記憶力はトコロテン方式
私は戦利品のおかげでギュウギュウに詰まった、冷蔵庫の中身を見ながら
何を作ろうかと思い悩んでいると、そういえば志保子と二人で良く一緒に
料理を作っては食べていた事を思い出す。
思い出した記憶のまま、野菜室に入っている大根を手に取る。
その白さが志保子の滑らかな太腿を彷彿させ、少し撫でては
太さはこれよりも細かったな等と、野菜相手に卑猥な事を考えながら
ついその時の記憶に心が流されていく。
僕の家は共働きで両親ともに帰りが遅く、志保子さんの家も母子家庭だったため
僕の方は小学三年生くらいから、志保子さんは引っ越して来てからだが
自分達で晩御飯を用意して食べるようになっていた。
そうして志保子さんと出会い、お付き合いをしだしてから三週間と少し。
学校も夏休みに入った事で、ほぼ毎日会っていた僕達を見た両家の大人達は
彼女の伯母さんが僕の母親と高校からの親友だった事や、互いの家が歩いても
五分かからない近所だった事もあり、大人が不在の自宅に子供一人で家に
置いておくよりはと、互いの家に交互に預かるようになっていた。
男女とはいえ、まだ小学生だからと油断したのだろう。
「そういう関係になるのは もう少しだけ時間が欲しい」と、
志保子さんに可愛らしい仕草と泣き声で伝えられた事を、
爽やかな笑顔で「きれいな田口くん」を演じて了承したため
志保子さんも安心して油断していたのだろうと思う。
その次の日には「その油断が命取り」を絵に書いたように
僕は男の中の男らしく約束を忘却の彼方に吹き飛ばす。
そうして僕は「僕の記憶力はトコロテン方式だから、もう記憶には・・」と
将来の適職は政治家あたりが向いてそうな発言をしながら、流れるような
手捌きで、志保子さんの美しい肢体にタッチを繰り返すのだった。
初めの頃、志保子さんは抵抗とも呼べない弱々しい力と可愛らしい声音で
何とか僕の職人技まであと少しと称しても良い手捌きを止めようと頑張っていた
だが・・その弱々しく可憐な仕草が逆に僕を「エキサイト田口」に変身させて
しまい、体育の時間で使う縄跳びで両の手を縛られたり、ハチマキで目隠しされ
たりするので、そのうち諦めたのか、僕の欲望の魔の手に為すがままになって
いったのだった。
新しい体育道具の使い方を鋭意開発中だった僕は、少し残念な気持ちもあったが
手間が省けて好都合と、夜な夜な志保子さんの白く華奢な肢体を撫でては
新しいタッチの手法を編み出していたのであった。
それでも一応は当初の目的である。 一緒に晩御飯を料理しては仲良く食事は
とっていたので、問題らしい問題は無かったという事でもある。
その日も、まだ包丁の扱いがぎこちなく危なかしい志保子さんから
「志保子さん、お料理の腕がまだまだなのじゃなくって!」と姑気分で言葉責め
しながら、頬を可愛らしく膨らませながらも「お手本・・」と拗ねた口調で
伝えてくる志保子さんから包丁を手渡してもらうと、僕はお味噌汁のために
大根の皮剥きをしながら、志保子さんに料理の手順を教えていたのである。
今日の晩御飯は日が沈んでも、まだまだ蒸し暑い事もあり、さっぱりしたものが
良いという事でお互いの希望を確認すると、少し辛めの冷やし中華と冷蔵庫に
残っていたお刺身を少し、そしてキュウリの浅漬と彼女が頑張って焼いた
だし巻き卵をメインに、身体が冷えすぎるのもあれなので、大根と菜っ葉の
お味噌汁というメニューにしたのだった。
料理歴二年というアドバンテージと、元々料理が好きだった僕の華麗なる
手捌きに、志保子さんは尊敬するキラキラした目と、感心したような弾んだ
声音と口調で「文くんって Hな事以外も得意なんだね!」と
僕を罵倒褒めしてくれたので、食べ終わったら念入りにお仕置きしてやろうと
小学生とは思えない黒く歪んだ妄想と、まだ試してなかった体育道具の使い方に
頭と心を浸しつつ、それでも料理はきちんと完成。
鈴虫の鳴く声を聞きながら、居間にお盆に乗せた料理を運ぶと、二人でお行儀
よく「いただきます!」と感謝の言葉を述べて、楽しくお喋りをしながら
拙いが二人で作れた美味しく感じる料理に、舌鼓を打つのだった。
そうして時刻も十八時過ぎになったので、二人共楽しみに見ているアニメでもと
テレビをつけると「警察二十四時」が特番でやっており、新聞の番組表をみた
志保子さんが がっかりした口調で、今日はアニメが無いみたいと教えてくれる
その声に残念な気持ちもあったが、まあじゃあこれでも見ようと
僕達二人で仲良く食事をしながら
「警察二十四時」を見始めたのだった。