乱暴な手つきの時も、それと正反対に凄く優しい手つきで撫でてくれる時も。大好きなんです」
「……ただ頭撫でてるだけだよ」
「いいんです、それが好きなんです」
心底嬉しそうに告げる貴博の言葉に嘘はないだろう。
逆に、それだけなのだろうかと若干不安になっていると僅かに貴博が顔を上げた。
どうした、と問いかけるより先に唇に温かい物が触れて、すぐに離れる。
「それに、綾小路先輩がこうしてくれるのは僕にだけだから」
「……貴博」
「だからいいんです。あ、でもおめでとうって言葉は欲しいですよ?」
背中に回していた腕を僕の首へと移動させて、僅かに首を傾げながら貴博が囁く。
出会った頃は純真無垢で可愛い後輩だと思っていたが、どっこい。
結構小悪魔的な部分が彼にはあったようだ。
……まぁ、そんな所も含めて僕は彼に惚れてしまっているわけだが。
頭を撫でるのを一旦やめて、両手で貴博の腰を抱き寄せる。
唇が触れるほど顔を近づけて、彼の目を真っすぐ見つめた。
「誕生日、おめでとう」
そう言って、今度はこっちからキスをする。
顔を離すと貴博は心底嬉しそうに笑いながら、再び僕の首に抱きついた。
「はい、ありがとうございます」
「そろそろ帰ろうか」
「そうですね」
「……あのさ、来年はちゃんとプレゼント用意するから」
「はい。あ、そうだ。綾小路先輩」
「ん?」
「手、繋いで帰りたいです」
「なっ!?」
「……ダメですか?」
「…………ほら」
「えへへ」