八話
「ぐぺっ」
何度目か分からない土の味を堪能する。地上の土よりも何となくだか美味いと感じた俺は何なのだろうか。
取りあえずこのまま口の中に土を入れておくのは俺にとって良くないと判断して、吐き出す。口の中に唾が少なくなっていたから、ちょっとばかり大変だ。
最初の戦闘をネットとテスラが楽々と終えてから、再び戦闘を重ねること数回。それら全てを見ているだけだった俺は、そろそろ頑張ってみると一念発起。三人の暖かい声援を受けて、丁度曲がり角で顔を合わせた狼っぽい魔物との戦闘を開始した。
現状は当然のように見るのも無惨なありさまである。いや〜、動きの速い事速い事。見れても反応が追いつかない。遠くから見守ってくれている三人も苦笑いだ。俺の生涯の魔法である金剛による硬さが、魔物の牙や爪の鋭さに勝っているために怪我はまるで無いものの、残念ながら服にまでこの魔法は掛けられないので服だけが傷ついて行く。つまりは醜男のストリップショー! 一体誰が得をするというのか。そこの三人、別に目を反らしたっていいんだぜ?
「そろそろ、手伝いましょうか?」
「だ、だいじょ──────ウボッ!」
はい、タックル頂きました。
転がる俺。追い打ちを掛けようとする魔物。口を大きく開いて、首筋に噛み付こうとしている。
俺はそこに無理矢理左腕を突っ込む。長い舌を、思いっきり握った。
「うぎゃッ!?」
驚いた魔物は、口を閉じて左腕を噛み切ろうとする。しかしそれは不可能。
腕を覆う布は貫いても、皮膚すら貫くことは出来ない。それを確認した俺は瞬時に魔物の牙が当たる部分の硬度を調整。イメージによる応用は出来なくとも、魔法の威力調整は可能なのである。このぐらいなら、鉄ほどの強度だ。
魔物に察知される前に剣を掴んでいる右手を動かす。
俺は剣の柄の先を、思いっきり頭部に叩き込んだ。同時に下顎を膝で打ち、衝撃を逃がさない。
金属がぶつかり合うような音が響いて、魔物の牙が砕ける。
当然牙にも神経は通っているから、痛みはかなりのもののはずだ。俺は魔物が悲鳴を上げる前に瞬時に左腕を引き抜くと、再び同じ方法で口を強制的に閉じさせる。今度は砕けた牙が口内の柔らかい肉を蹂躙するだろう。
その後魔物を蹴って俺から遠ざけると、体を起こして体勢を整える。そして速やかに剣を魔物に投擲した。腕力の無い俺でも怯んで動かない魔物に当て、致命傷を与えるのには十分。剣は魔物を突き刺し、その息の根を止めた。
「─────はぁ」
疲れた。
「お疲れさ〜ん。初戦闘初勝利、おめでとうとでも言っとけばいいか?」
「止めてくれ。嫌みにしかならない」
「ま、そりゃあそうだな」
何とも先が思いやられる戦闘である。
こんなんで将来辺境で生き残れるのだろうか。やるしかないのは分かっているが、少し不安だ。
「ちょっとばかし休むか?」
「いや、コイツは群れで生活するんだろう? なら休憩は出来ない」
俺は剣を回収して戦闘後処理を行いながら、ネットの提案を断る。
体力はもの凄く消費したが、一応大丈夫ではある。
「それなら大丈夫。この魔物は雄は一匹で行動し、雌は群れで行動するのです。雄の個体数が少なめなので誤解されがちですがね。コイツは雄。周りに他の魔物の気配は感じません。……だからハーン、安心して休むと良いですよ。今は興奮しているため疲労を感じていませんが、自分の想像以上に君は疲れています。休めるときに休む、これがダンジョンでの鉄則です」
「─────分かった。ありがとう」
その一押しを待っていた! なんてね。
意外と美味しい携帯食料、何か色々混ぜて焼いて乾燥させた硬いパンみたいな何かを食べる。
硬いと言っても世界の祝福によって顎の力も強化されているネット達には何の問題もない。俺は少し大変だが、歯ごたえがあって美味いと考えれば許容範囲である。ゴリゴリと食べていると、口の中で段々と旨味が広がるのだ。その味わい深さはスルメに匹敵する。ダッグに聞いてみると、平民のおっちゃんの中にはこれをつまみに酒を飲む者もいるのだとか。
そう言えば、考えてみれば俺はこの世界で成人しているのだから酒を飲めるのか。
前世は当然未成年であったから飲んだ事は無いし、帰ったら飲んでみるのも良いかもしれない。
あ、駄目だ。この世界の住人は世界の祝福で強化されてるから、アルコールの耐性も高い。
必然的に、この世界に普及している酒はとんでもなく強いものになっているのだ。町の酒場の近くに寄ったことがあるが、俺は臭いだけで倒れそうになってしまった。肉体の弱い俺が飲んだら、倒れるどころか命に関わる。よし、絶対に酒は飲まない。
