ノート端っこで
セミの鳴く声が徐々にその大きさを増していく夏の日。
午前中の教室で 窓から入る風が涼さを運び
前の日の夜 明日に控えた転入の日を思うと
上手く寝付けなく寝不足気味だった事もあり
油断すると少し眠ってしまいそうな そんな微睡みの中で
志保子は飯島先生の授業を進める声に耳を傾けながら
さきほど会話を交わした すぐ隣の少年に視線をほんの少しだけ向けてみる
田口くんは先生が黒板に板書した文字を
意外にも と言ったら失礼ですが 丁寧な字でノートに書き写しながら
たまにちょこっと気難しげな顔をして なにかを思い悩んでる感じがします。
先程見せてくれた笑顔とは違う、そんな大人っぽい横顔を見つめながら
「さっきちゃんと返事を返せなかったな」と思い
「どんな事を考えてるんだろう・・?」と気に掛かり
「そもそもなんで私が いくえみ綾を好きって知ってるんだろう」と
私は考えてしまうのです。
思って気に掛かって考えていると 本人に直接聞いてみたくなります。
それは私にとって生まれて初めての感覚だったのです。
私にとって母以外の他人との会話は 焦りと不安ばかりが先に立ち
会話の内容を楽しんだり 後になって思い出して気持ちが浮き立つ事など
今まで一度も無かったからなのです。
しかも相手は男の子ですし・・・
私は彼の横顔をチラチラと横目で眺めながら
「もう少し話をしたいな・・」と思い 教室の壁掛け時計を見ると
まだ授業が始まって十分くらいしか経っていないのがわかります。
そうすると今度は「早く話をしたいな・・」と思うのです。
でも授業中で、しかも教壇向かいの一番前の席なのです。
話しかけようと声を出せば 先生に聞きとがめられて
自分だけならまだしも もしかしたら彼まで怒られてしまうかも知れません。
どうしよう・・と考えて 私はピンときたのです。
以前の学校で授業中に自分の前に座るクラスメイトが
ノートの端っこに文字を書いてメッセージを作ると
隣の子と仲良く やり取りをしているのを思い出したのです。
自分もやってみようかな と思い 嫌がられたらどうしようと考えます
ただ先ほどの彼とのやり取りを思い出すと
そういう事は無いだろうとも思うので
そう思うと早くやり取りがしたくなり
ノートの右下の端の方に、なるべく丁寧な字で書き始めるのです。
字が下手だと思われたら少し恥ずかしいですから。
そうして私は あれこれ悩みながら
悩んだ長さに比べれば ほんの少しの短い文章を何度も確認して
彼の方に少しノートを差し出すようにしてみます
そして すぐ隣にある彼の袖口に指先で触れてみるのでした