八十三話
この世界の人間は、複数の命を持つ。今思えば、それはきっと俺の望んだからではなく。望んでいたから選ばれたのだろう。
複数の命。それは残機ではない。
ゲームをする。大抵がアクションゲームだ。その中で主人公―――――――プレイヤーは、迫りくる敵やその攻撃を回避する。攻撃が当たり、倒されてしまえばゲームオーバー。けれども残機があれば、復活することが出来る。ゲームオーバー……即ち、死を回避することが出来る。俺が望んだのは、そういった類の力だった。
俺の死因は他殺だ。あまりにも呆気なく殺された。だから簡単には死にたくなくて、ゲームみたいに復活出来ればいいのにと思った。
だがこの世界において、この世界の人間において。複数の命は残機と呼べるものではなかった。簡単に扱っていいものではなかった。
複数の命は、誰かのために使われるものなのだ。愛する誰かに、託すものなのだ。
他の人間を殺すと、殺した人間に全てが伝わる。感情、記憶、言葉に出来ない潜在的な意思まで、伝わる。俺はそれがどういうものなのか味わった。本来ならばあり得ぬ形で、逆の道を辿ることでそれを経験した。
ルーナの全てを理解した。この世界の人間を理解した。――――――そう、勘違いしていた。
彼女がいないという事実を、俺が受け入れていなかったからだろう。俺の中にある、彼女の命に向き合っていなかったからだろう。この世界の人間。その本質を、知らなかった。
殺して終わりではない。殺されて終わりなのだ。その二つが、縁となるのだ。
『君を理解したい』
先輩は、そう言った。即ちそれは、俺に殺されてもいい。そういう意味なのだ。
――――――――――――――命懸けだ。
正しく、そうなのだ。この世界における、人間の、愛とは。
自らの全てを伝える覚悟では足りないのだ。全てを受け入れる覚悟が必要なのだ。アネスト・グリージャーは、俺の全てを受け入れる覚悟を持っている。命を捧げる決意をしている。例えを俺が、本当はどんな男であったとしても。それでも尚、愛そうとしている。
「なんだよ、それ……」
体が震える。それがどんな感情によるものかは、俺には分からない。
「君の瞳が、他者を魅了することが出来るだと? ……それが、どうしたんだハーン。君の瞳だ、君の力だ。君の、魅力だ」
この世界の生物は、努力するほど強くなる。それは、生物としての強さだ。
『生物として』の強さ。それはつまり、肉体な強さ。強靭な子孫を残す強さ。そして、異性を惹きつける強さ。即ち―――――――魅力。
魅力の強さとは、個性だ。相手を惚れさせるほどの魅力もまた個性。先輩にとって。この世界の人間にとってそれは結局のところ、長所なのだ。
「でも俺が望んでなかったら、兄との幸せな―――――――」
―――――――可能性など、想像するだけ無意味。先輩の言った言葉だった。
「望むことの何が悪い? 君は手にしたんだ。例えそれがドラゴンによるものだとしても。何も得られなかった私と違って、君は手に入れた。――――――その瞳は、君のものだ。彼女の愛は、君が手にしたものだ」
「だけど……ッ! そのせいでルーナがッ!」
「何かの責任にしたいのか? だとすれば、そんな瞳を作ったドラゴンのせいだ」
「違っ……」
俺が、先輩に言った言葉だった。
「―――――――俺が、ルーナの命を奪ったんだ」
「違う。ルーナが君に託したのだ。愛する君に託したのだ。―――――――……君が生きていること。それが、彼女の願いだったのだ」
――――――――――――――貴方様が生きていること。それが、私の願い。
「ルーナの……ッ!」
言葉、だった。
「………ハーン。君がどれだけ後悔しようとも、悩もうとも、謝ろうとも。過去は、変わらない。変えられない。変えてはならない。ルーナが君を愛した事実は、決して歪むことなどない。なくなることは、ないんだ」
この世界の人間は、誰かに殺されたとき。それを受け入れる。―――――――なんて歪んだ世界なのだろう。そう思った。
けれども、違うのだ。命懸けで人を愛する。その思いの強さを、俺はよく知っている。
そして、愛してくれる誰かを、愛さないのはとても難しい。……俺は、知っていた。
成り立つのだ。歪んでなどいないのだ。この世界ではそれが常識。それが正常。それほどの―――愛なのだ。
「誇れ、ハーン。君の中にある、命を」
偽りじゃなかった。偽物なんかじゃ、なかった。――――――――――――――俺は、本当に、ルーナに愛されていた。