非常時とは 逃げ方と隠れ方
志保子は薄暗いコンビニの店内で 駐車場側の窓ガラスに
当時 彼に聞いたようにダンボールで目張りする作業をしながら
他に何か大事な事を伝えてくれていなかったかを思い出そうと頭を捻る
「ほとんどの生物は五感ていう視覚 聴覚 触覚 味覚 嗅覚で外界を
感知しているんだけど それを利用して逆に錯覚という騙す事が出来ると思う」
そういって彼は更に続ける
「トリックアートなんかが良い例だけど 後は相手がより強く反応する感覚を
見極める事が出来れば 自分の安全の確保する事は出来ると思う」
「例えば大きい音に反応するなら 用意出来ればだけど音楽プレイヤーで
音出して そっちに誘導するとか 他にも視覚はより自分に近い動くものに
反応するから何かを投げて気を逸らすとか・・」
「それとそれで外界を感知してるなら 視覚なら見付からない見えない様に
聴覚なら聞こえない聞かせない様に 建物に避難して出来る材料があれば
ダンボールなんかは 音もそれなりに吸収するから窓とかに目張りするとか」
自分が今している作業も その話を思い出して始めたものなのだ
そうして私は彼が他にも伝えてくれた言葉に思い出す
「機械の体でもない限り生物のほとんどは休憩や睡眠をとる時間が必要で」
「ヤドカリみたいな生き物でもそうだけど 殆どの生物は自分が安全に休息する
事が出来る「巣」に帰る習性があるから もし何処かに避難とかして身動きが
取れない時でも 慌てずに「巣」に戻る時を見計らうのが良いと思う」
それを覚えていたから こうやって少しは安心して行動できる時間帯を見つけて
安全に眠れる時間も出来たのだ
「あの時」以降 断続的に聞こえる悲鳴は 多分隠れていた人達が その事を
考えずに焦って飛び出してしまったからなのかも知れない。そう思うと
聞いてなかったら 自分もそうだったかも知れないと思い冷や汗が流れる。
「他にも「こうだろう」や「こうに違いない」という思い込みっていうのも
あるから それを利用する事も出来れば もしもの時に逃げやすくなると思う」
確か私はその時「例えばどう利用するの?文くん」と 尋ねた事を思い出す
彼は考え事をしている時の癖である 右手の人差し指をくるくる回しながら
「これは人間相手だけかもだけど・・」と前置きしつつ
「例えば志保子さんが 建物の中で誰か悪い人を追い掛けていて
行き止まりで追い詰めたはずなのに姿が見えないとするね」
そこで確か私は冗談で彼を指さし「Hな人は 悪い人?」とジト目で聞いたら
彼が慌てて「僕はHな人でも 悪い人ではないよ!」と手をあたふたさせ
笑いながら答えてくれたのを思い出し口元がつい綻ぶ
彼は一つ咳払いをしてからお話の続きをしてくれる
「そこは二階だとして右側に開いた窓があって 念の為と壁を調べたら
隠し部屋を見つけて その中には誰も見当たらないとしたら
その場合 志保子さんはどうする?」と 尋ねられ
「窓から逃げたと思って追いかけるかな?」と 思った事を答えると
「他には何もしない?」とさらに尋ねられ 少し悩んだが
「でも急いで追い掛けないと逃げられちゃうよね?」と尋ね返す
「いまみたいに隠し部屋の中に居ないなら 窓からという「こうだろう」と
隠し部屋の中に さらに隠し部屋があるとは思わない「こうに違いない」と
いうのを上手く利用するっていうのかな」
その彼の言葉になるほどと感心したものである
他にも確かなにかを・・・と さらに思案する
「自然災害での避難とかだと 例えば津波は波というより同じ高さの水の壁が
迫ってくるようなものだから 腰より下の高さでも全然身動きが取れなくなるし
どんなに海から「遠くに」離れても 海抜より低ければ何処までも追いかけて
くるから 頑丈な高いビルの「上に」逃げるようにするとか」
「他にも山での遭難なら 沢筋といって川の横を下るのは とっても危険で
何でかというと水が流れるとこは地盤が緩いから流れるんだから 滑ったり
行った先が急峻な地形になっていて降りられなかったりするんだ」
「なので動かずに救助を待つか 逆に見通しの良い頂上を目指したほうが
助かる見込みは大きいと思う」
「あとさっきの話で避難している建物に相手が入れないようにするって事は
自分も外に出難いって事だから 今度は逃げる時に逃げにくくなるよね」
「その為にも相手は使えないけど 自分はいざとなったら使える逃げ道を
作るようしておくと良いと思う」と彼は語ってくれる。
その事について少し考えてる私を見て彼は微笑みながら
「避難場所が二階建て以上の建物か屋上に上がれる平屋なら 隣の建物に
飛ばなくても移れるように 木の板とかで橋を掛ける用意をしたりとか
人間は緊張すると筋肉が萎縮して 普段は飛べる距離も飛べなくなるから
だからその為にもって感じかな 落ちたら痛いしね」
「あと排気ダスタがあれば 何処とどう繋がっているか調べて
自分のみの通路としてうまく利用するとか避難はしごやロープを使って」
少し考えれば誰もが気が付く事かもしれないが 彼は敢えてわかり易く
ゆっくりとした優しい口調で教えてくれたのだ。
その少しを考えている間に他の人達が次々亡くなっていった中で
いまこうして私は生き残っているのだから彼には感謝しなければいけない
「落ち着いて考えれば分かるっていうのは 非常時には通じないんだよね」
「落ち着いて考える余裕がない状態 だから非常時なんだから」と言っていた
彼の生真面目な横顔を思い出す。
「本当にそうだったな・・」と思う そう思ったとき
ほんの少し寒気を覚え作業の間は脱いでおいた肩掛けを羽織る
こんな時に体調を崩す訳にはいかない あの時のように今は彼が居ないのだから
そして彼が私をお見舞いに来てくれた事を思い出し
自分の不注意で体調を崩してしまった 前日の二人でいった水族館の記憶に
私はほんの少しだけ心を委ねるのだった