袖口
セミの鳴く声が少しだけ途切れ
強くなってきた風に太陽の日差しを遮っていたカーテンが
窓際の机の端に触れたり離れたりするのを視界の隅で見ながら
僕はすぐ隣に座る志保子さんの横顔に
そっと気付かれないように視線を送ってみる。
そして先程のやり取りについて少し思いを巡らすと
言葉を選びつつ文章を書き始める。
ほんの五分前
顔をあげ目を合わせ きちんとお互いに笑い合う事が出来た事に
僕は心底ほっとし「では お互い様で」の その下の方に
「こんにちは 今話しかけても 平気ですか?」と
女の子らしい こじんまりした丁寧な筆跡で書かれた文字を見て少し驚く
もしかして話し掛けようとして 袖に触れていたのかも知れないと考えると
ハリウッド並みのオーバーリアクションを取ってしまった
自分を殴りたくなってしまう。
今度は間違えないように気持ちを落ち着かせて ゆっくり言葉を選んで
気持ちをそのままに書くと長くなりそうな文章を
なるべく短く分かりやすく簡潔に書いてみる。
その方が何度もやり取り出来るかもと思ったからだ
「こんにちは ノートの下端のメッセージを見ましたが もしかして
話し掛けようとしてくれていましたか?勘違いだったらごめんなさい」と
なるべく丁寧な字で書いてみる 字が下手だと思われたら恥ずかしいのだ。
飯島先生が板書するのに黒板の方を向いた時を狙って
志保子さんの机の方にノートの端を近づけると
どうやって合図を送ろうかと少し困ってしまう
志保子さんが自分に多分だけれどもしてくれた様に
袖口に指先を掛けて引いて呼んで見るのもいいが やはり少し緊張してしまう。
考えて見れば誰かに話掛ける事に こんなに緊張するのは初めての事である
それにあのメッセージだって 自分に向けられた物じゃないかも知れないし・・
と考えると 先程まで浮き立っていた心がほんの少し落ちてしまう。
そんな事に頭を使っていたからか 志保子さんがこちらに小柄な体を寄せて
僕が寄せていたノートの端を読んでいる事に 気が付くのが遅れてしまい
飛び跳ねてしまいそうになる。
今度は大丈夫。
緊張しながら志保子さんが 僕の文章を見てどう反応するか
ドギマギしながら待っていると
その小さな可愛らしい頭をあげ にっこり微笑むと
僕の書いた文章の下に こじんまりとした字で「あたりです。」と書き
その少し下に「今度から呼ぶ時に 袖を引いて良いですか?」と書き足した
「いつでもどこでもいくらでも 袖でもなんでも引いてください!」などとは
書けないので
「じゃあ今度から 僕もそうやって呼びますね」と
紳士的に書いてみる
すると志保子さんは僕の袖口を軽く掴むと 小さく頷いてくれたのだった