母の泣く理由
幼い頃の志保子の記憶に一番多く残っている母の姿は
父の母親である祖母に責められ 俯いて涙をこぼしている後ろ姿だった
初めて、それを見た志保子が慌てて祖母に「お母さんをいじめないで」と
頼みにいくと「だれのせいで」や「あんたの教育が」など
さらに祖母が怒りだすので それを知った幼い志保子には
襖の影から それを眺めているしか出来なかった
どうして母はおばあちゃんにあんなに怒られているのだろう・・
イタズラでもしたのかな などと幼い志保子は考えていたのだが
小学校に入るまで家の敷地からすら出た事のなかった志保子には
その理由が分からなかった
「恥ずかしい子だから」
「出来損ないだから」
祖父や祖母が母に言う そういう理由で
保育園も幼稚園にも通う事が無かった志保子は
広い屋敷の片隅の離れで母と二人で暮らしていた
祖父が所有する山の中腹にある屋敷の広過ぎる敷地の中
右足に身障を抱える志保子には外から見える所まで行くのは
一苦労ではあったにせよ
外から見える場所に行く事すら禁止されていたのだ
なので小学校に入るまでは「同級生」という自分と同じ子供というものすら
志保子は実物で見た事が無かったのである。
動く事の無い右足の定期診断や風邪などの病気の時さえも
土地の有力者であった祖父が 屋敷に医者を呼びつけて診断させていたのだ
祖父や祖母は始め 志保子を小学校に通わせる事すら難色を示したが
それまでは従順に祖父や祖母に逆らうことがなかった母が
この時ばかりは強く己の意見を押し通し
志保子は初めて家の外に出る事になるのである
ただこの時の諍い事が原因で 五年後に父と母は離婚する事になる
歩行杖をつき母に手を引かれて 小学校の入学式に向かった志保子は
初めて見る屋敷の外に喜び興奮し 初めて見る他人達の多さに目を回しながら
小学校前の桜咲く坂道を母と二人 ゆっくりと登っていったのを良く覚えている
幼い頃から志保子に 母は色々な児童書や童話の話をしてくれてはいたので
世の中には自分以外にも「子供」がおり 母や余り会った事のない父
祖父祖母のような「大人」も外の世界には 沢山いる事を理解はしていた
そして小学校の正面門で母と並んで写真を撮り
案内に従って会場でもある体育館に並べられた椅子に座った時には
家を出た時の喜びと興奮は とっくに冷めており
幼い志保子の心にあるのは初めての場所での 身を縮ませる緊張と
見知らぬ人に囲まれている事への恐怖でしかなかった
本来なら少しずつ慣らしていくべき社会との関わりを
母は自分の娘を臭い物には蓋をするような扱いをする 祖父や祖母への反発と
娘にまったく興味を示さない夫への怒りと焦りで
急かし過ぎてしまったのかも知れない
式も終わり各教室に移動する際に 母に手を引かれて歩行杖を突きながら歩く
志保子を見る「同級生」という子供たちの視線は 好奇心というよりも
あらかさまな奇異なものを見る目であり それがさらに志保子を緊張させた
教室で自分に与えられた椅子に座り 周囲の子達は顔見知りなのか
楽しげに会話に興じているが 誰も志保子に話しかけたりはせず
志保子も それまでの人生の大半を母としか会話をせず過ごしてきた為
どう話しかけたら良いのか 全く分からなかったのである。
「担任」と呼ばれる大人が自己紹介をするように子供達に促し
にこやかな笑顔で自己紹介していく「同級生」を見ながら
不安と緊張で意識が飛んでいきそうになっていると
志保子に自己紹介を促す「担任」の声が聞こえ
慌てて立ち上がろうとした志保子は足を絡ませ 少々無様な形で倒れてしまった
湧き上がる「同級生」たちの笑い声と 慌てて駆け寄ってくる母の姿を見ながら
泣き出してしまった志保子は 悄然として家路につくのである
その後 学校に通う事を渋る志保子を 何とか宥めすかし通わせようとする母と
子供ゆえの正直さと残酷さで 志保子の歩き方や物慣れない話し方を笑う
「同級生」の間で少しずつ志保子は笑顔を無くしていく
そうして志保子は気が付く
母が祖母に責められ俯き泣いていた原因は 自分だったのだと