「にしても、少し意外だったな」
「何がだよ?」
俺が一人決意を固めていると、ネットが俺に話しかける。
「お前、意外と強いんだな」
「それは今度こそ嫌味だと受け止めるぞ」
「へ? いやいや、一応褒めている? って」
疑問系じゃねぇか。
「ほら、お前って醜いじゃん?」
「嬉しいことにな」
「それも世界で一番と言っていいぐらいに」
「ネット。君はハーンに喧嘩を売ってるんですか?」
「あはは! 痛烈だなぁ!」
「ええ!? そんなつもりは無いっての。ただ事実を言っただけだって、なあ?」
テスラに責められるような視線を浴びせられ、ダッグに大笑いされたネットは俺に同意を求めようとする。
彼の言うことは事実だ。何の怒りも湧かないし、責めようとも思わない。俺が頷くと、ネットは満足そうに言葉を繋げた。
「ほら、二人も考えて見ろよ。ハーンは世界一を争う醜さだ。でもそれにしては、さっきの戦闘は簡単に勝てたと思わないか? 俺達から見れば辛勝なのは違いないけど、それでも魅力に相応しくない勝利だ」
「─────言われてみれば、そうですね。少し矛盾が生じているような気がします」
三人がこちらを見る。
彼らがその疑問に気付くのは、至極当然だ。
なんて事は無い。俺は世界の祝福を受け難いが、少しずつ成長している。それは1が1.1になるような遅い成長だが、確実な一歩。しかし俺は同時に伸びるはずの魅力が最底辺のまま。比喩をするなら、運動能力は上がっているのに、体に筋肉が付いていないような。本来ならば成長するものが成長しない、奇妙な違和感を三人は感じているのである。
「魅力が上がらないなら寧ろ好都合だよ。俺は女に好かれたくないからな」
「さっきから聞いてると、お前は女が嫌いなのか?」
「そうじゃない。俺は命を縮めるようなことをしたくないだけだ。長生きが目標だからな」
「その長い人生の、隣に誰かいてほしいとは思わないのかよ」
「どうでもいい」
恋愛よりも命。当然である。
愛なんて知るか。俺は長く生きたい。
「ま、俺としてはお前がそうなら都合がいいから、別にいいんだけどな」
ちょっとだけ重くなった空気を払うように手を合わせて音を出すと、ネットはニヤリと笑った。
「やっぱり色々考えていたんだな」
「そりゃそうだろ。愛する人を、守らなくちゃな」
光の魔法陣は、地上の光をダンジョンへ届けている。つまりは夜になればその光はなくなるわけで、ダンジョンの中も必然的に暗くなって来る。灯火の魔法陣が設置されている場所は夜でも明るくなっているものの、その場所は少ない。肉体が強くなっていく上で夜目が効くようになってくるものの、魔物ほどではない。夜のダンジョンは危険だ。なので俺達学生は、夕方までにはダンジョンから帰ることを強制されている。事前に申請を行い、学園が通した場合は許可されるものの、当然俺達はそれを取っていないし、通る分けもなかった。
「疲れた」
丈夫なはずの作業服は、既にボロボロである。
これは裁縫道具で地味にチマチマと直さなければなるまい。残念ながら直してくれる人はいないのである。店に修復に出す金もない。回収した魔物の爪を売っても、ネット達の言う通りに一食分程度の金しか得られなかった。
「よく休めよ! あっはっはっは!」
「それでは僕達は先に失礼します」
ダッグは俺の背中を叩いて、テスラは俺に一礼をして去って行く。むせた。
「次回からはもっと深くに挑戦出来るな。覚悟しておけよ?」
「来週も付き合ってくれるのか?」
「当然。寧ろ付き合ってほしい。お前がどこまで魅力が低いまま強くなるのか気になるんだ」
「実験かよ。勘弁してくれ、俺は無茶をしたくない」
「大丈夫だって! 命はいつも最優先だからさ!」
満面の笑みのネット。
何て信用出来る顔なんだ。ゾッとする。
「本当に頼むぞ」
「分かってる」
通路にはダンジョンから帰って来る生徒で溢れている。
申請が通ることは殆どないので、ダンジョンに挑んだ生徒は必ずこのぐらいの時間に帰って来るのだ。近くを通る生徒達が俺を訝し気に見つめる。何でお前がここにいるんだとでも言いたそうな視線だ。そして隣にいるネットを見て、全てを理解したかのように去って行く。
ネットは少しだけ不快そうだが、俺は慣れたものである。
場所を変えればいいのだが、負けず嫌いなのかネットはそのまま同じ場所に留まり、俺との会話を続けた。正直どっかの店に入って座りたいのだが、諦めて俺は彼との会話を楽しんだ。
