人間の姿をしているだけの別の何か
前日分、加筆修正しました
「他人を見捨てる覚悟も必要かも知れない・・」
などと深刻そうに考えていたが、良く思い出してみなくても私はそれ程
他人に対して人並み以上に、優しくした記憶は無いのである。
そもそも拾ってないのだがら、捨てるというのも可笑しいのかも知れない。
まあ必要もないので辛く当たった事も特には無いのだが。
なので、たまに見るコンビニ等で店員に、意味不明なイチャモンをつけてる
オヤジやオバさん等を見て辟易したものだ。
この他人の定義は、もう他界して居なくなってしまったが家族。
そして志保子は勿論として、会社やバイト先、学校などで付き合いのあった
「人類の至宝」でもある顔面偏差値が高い女の子。
綺麗な先輩や可愛い同級生、もしくは後輩などは当然として、一応は友人だった
男子もかろうじて含めると、それらは他人では無く顔見知りから同僚と友達、
彼女などランク分けはあるにしても、身内感覚と考えるので除外する。
それ以外の人達は、可愛い子なら死んでしまったら勿体無いとは思うが
それでも命懸けや危険を承知で助ける事はしないと思う。
これは多分だが私に限った事ではなく、程度の差があれ皆そんなもんだと思う。
何故なら文字通りで「関係」が無いからだ。
まあ自分には関係ないからと、現場で事件事故の情報を伝えるリポーターの
後ろから満面の笑顔でピースサインして写ろうとする輩や、現地でそれに
巻き込まれた被害者の姿を写メで写すような、悪趣味さも持ち合わせていない
のだが、あれは本当に気持ち悪いと思う。
身内や友人にあんなのがいたら薄気味悪くて仕方ないと感じる。
私は過去一度だけだが、バイトに向かう途中 都内のとある駅で人波に後ろから
押され、誤ってホーム下に落ちてしまった妊婦さんが、丁度通過した快速電車に
轢かれて亡くなった現場のホームに、たまたま居合わせた事がある。
その際、数人のサラリーマンの男性が電車の止まった線路に降りて、妊婦さんを
救助というか呼び掛けをしていた時に、ホームにいた人達、老若男女を問わずに
楽しそうに携帯のカメラで、撮影していたのを見たのである。
線路に降りた男性の一人が「お前ら撮ってるんじゃねー!」と怒り叫んでも、
誰一人として辞める気配も無く「何か怒られちゃった!」な雰囲気だったのだ。
むしろ自分の撮った写メを友人などに送ったのだろう、携帯の通話で
「すごいの撮れた!今送った!」と話していた女子高生の声を聞いた時には、
その嬉しくてたまらないと言わんばかりの笑顔と弾んだ声の、余りの気持ち悪さ
にトイレに駆け込み吐いたくらいである。
何とか気分が落ち着いてホームに戻った時には、警察と救急の方が来ており
シートが敷かれ電車が遅れる旨の放送が掛かっていた。
そして他の交通手段で移動する為に、階段を降りていた私とは逆に、昇っていく
他人達の中には「マジで珍しいものを見れた!」と会話するモノもおり
その言葉に私は、また気分が悪くなりトイレに戻りたくなったくらいだ。
結局、体調が戻らず仕方なくバイト先には事情を伝え、体調が酷いので申し訳
ないが休ませて欲しいと電話を入れたのだ。
そして「それは大変だった ゆっくり休むように」と言ってくれた店長の声は
私が思う「普通」の人間の声であり、心底ほっとした気持ちになったものだ。
一応、言っておくが私は写真を撮ったり、その事を友人知人に伝える他人達の
行動の根っこの部分は、それを職業としているマスコミと何ら変わらないと思う
それをテレビでニュースとして見ている私達も、程度の差はあるにせよ
大きな事件事故の現場の状況をモニター越しに「興味深く」眺めているので
モラルや人間性が著しく欠けてるとは思わない。所詮は他人事なのだ。
まあマスコミがモラルに満ち溢れてるとは思わないが、戦国時代の合戦場で
周囲の農民達が、フランスではギロチンの執行の際に大勢の人が、弁当片手に
見物に来ていた事を知っていた私は、人間なんてそんなものだろうとしか
考えていなかったのだと思う。
ただ、それを実際に喜々として「行動」に移せる他人達を目の前にすると
それら他人達が「人間の姿をしているだけの別の何か」にしか見えなくなり
そういう行動は絶対にしないであろう本当の家族を事故で失い、志保子とも
別れていた私に、周囲に溶け込めない自分という、奇妙な異質感をもたらした
のだった。
言い訳じみていてあれだが、多分あれが私が積極的に他人との関わりを
持たないようになった、原因の一つではあると思う。
そして私は、これから利用し見捨てるであろう人の中には、見捨て利用しても
痛痒にも感じない「他人達」以外にも「普通」の人達もおり、その人達に
対しては自分のするであろう行動への後ろめたさは感じつつ、それでも志保子
に会いたいと考える自分も、その方向性の違いはあっても
「人間の姿をしているだけの別の何か」なのだと思う。
そうして駄目な方向にだが、ある程度吹っ切れた私は、これ程不快な事を
考えつつも、それでも時間が来ればきちんと減る、自分の腹を満たすために
冷蔵庫に手を伸ばしたのだった。
でわ次回で