峰打ち!
「僕の記憶力はトコロテン方式だから、もう記憶には・・」
志保子はコンビニの事務所の上。狭く真っ暗な天井裏で見ていた夢の中に
出て来てくれた、当時のまだ幼い彼が口にした言われた時には可笑しくて、
つい笑ってしまった台詞を思い出し、自分の口元から漏れた小さな笑い声で
目が覚める。
ここ最近は特に、彼の事を考えて思い出していたからだろうか
夢の中でも出会える事が、とても多くなったように思う。
ついさっきまで見ていた夢もそうだ。
夢の中の彼は、何時もそうだったように明るく優しくて
そして少し・・・いやかなり私が恥ずかしがる事をしては
とても嬉しそうに悪い人の笑顔で喜んでいた事を思い出して
困った人だな・・と考えていた事を思い出す。
スマートフォンの液晶画面を見ると、まだ眠ってから二時間程度しか
経っていないようだ。もう少しくらい寝ていても大丈夫だろう。
ただ眠りにつく前に、また夢に彼が出て来てくれるように
彼の事を考えて思い出しながら目を瞑る。
落ちていくような感覚の中、彼と出会い付き合い始めた当時の記憶が
色鮮やかに蘇り、私の口元は自然と綻んでいく。
わたしは今とても困っているのです・・・。
昨日、彼は優しい笑顔で「じゃあもうちょっと大人になってから」と
言ってくれたはずなのですが・・。
田口くんがお見舞いに来てくれた次の日の朝。
熱も下がり体調も戻った私は、小学校に行く朝の準備をしながら
ほんの少しだけ憂鬱な気分です。
昨日の夕方、彼に何時かはお話しなければ、いけない事ではあったのですが
余りにも詳らかに話してしまったように思うのです。
当時の感情が溢れてしまい、ほとんど涙声で話す私を
ソファーに座り抱っこしながら彼は優しく抱きしめてくれました。
言葉が詰まった時には「ちゃんと聴いてるから・・ゆっくりね」と
暖かい声音と口調で頭を撫でてくれるので、つい甘えてしまったようです。
「どんな顔をして会えばいいんだろう・・」
漏れてしまう溜息に近い吐息と、それでも手は止めずに朝の準備を済ませた頃に
来客を知らせるチャイムが鳴り、母が「こんな時間に誰かしら・・」と
玄関に向かいました。
私も「誰だろう 清子伯母さんかな?」と考えながら、ランドセルを
背負っていると、玄関先から母の明るい声が聞こえてきました。
そして母の私を呼ぶ声に玄関に向かうと、困ったような表情の田口くんが
緊張気味な様子で立っていたのです。
私は足に身障を抱えているので、普段からなるべく早く学校に着くように
早出なのですが、遅刻ギリギリにくる彼は、まだこの時間はお布団の中だと
聞いていたのですが・・。
不思議に思いつつも朝の挨拶を交わし どうしたのだろうと彼を見ていると
「えっと・・良かったら一緒に学校いかないかなって思って、その・・」と
顔を真っ赤にして緊張に震える声で伝えてくれた彼に
私はとても嬉しくなりました。
自分でもびっくりするくらい弾んだ声で「一緒にいく!」と答えて、彼の右手を
取ると、私は少し驚いた表情の母に「行ってきます!」と明るく伝えて
学校に向かうのでした。
通学路を手を繋ぎ並んで二人でゆっくりと歩きながら、田口くんは昨日の私の話
を聞いて、今までの登下校での思い出が余り良くないのなら、せめてこれからは
と考えて「僕じゃ役不足かも知れないけど・・」と、わざわざ早起きしてくれた
らしいのです。
そして「これからも良かったら、朝も帰りも出来たら一緒が良いんだけど・・」
と伝えてくれた彼に、もちろん私は嬉しくなり「私も一緒が良い!」と
伝えたのでした。
昨日のその話はそれっきりで、それ以後も彼からは私が話題に触れない限り
口には出さず、その無かった事にはしないけど、敢えて口に出さないように
してくれる心遣いに、私はとても感謝するのです。
学校に到着し、日曜日のデートの途中で出会って、普段より一杯お話をする事が
出来た沙智さんや友美さん達とも挨拶を交わし、休み時間や給食の時間などでも
色々とお話が出来て、出会った頃よりずっと仲良くなれたような気がします。
もちろん授業中は田口くんともノートの端っこのやり取りで
とても楽しい時間を過ごす事が出来ました。
そして放課後になり、朝と同じように彼と手を繋いで仲良くお喋りしながらの
帰り道。私は田口くんのお家にお邪魔する事になったのです。
彼のお家は共働きでご両親とも夜遅くに帰ってくるらしく、晩御飯の用意は
ここ最近は田口くんが任されており、なかなかの腕前らしいのです。
もう二年近くお料理をしているのでレパートリーも多彩で
晩御飯用のお財布も任されており、今夜は昨日のお見舞いの後に
買出しておいた、ひき肉を使って手造りハンバーグを作るそうなのです。
「良かったら食べていかない?」と尋ねられて、彼のお料理を食べてみたかった
私は、二つ返事で答えると、彼は嬉しそうに頷いてくれ、その後に少しお返事に
困る事を私に尋ねてきました。
「志保子さんは料理とかは するの?」
聞かれた私はつい返事に困って口篭ってしまいました。
母の料理をする所を見るのは、大好きなのですが
自分でやってみようとは思わずに、何時も眺めているだけだったのです。
そんな私の困った姿を見た彼は、ちょこっと意地悪な笑顔で
「そんなんじゃ、お嫁さんにはしてあげられませんね。ふふん」と
意地悪な事を悪戯っぽくいうのです。
その言葉に少し悲しくなった私の表情を見て、彼は慌てた様子で
軽く私を引き寄せて抱っこすると、頭を撫でてくれながら優しく慰めて
「料理・・一緒に練習しようか?」との彼の言葉に嬉しくなった私は
その首筋に顔を埋めながら小さく頷きました。
私の仕草に彼は明るい声音で「じゃあ・・一緒に頑張りましょう」と言いながら
「でも・・その前に」とカーペットの上に、私の肩をゆっくりと押して
仰向けに寝かせ、私の両の手を左手で軽く抑えながら
右手でスカートの裾を捲ってくるのです。
それまでの話の流れで、何でこうなるのか分からない私は慌てて
「き・・昨日 こういうのは大人になるまでしないって言ったのに・・」と
震える声で伝えたのですが。
「大丈夫だよ 峰打ちだから!」との彼の明るく弾んだ声に
私の戸惑いは更に深まったのでした。