玉出商店の妄想劇場③ 田中、異動で東京に行くんだってよ。
昨日のことだ。
ロッカールームでコートを取ったと同時、同僚女子から呼び止められた。
「玉出さん?」
「はい?」
にこにこしている彼女とは大概の日でシフトが異なり、今まで挨拶程度しかしたことがない。年齢も、あっちの方が若いので、ランチ行ったりするグループも必然的に異なる。
要は接点がない。
まさか、そんな程度で飲み会に誘うとかそんなんじゃないだろうな……。合コンの数合わせとかだったら違う人材もいるだろうに……と、思った瞬間。
同僚女子は上目遣いで睫毛をパチパチさせた。
「あのね、営業の田中くんの異動が急に決まったんですよ」
「えっ?」
「田中くんが異動で東京に。今週一杯で」
「ええええ!」
大声で叫びそうになって、あわてて両手を口の前に持って行く。
「ちょ、ちょっと。それってホントに? 急すぎない?」
「はい。それで」
「う、うん」
「それでね。田中くんと親しかったっていうか、色々とお世話したっていうか……お世話になったっていうかの女の子たちで花束でも贈ろうかと。ついでに寄せ書きでもしようかって。ふふっ」
わたしは気が動転していたが、うなずいて見せる。
頭の中に、ひとつの考えが浮かんだ。営業事務女子の中で「なんとなくでも、田中とつながりがある」と、この子や、この子グループの皆さんに判断されていたわけで。それは非常にありがたいことだ。まあ営業事務女子全員が寄せ書きすればいいかもしれないが、田中と接点があったスタッフは、そう多くもない。
「うん、いいよ。わかった。集金する金額とか、はっきりしているの?」
「金額は、そんなに高くないですよ。タカが知れています」
「わかった、集金とか手伝うよ」
「ありがとうございます。それとは別なんですけれどもね」
同僚女子は声をひそめ、ちょいちょいと手まねきをした。
「玉出さん、あのね。この話、田中くん本人にも、他の大勢の人にも黙っておいてくださいね」
「そりゃ、もちろん」
喋っちゃったら、サプライズじゃなくなるもんね。
だが同僚は更に、細い眉をひそめてささやく。
「違うんですよ……。アユカワさんがね、田中くんに『異動なんだって?』って大声で聞きそうになったの」
「えっ」
なぜ人事異動の話が、アユカワさんにバレたのか。それが彼女には不思議らしい。しかも推察するに、花束贈呈グループにはカウントされていない様子。
アユカワさんの顔が浮かぶ。噂好きで詮索好き、スピーカーと異名を取る彼女は定年間近の人だ。取ったクレームの応対が悪く、二重クレームになったことも一度や二度ではない。
「あの人ねえ……」
わたしは同僚女子と顔を見合わせ、深いため息をついた。
今日も出勤したなりに、「今日の仕事」が待っているわけで。そしてなぜか、わたしの受電は田中の営業を一度断った人から申込があったり、田中の次回訪問予定を尋ねる問い合わせが相次いだ。
他の人を見渡すと、そうじゃないみたい。
え、もしかして、わたしだけが田中づいてる? これは大きな「なにか」が一発ありそうな気配。なんてね。
ともあれ、あまりの偶然の重なり様に、ぼうっとホワイトボードを眺める。田中の外出中の札が寂しそうに見えた。
田中くんなあ……。
いい人を亡くしました。
こらこら、まだ死んでないってば。
しんみりしつつもセルフノリツッコミを愉しんでいたときだ。
不意に、パソコンが顧客の電話をキャッチした。
「あのね! お宅の商品なんだけど!」
ぼんやりしていたところを、キンキン声が現実に戻してくれる。
「申し訳ございません」
わたしは精一杯、謝罪の気持ちを込めながら先方の住所を聞き取り、パソに文字入力をしていく。
ん?
あ、田中の行き先の近くだ。
頬をニヤニヤゆるめながら田中の携帯電話に発信してみる。
「ねえねえ田中」
「なんですか玉出さん、気持ち悪いな」
「ラック欲しくない? どうよ?」
「はあ? 玉出さんからのラックっすか!」
昔は優しいイイ子だったのに、どうしてそんなにすさんだ返事をするようになっちまったんだ田中よー。
「文句言うな。今からクレーム先の住所を言うからな」
「言うだけはタダでいいですね」
永遠に分かり合えない愛の会話を交わしていると、またしてもパソコン画面がチカチカと受電のしるしを表示する。
外線が最優先なんだから、携帯は手短に切ることにしよう。
「うっさい。とにかく先様は激おこぷんぷん。頼むね、じゃーねー!」
それから三時間後。
ほんとに田中はラックを決めてきた。
帰社した田中は、まっすぐ、こっちに向かってやってきた。
「いい置き土産ができました。玉出さんの嗅覚、すごいですね」
中途入社してきた直後のあたり、よく見た笑顔だ。きらきらした瞳の田中に涙ぐみそうになる。
「褒めてくれませんか」
思いっきりドヤ顔を作る。さっきよりも、目尻を下げて笑ってくれた。