命を頂くという行為
会社の寮であるビルの階段を その入口を向かうために降りながら
私は階段踊り場の窓から入る太陽の光に少し目を細める
始めに屋内に入った時よりも だいぶ時間が経っているので
太陽の白い光で照らされていた廊下も 今は外から入る夕日の色と同じ
少し赤みが掛かったオレンジ色に染められている
「今日も終わった・・」
普通の人にとってみれば夕方からの時間は会社や学校が終わり
同僚や友人たちと飲みにいったりカラオケやゲームセンターに向かう
遊びなどの余興に興じる時間帯だったりする。
塾に行く子供たちも多い事だろう。
もしくは「はやくお家に帰して!!」と叫び出したくなる気持ちで
終わらない終わる気配さえ見えない仕事の山に囲まれながら
半泣きで労働に励むのかも知れない。
こちらは私も痛いほど経験した事なので実感がすごく湧いてくる。
都内とは違い少ない路線と電車の本数 早い終電時間に気が焦り
あの楽園の地(川田ハイツ202号室)に仕事という名の病原菌を
持ち帰らなければ行けないのかと思うと憂鬱になったものだ。
まぁ持ち帰っても結局やらずに 次の日に上司に良く叱られていたものだが
「ちっ違うんです・・誘惑が多いんです あの部屋には」
などと良く言い訳したものである。
そういえば あの髪の不自由な山口部長は元気だろうか・・と思い出してしまう
多少口うるさいところはあったが原因がほぼ私の凡ミスなので
まぁ言ってみればwin-winな関係ではあったと思う。
「田口くん 良くやってくれた!」の褒め言葉には
「僕に掛かればこの程度余裕ですよ!フハハハハ」と言葉を返し
「なんでこんな凡ミスしてるんだ!何年仕事してるんだ田口!」の声には
「本当に申し訳ありません 部長と!」と反省した声音で返しつつ心の中で
「俺に任せたお前が悪い!人を見る目を養え馬鹿め!」などと思っていたが
思い返してみても良い人だったとは思う 髪の量が残念だった事を除けば
何が起きたのか未だに良く分からないが
辛い目やひどい目に合ってないと良いのだが
そんな事を考えながら階段を降りつつ
そういえば良く晩御飯をご馳走になった事を思い出す
そして一階に到着し戦利品の山に女子寮から運んできた鞄を置くと
私は管理人室の横を通り調理室に向かう
山口部長の「最近 娘が冷たいんだ・・」という愚痴を聞きながら
「年頃なら仕方ないですよ 部長!」と
誠意のないテンプレ回答しつつ 美味しくご馳走になった焼肉を思い出し
調理室の冷蔵庫に入っていた野菜とお肉をこの手に掴むためである
生モノから頂かないと食べ物が無駄になってしまう。
食べ放題バイキングやビュッフェ形式のご飯屋さんで
食べ物で遊んだり 食べれないのにお皿に載せて残して帰る
阿呆どもの頭に金属バットでフルスイングしたくなる正義感溢れる私である。
他の物の命である食べ物は大事に頂くべきである。
お肉やお魚など食べる段階では ほぼ加工された形で提供されるため
ほんの少しの想像力もない そういう輩は食べ物で遊んだり残したり
してしまうのはある意味仕方ないのは分かる。
「馬鹿は馬鹿だから馬鹿な事をする」というやつである。
かくいう私も馬鹿であり親の躾のおかげで食べ物で遊んだり
無駄にお皿に載せ残したりはしなかったが 好き嫌いが激しく
出された物をどうしても残してしまう事があった
それが変わったのは確か小学校五年生の頃にあった社会見学の一環である
食肉加工工場の見学会であったと思う。
マイクロバスに乗り隣に座る志保子とお菓子を交換しながらワクワク気分で
行った先の工場で見た出来事にはショックを隠せなかった。
今、考えれば動物福祉(意味のない苦痛をなるべく与えないようにする事)
という観点から見てもしっかりしていたのは理解できる。
だがそれまで鼻をブヒブヒさせながら
僕らの差し出す指をすごい勢いでペロペロと舐めていた
つぶらな瞳が可愛い豚たちを電気ショックで気絶させて
とても大きな包丁でどんどん加工していく光景を見た僕たちは
いつのまにか ふざけたりはしゃいだりする声を抑え
神妙な面持ちで目の前に映る
「普段食べている物の最初の姿が普段食べてるものに変わる過程」
を見入ったものである。
その帰りのマイクロバスが行きとは違い始終無言であったのは
今でも印象深い
その時の経験からか食べ物を無駄にする行為は
本当に良くない事だと思い至った私は驚くほど 好き嫌いが無くなり
なんでも美味しく頂けるようになったのだから感謝しなければならない
まぁ苦手なものはあるのだが
そんな事を思い出しつつ調理室の冷蔵庫を物色し
「今夜のご飯は何にしようかしら・・あの人の好きな二バレラ炒めかな!」
などと小芝居をしながら 豚バラ肉や野菜などを取り出し
積んであった空のダンボールに綺麗に並べて入れると
ダンボールを抱えて調理室を後にするのだった。