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ちょっとした、文化の違い  作者: くさぶえ
文化の、違い
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七十九話

 俺は愚かだ。だからこそ、こんなことを思う。


 ―――――この世界が、前世と同じ常識で出来ていたら。


 現実逃避だ。それ以外の、何ものでもない。だが、白状しよう。俺はそんな思考を、幾度となく繰り返した。考えずにはいられなかったのだ。この世界の人間が、たった一つの命で誰かを愛し、その愛を言葉で伝える、そんな人間だったら。


 そんな思考を繰り返すたびに、まるで窘めるようにルーナの記憶が蘇ってきた。現実を見ろと、叱られているようにも感じた。分かっているのだ。そんなもの、生れた瞬間から。だから俺は、俺が嫌いなのだ。


 俺はそんな、俺の大嫌いな俺を。先輩に知ってほしかった。






 ――――ルーナの命を奪ったあの日から、俺はただ生きるために努力した。テスラが言ったように、その姿はただ生きているだけの屍に見えたことだろう。そしてそれは、決して良いものではない。


 そう、俺は間違いなく。生きているだけの屍だった。


 ただ生きた。それだけのことしかしなかった。それ以外のことは考えなかった。だからこそ俺は、ルーナの命を奪ったあの日から、一つの命も欠けることなく生きていられるのだろう。


 この世界では意思と想像によって、生涯の魔法が生まれる。もしかしたら、『努力すれば強くなれる』というのは、この世界に生きる全ての生き物が持つ一種の魔法なのかもしれない。努力するという意思。強くなりたいという意思。そして、強さの想像。それらが魔法のような原理で作用し、生き物は強くなる。言うなれば、生命の魔法。


 もしもこの、ちんけな頭脳で考えたその推測が正しいのならば。俺は実に堅実にその魔法を磨いていたのかもしれない。だからこそ少なからず、俺は普通に生きられるように成長したのだ。ただ生きるという、生きるのだという、がむしゃらな努力によって。


 そんな俺の姿は、正しく生きているだけの屍だ。生きるだけ。それだけを行う生物など、死んでいるに等しい。知性を持たぬ獣や魔物、ましてや虫に至るまで、目的を持って生きている。子孫を残すという、絶対的な目的を。俺はそれすらも、放棄していた。


 俺はそれでいいと考えていた。彼女の愛があれば。彼女への愛があれば。それらがあれば、それでいいのだと。それが俺の罪であり、贖罪であり、愛なのだと。


 楽しむことは罪を重ねることであり、罵られることは罰だと考えた。そして何より、心に残る記憶が、彼女が愛してくれたのだという喜びが、俺の人生が幸福であると理解させてくれた。


 けれどもそれは、少し違ったのだろう。


 未だに、悩みはある。葛藤はある。……ただ先生が、ネットが、プランが、そして先輩が、教えてくれたのだ。少なくとも楽しむことは罪ではなく。罵られることも、努力することも、生きることも………罰ではないと。



 前を向くことも、上を目指すことも。罪ではないと。



 過去に戻ったら。そんなことを考えなかったことはない。そしてそれは、この世界が前世のようだったらと考えるよりも、愚かな現実逃避だ。結果には原因がある。今があるのは、過去があるから。今の俺が生きているのは、罪があったから。彼女が、俺の瞳で狂ったから。


 過去を否定することは、全てを否定すること。彼女の愛は例え俺が作り出したものだとしても、否定してはならない。とても、とても、尊く、美しい、ものだった。


 だから、だからこそ。俺は狂わした彼女の愛に答えなければならない。いや、答えたいのだ。彼女が望む形。俺が前を見て、上を目指して進む。彼女が望んで、命を託した未来の形。


 例え、そう、例え。そんな彼女の愛が、俺が作り出した偽りだったとしても。……いや、偽りだからこそ。俺はその愛に、本当の愛で答えたいのだ。


 ―――――そしてそう思うから、俺は自分が更に嫌いになるのだ。


 心の中で、俺が呟く。






『そんなの、ただの自己満足だろ?』






 先輩に、命を狙われている今日この日まで。俺はまるで、自分が二人いるような感覚に苛まれていた。


 それは多重人格ではない。あくまで俺は、ハーン・ウルドという人物は一人。ただ俺の思想は、常に二つ。それらが混ざり合うことはまるでなく、一つの事柄、一つの事情、一つの現実に向き合ってきた。


 ネット・ガスパーという人物が、イブという人物を殺した。


 俺は恐怖した。平然とそう宣う彼に、畏怖を覚えた。だが同時に、それを当然のものだと理解していた。受け入れていた。『それは即ち愛である』そんな言葉が、体のどこか中核を担う部品に、刻み込まれているのを自覚していた。


 俺は、恐怖した。その言葉が存在している事実に愕然とした。


 だから俺は必至に、それは異常であると再定義した。そうしなければ、俺という人物が、ルーナを愛し、愛させた愚かな人物が消えてしまうような気がして。


 ただ俺には分からなかった。もしかしたら、その言葉を受け入れることが、本当の意味で彼女を受け入れることなのではないか。そんなことを考えた。


 ルーナはこの世界の人間だ。彼女の命を奪ったことで、俺は彼女の魂の記憶とでも呼べるものから、この世界の常識や感覚を受け継いだ。今まで平然とした顔でネット達と会話をすることが出来ていたのは、そのおかげだろう。それがなければ―――俺の両親や兄のように、俺を拒絶している。


