八十五話
大好きだった父親が死んだ。病気じゃない。事故じゃない。
死刑だ。浮気をして、それがばれて、死刑になった。
両親の仲はとても良かった。いまでも思い返すたびに、恥ずかしくなるほど仲が良かった。二人はよく、子供だった俺や、周りの目を気にせずにキスをした。両親にとってキスとは、手を繋ぐのと同じような愛情表現だったのだろう。子供ながらに、どこかそのことを誇らしく思っていた自分もいた。
母が好きだった。父が好きだった。
母の作る料理が好きだった。父の語る話が好きだった。
母は父に聞いた。何故浮気をしたのか。
父は言った。彼女もまた、愛したからだ。
母が嫌いだった。父を嫌うから。
父が嫌いだった。母を泣かせるから。
「先輩。貴女はこれから、俺以外の誰かを愛しますか?」
これほど強い感情が生まれるのか疑わしいが。そう前置きをした上で、先輩は俺の問いに答える。
「———————もしかしたら。そういうことも、あるかも知れない。」
その答えに少なからずショックを受けている自分に、笑みが零れる。
「愛とは一つではないのですか?」
「一つだ」
「なら、二つに分けると?」
先輩は荒い呼吸を繰り返す。脳が意識を手放そうとしているのか、頭がグラグラと揺れている。
「異なった一つだ。決して、同じ物ではない」
背から落ちそうになったその体を持ち直す。丁度首筋に向けられる形になった先輩の口から、零れる吐息はくすぐったかった。
「——————はぁ……」
父も、母も。嫌いだった。そして、大好きだった。これだけこの世界で生きても、それを変えることが出来なかった。
なんで父を嫌ったのだと、母に叫んだ。別に他に好きな人がいてもいいじゃないか。
なんで母を泣かせるのだと、父に叫んだ。何故母だけを愛さないんだ。
「何人も愛せる世界なら、母は父を嫌いにならなかった」
母は泣いた。私だけを愛してほしい。
「一人を愛する世界だから、父は母を泣かせた」
父は怒鳴った。お前も愛しているんだ。
「この世界で、俺は貴女達を泣かせた」
荒かった先輩の呼吸が、少しずつ整ったものへと変わっていく。背中越しに分かる体温が、上がっているのを感じた。
「——————きみ、が……いった」
「……え?」
「きみの、かたちだ」
少し歩を進めると、先輩の呼吸は寝息へと変わっていた。無理もない。
世界を変えるドラゴンの言葉を使用した魔法。ドラゴンの力を再現した、世界を変える一撃。それらがぶつかり合った余波。それを生身の肉体で受けて、全身に傷を負う程度で済んでいるのがおかしいのだ。寧ろなんで今まで意識があったのか。——————————辺り、更地になってんだけど。
先輩の頭が肩に委ねられ、髪が頬を擦る。横目で、その顔を見た。
「強いなぁ……」
今なら言える。悪いのは父で、被害者は母だ。父の形は、許されるものではなかった。————例え二人に向けられた愛が、本物だったとしても。
なら父は、この世界ならば許されるのだろうか。……俺は、許されないと思う。少なくとも、母を愛した以上は。
「だから」
俺は、ルーナだけを愛する。いや、愛せない。彼女が母のように涙を流さないとしても、命を……人生を捧げられた以上は。何よりも―――彼女だけを愛したい。
俺の原点は、母の形なのだ。
「きっと、先輩には理解できないのでしょうね」
それでも先輩は、関係ないと言わんばかりに俺を殺しにくるのだろう。一度の敗北で諦めるような人じゃない。先輩は凄い人なのだ。俺はこれから、常に殺されるかもしれない人生を歩むことになる。
—————————不思議なことに、どこか楽しみに感じる。
「……なんで、だろう?」
それは、違うからだ。
「違う?」
俺や母は、人を愛する。人生を捧げ、人に寄り添う。
ルーナや先輩は、魂を愛する。命を捧げ、魂を受け入れる。
「それは―――――」
きっと、人の愛し方という―――――。
「ちょっとした、」
文化の、違い。
読了ありがとうございました。此方でこの物語は一旦終了とさせて頂きます。詳細は活動報告に書かせて頂きますが、続きを書く場合は新規小説として開始したいと思います。
ここまでお付き合いして頂き、重ねてお礼申し上げます。よろしければ、ご感想と評価をお待ちしております。