名前のない気持ち
「失敗した・・・」と
志保子は思い すぐさまその袖口に掛けた指先を外した
私は彼のすごく驚いた表情と自分から距離を置くように
椅子から立ち上がった姿を見ると
話し掛けようと考え どうやって気が付いてもらえるか
あれこれ思案していた時の楽しい気持ちは霧散してしまい
彼と目が合った瞬間に顔を下げて俯いてしまいます
飯島先生の呆れた感じで注意する声に
「どうもすいません 少し電波によって操られて!」と答え
クラスメイトたちの笑いながらの
「どうしたんだーよ文!」との声には
「うるせーな ちょっとあれだ怪電波を受信したんだよ!」と返し
椅子に座り直すその姿を横目に見ながら
自分のせいで先生に叱られた彼に謝りたい気持ちで
胸が一杯になってしまいました
「余計な事するんじゃなかった・・」と思い
とりあえずきちんと謝ろうと彼の方に顔を向けると
彼もこちらを見ており慌てて顔を逸らしてしまいます
顔を俯むかせて泣きそうなる気持ちで
どうしようどうしようと思い悩んでいる私の目の前に
綺麗に日に焼けた腕と自分よりとても大きい手のひらが
ひらひらとしているのが見えました
そっとその腕と手の平の持ち主である彼の方を伺うと
ちょっと困ったように微笑んでる彼と目が合います
何か言わなきゃ・・と思いますが 声が詰まりうまく出て来ないのです
少し涙で潤んだ目で彼の顔を見ていると
彼はちょっと頬を指先で掻くともう片方の手の指先で
こちらに寄せたノートの片隅を ちょんちょんという感じで指しています
目に溜まった涙を拭いながら顔をノートに寄せて
書かれている文字を見てみると 先程も見たとても丁寧な字で
「驚かせてごめんなさい びっくりさせちゃったかな」と書いてあり
その少し下に「大丈夫?」と書いてありました
驚いて顔をあげて彼の顔を見ると
心配そうな表情でこちらを見ている彼と目が合い
慌てて謝ろうと口を開こうとすると
彼は頬を掻いていた指先を口元にもっていき「しー」とするようにすると
こちらに背中を向けて黒板に板書している 飯島先生の背中に視線を送ります
「そっか声を出したらまた怒られちゃう・・」と思い
彼と同じようにノートの隅に文字を書こうとしますが
下隅には すでに書かれていたので
上隅に「こちらこそ ごめんなさい」となるたけ丁寧に書き
少し下に「私のせいで」と書き足します
恐る恐る彼の方にノートを寄せると さっき私がしたように彼も
ノートに顔を寄せ私が書いた文字を読んでくれています
くるんとした 可愛いつむじが見えて つい口元が綻んでしまいました
彼は文字を読み終えると 少し迷った感じで鉛筆を握ると
私の書いた文字の少し下に「では お互い様で」と書き足しました
二人でその文字を見つめ
顔をあげ目が合うと自然とお互い笑い合ってしまいました
暖かくなっていく胸の奥の方に芽生えた
この今はまだ「名前のない気持ち」に 素敵な名前が付くのは
まだほんのちょっと先の話なのです