 全て彼女のお陰なのだ。俺が今生きていることも、友達が出来たことも、なにより先輩が愛してくれたことも。


 それなのに、俺は未だに彼女の記憶と感覚を受け入れていない。あくまで理解として、客観的にそれを観察している。


 俺は間違いなく、この世界の人間だ。ここに生きている以上、それは変わらない。だから俺もまた、この世界の常識を受け入れるべきではないか。そうすれば、本当の意味でこの世界の人間になれるのではないか。本当の意味で、彼女を愛することが出来るのではないか。


 ――――だがそれは即ち、前世の俺を否定することではないのか。彼女が愛した俺を、塗りつぶすことではないのか。


 分からなかった。俺はどうすればいいのか。どうすれば、彼女に少しでも償えるのか。


 分からなくなった。俺は、本当に彼女を愛していたのか。魅了の瞳がなかったら、彼女は俺をどう見ていたのか。―――そんなことを考える、俺が大嫌いだった。


 過去は変わらない。罪は消えない。馬鹿は、死んでも治らない。


 ――――正直な話、俺は先輩のことが本当に好きだ。ただ勿論、それは愛じゃない。俺がルーナに感じたものを、俺は先輩に対して抱いていない。きっと尊敬に近い感情だ。ミヤ先生に抱いているのと近い、男女という垣根を無くし、人として好いている。


 そんな先輩が、俺のことを愛していると言った。


 ……嬉しかった。とても。俺は人に愛されることが出来る人間なのだと、分かったから。そして、ルーナが愛しても不思議ではない人間だと思えたから。


 でも、だからこそ。俺はその認められるという快楽に溺れてはならない。それは、全てを不幸に貶める行為だ。過去から何も学べていない。先輩を、不幸にしてはならない。それだけは、分かった。



 俺がいなければ。きっと先輩は、気高い誰かを愛していただろう。


 それが誰かは分からない。ただ、もっと先輩に愛されるにふさわしい人間がいるはずなのだ。生きるだけの俺ではなく、夢を持ち、上を見て、高みを目指す誇り高い人間が。そう、それはテスラのような―――――本当の意味で、格好いい男が。


 テスラは、先輩のことを好いていたんだと思う。それが愛かは分からない。ただ、少なくとも、先輩を拒絶する俺に怒りを覚えるほどには好いていた。憧れを抱いていた。目指す目標として君臨していた。彼がドラゴンの誘惑に負けた、一因になっていた。


 お節介な先輩のことだ。そんな夢があるが、隙もある彼に世話を焼いたことだろう。―――――出会い方が違えば。俺が、いなければ。


 俺は生きなければならない。そして、生きたいと願う。


 ただ、同時に。俺がいなくなればと考える。過去から全て、俺という存在がなくなってしまえば。全て、全て、幸せではないのか。けれどもそれは、願ってはならない。変えられるはずもない。罪に、向き合わなければならない。今を見つめなければならない。


 だから。俺は、先輩に嫌いになってもらう。俺という人間が、どれだけ愚かなのか知ってもらう。そうすれば、少しはいい方向へ行けることだろう。


 俺のいない、先輩の未来は。きっと輝いている。


 先輩だって分かるはずだ。命を見れば、察するはずだ。俺がルーナの命を奪ったことを。俺が愚かであることを。先輩が、愛する価値などないことを。


 命を見せよう。過去を語ろう。


 そうすれば、俺と同じように、俺を嫌いになる。

















 ―――――――予定だったんだけどなぁ……。






「いやぁぁぁぁあああ!!!!」





 うん。どうしてこうなった……?





「おいこら! 目を逸らしてんじゃねぇ! みろ!」

「むりむりむりむりむり! そんなこと出来るわけがないだろう!」


 嫌いになってもらう予定の、格好良くて凛々しくて綺麗だったはずの先輩は両手で目を塞ぎ、うずくまってイヤイヤと頭を振っている。


 うまく頭が回らないんだが、何してんだこの人。


「そんなの破廉恥だ! い、いけないんだぞ、ハーン! そういうのは、せめて――――――――」

「うるせぇ!!! かまととブッてんじゃねぇ! 見ろよほら!!」

「いやぁぁぁぁああああああああ!!!」


 とりあえず目的を果たそうとした俺は、先輩の腕を解こうとした。だが華奢に見える体からは想像できないほどに、固まったかのように動かない。頭を振るたびに覗く白かった首筋は、羞恥のためか真っ赤に染まっていた。


「ほら! ほら! ほら! 見ろよ、お嬢様よぉ!」

「いや、いや、やめてぇぇ!!」


 ――――……知識としては知ってたんだ。でもこんなに恥ずかしがるなんて誰が想像出来るんだ? この人さっきまで、俺のこと愛しているとか平然と言ってなかったっけ? 


 ……これでも結構覚悟した決断だったんだが。


「本当は興味あんだろぁ? ほれほれ? 怖くないよぉ?」


 しかしながら。恥ずかしがって嫌がる先輩を見ていると、胸の奥から沸き上がってくる熱い不思議な感情はなんだろう?


「はぁ、はぁ、はぁ……ッ! ね、一回。一回だけだから、見てみよ? ね?」

「う、うぅ……」






 ………とりあえず、指の隙間から見ているのは分かってますよ先輩。

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