思い出を思い出しながら
薄暗いバックルームに置かれた 事務机の椅子に腰を降ろしながら
志保子は離れ離れになって七年もたった今でも 記憶の中に色褪せる事なく残る
当時はまだ「田口くん」と呼んでいた 彼との初々しいやり取りを思い出し
懐かしさと嬉しさで口元が緩むを感じた。
古い過去の記憶で浮かぶ祖父母や父との あまり芳しくない思い出や
入学から五年生の一学期まで過ごした 福島で通っていた小学校での
孤独と疎外感に満ちた学校生活。
そして今の明日どうなるかすら分からない 我が身への不安と焦燥の中でさえ
自分の心をこんなにも温めてくれる彼との記憶には 感謝しなければならない。
そして当時、彼から聞いた色々なお話で学んだ知識が
少なくとも今は 自分をこうして生かしておいてくれたのだから
他にも何か大事なことを私に 伝えてくれてはいなかったか
きちんと思い出し実行しなければならないと思う。
水や食料はある 有り過ぎるくらいだ。
避難出来たのが コンビニエンスストアーで本当に良かったと思う。
女性にとっては必需品の生理用品の他にも 代えの下着や避難生活で使う
各種生活用品もそれなりに揃っているので 不自由さは多少はあるにしても
充分に生活の方は出来ているのが助かる。
店舗の入口のガラス戸の所には横転した 多分配送の車なのだろう
大型トラックがあり「あれ」が侵入してくるのを防いでくれている。
亡くなったドライバーさんには 大変に申し訳ないのだが
本当に良い場所で横転してくれたと思う。
ガス以外のインフラ各種も今のところは全て使えるので
シャワーやお風呂はさすがに無いが お湯で身を清めることも出来るのは有難い
女性であるから云々もあるが清潔でいる事が いかに健康に繋がるかは
避難生活での二番目の死因が 病死である事からもわかる。
この状況が一体何時まで続くかはわからないが ここの置いてある
インスタント食品などの物資の量ならば 半年は生活する事が可能だとは思える
救助が来るまでの間 何とかこれらを使って生き延びる事が出来れば良いのだが
と考えて 救助は来るのだろうか・・と 酷く不安がよぎる。
想像する事すらなかった今の現状を考え
暗く落ちそうになる気持ちを頭を振って誤魔化すと
壁にかかった時計を見て「あれ」が多分「巣」として使っている
日立駅に戻るまでは まだもう少し時間がある事を確認する。
「あれ」が「巣」に戻っている間に やっておかなければいけない事を
ノートに一つ一つと思案しつつ書き出しながら
もう少し彼との温かい思い出に浸っていたいと思い
私は目を瞑るのだった。