賑わいを見せる通路。
長く同じ場所に立っていると、他の生徒達も慣れたのか視線を向けて来ることもなくなった。
様々な店から美味しそうな匂いが漂ってくる。疲れた体には辛い。ダンジョンから帰って来た生徒達が、こぞって店に入って行くのは仕方ないだろう。かく言う俺達も段々と引き付けられている。いやいや、寮で夕食が出るので我慢しなければ! まったくなんと言う恐ろしい商売なのだろうか。
「おい! こっち来てみろ!」
そんな穏やかな通路は、誰かの一言で別の賑わいを見えることとなった。
「なんだ? 何かあったのか?」
「これは……誰かが凄いのを狩ったな!」
ネットは興奮した様子で声のした方向へ走り出す。
驚いた俺は、取りあえず彼を見失わないように続いた。残念なことに俺はまだ道をよく知らない。彼を見失ったら、待っているのは迷子である。
「モールワイバーンだ!」
「嘘だろ!? まるごと!?」
遠目で見ても分かる巨体。恐ろしい形相。
ワイバーン。空を舞う、恐ろしき魔物。
世界の頂点たるドラゴンには及ばないものの、生態系の高みに存在する生物。凶暴で魔物としては知性が高く、個体毎に生涯の魔法を持ち、それを体内の器官で作られる炎と混ぜることで恐ろしく強力な一撃を放つ。
巨大な翼を持ち、二本の足は細く先に付いているかぎ爪は鋭く、形状は鳥。ただし嘴はなく、鰐のような鋭い口を持つ。
その恐ろしい体は他の生物を怯えさせ、空に僅かでもその姿が映ったのなら、その日は決して外に出てはならないと言われる。
けれどもダンジョンには天井がある。彼らの本来の力が出せる場所ではない。
ドラゴンが作り出した罠でダンジョンにおびき寄せられた彼らは、翼と空という自身の領域を失い、生存競争に破れることが殆どであった。しかし僅かに生き残った個体はその体を進化させ、再び生態系の高みへ駆け上がった。
それがモールワイバーン。地を這う大鳥。
翼は劣化し、本来の飛ぶ機能を失った。だがその変わりにそれは巨大な感応器となり、微弱な熱を感知して得物を見つける。二本の細かった足は地を駆けるためにより太く頑丈となり、かぎ爪は土を踏み込むために最適な形となった。また体表に生えていた羽毛は鋭くなり、まるで鱗のように硬くなり、肉体を傷付けない。
小回りを効かせるためか、体が小さく変わったものの知性は上昇。ダンジョン内を自身の狩りのために作り替え、より効率的に食料を得られるようにしているとの報告があったそうだ。
そんな、誰もが恐れる魔物。
その巨体が、まるごと横たわっている。当然息はしていない。
「ありえねぇ……同じ、学生なんだよな?」
俺の近くにいた生徒が疑問を漏らす。
それに気付いた誰かが、彼に話しかけた。
「お前、新入生か?」
「え? そ、そうですけど」
「なら知らないのも無理はないか─────ありえるんだよ。この学園の、上にいる奴らならな」
この世界じゃ、努力すれば強くなれる。それはつまり、努力する時間が長い方が強い。
長く生きれば努力することが出来る時間が多いということで、肉体の老化という、生物である限りは絶対に訪れる現象を一旦忘れて考えれば、二十歳よりも八十歳の方が強いことが多いのである。
だから学生であり、僅かしか生きていない俺達は、現役で国の兵士として鍛錬を続けている者達よりも弱い。はずなのである。
当然のように例外がある。
例えば元々の肉体が強ければ直ぐに強くなれるし、才能によって鍛え上げられた圧倒的な技術で補えば、肉体面で上のものよりも『強く』なれる。それに、俺に課せられた反動。『世界からの祝福を受け難くなる』が、あることを考慮して考えると、逆に『受け易く』なっている人間だっているのではないか。
その三つの要因の内どれかは分からないし、他の要因からかもしれないが、とにかく普通ならばありえないほどに強い生徒が、この学園には存在するのである。
羨ましいとは思わない。理不尽だとも思わない。
嘗ての俺はその理不尽を得ようとしたバカであるし、それによって自分に返って来る理不尽を知っているからである。
討伐を行ったであろう、四人の上級生。
周囲を囲む人々は、彼らを見つめる。
始まりは驚愕。しかし今は、彼らの持つソレに、魅せられたように。
「───やっぱ、綺麗だなぁ……」
「凄いわねぇ……素敵…………」
漏れ出す言葉。誰かが放てば、それは止まらない。
そんな中。赤い瞳が、俺を見た気がした。