七十八話(過去)「異世界転生してチート使って無双してくるwww」
いつのまにか。体が温かい。
少しその温もりに浸った後に、ルーナに抱きしめられているのだと気づいた。
――――ごめんなさい。その言葉が、繰り返される。俺の中を、グルグルと駆け回る。始め、それは俺の言葉だと思った。魅了の瞳。その罪。それを自覚した俺の、彼女への謝罪。決して許されない罪への謝罪。
だが、違った。俺の中を埋め尽くす彼女への謝罪。その中にあったその言葉は、俺のものではなかった。俺の言葉ではなかった。俺の思いではなかった。
それは、彼女の言葉だった。
「なん、で―――」
分からなかった。彼女のことが、分からなかった。いや、理解はしているのだ。既に、俺は彼女の全てを理解していた。彼女の持つ記憶。感覚。感情。その全てが、伝わりつつある。
それでも、俺は彼女のその言葉を受け入れることは出来なかった。
「分かっているんだろう? 何かあるって。俺に、何か、特別な何かがあるって」
初めて目を開けた瞬間。それを知るのは彼女だけだ。だからこそ、彼女は理解していた。瞬時に変わった俺の魅力。自己に芽生えた強烈な感情。それらの情報から、俺には何かあるのだと理解していた。
「分からないなら教えてやるよ…! 偽物だよ―――――偽物なんだ!!!!!」
彼女の体は、消えつつあった。命とは、死を回避する力。転じて、生きる力。だからこそ、生きるための肉体もまた、命の一部として俺の中に流れようとしているのだろうか。そんな推測も、その時の俺には出来るはずもない。
「俺の瞳は、偽物を作れる…ッ! 愛させることが出来るんだよ!!」
ただ俺の中にあったのは、焦燥。
「ずっと、ずっと、ずっと。俺は、お前を、利用してきた…! 生きるために、お前が必要だったから。利用してやった。―――はははっ! お前は従順だったよなぁ? なんでも言うことを聞いてくれる、いい駒だったよ!!!」
もう、時間がない。
「だから、だから…!」
言葉を、紡がなければならない。ハーン・ウルドは、ルーナに伝えなければ。
「お前の気持ちは、十年間の思いは――――全部、偽物だ!!!!!」
ごめんなさい。
―――伝わってくる。
「どうして……?」
自分の力が、足りなかったこと。苦しい思いをさせてしまったこと。もっと笑顔を差し上げられなかったこと。もっと幸せを、差し上げられなかったこと。
命を、一つ失わせてしまったこと。
「違う!!」
自分がもっと、しっかりしていれば。自分に、力があれば。
「違う、違う、違う!!!! ルーナのせいじゃない!!!」
ハーン様の大切な、命を。これから貴方様が愛されるはずだった、大切な方への縁を。私が、壊してしまった。
「違う!!! ―――――違う、君に、俺は……」
このままでは、私は貴方様の命を、また失わせてしまう。
「そんな、こと…」
だから、私の命を。二つの命を。貴方様に――――捧げます。
「―――ッ!」
勝手な行動を、お許し下さい。けれどもこの財宝の製作者様……ドラゴン様が、教えて下さったのです。
この財宝は、受け入れる側が承認せねばならないと。それが出来るのは、私だけだと。
そうすれば、二つの命を使って―――――貴方様が、生きられると。
「……そん、な」
どうぞ。どうぞ。…この命を、お使い下さい。私の喜びは、貴方様の喜び。ハーン様の、呼吸。動き。思考。笑顔。―――人生。その全てが、私の喜び。貴方様が生きていること。それが、私の願い。私の命が、失われようとも。貴方様が生きておられるのならば、私は、私は、幸せです。
「――――な、い」
この腕で、貴方様を支えられないことをお許し下さい。
「いらない! お前の命なんか、いらない!!!!」
………申し訳、ございません。ハーン様の願いなら、私はどんなことも叶えて差し上げたかった。―――けれども、これだけは。これだけは、お許し下さい。私の我儘を、お許しください。私の命を、お受け取り下さい。私の、ルーナの、二つの命を。
「知らない、知らない、知らない! お前の願いなんか、知るかよ! 黙ってお前は、俺の言うことを聞いていればいいんだ。俺の世話をしていればいいんだ。騙されていればいいんだ!!!」
―――ああ、でも。私の魔法で、喜んで下さるハーン様の顔を。来年も、見ることは出来ないのですね。
「……そ、そうだ! そうだよ、約束はどうしたんだ! 初めて、お前の魔法を見た時、約束したじゃないか―――。毎年誕生日に、ルーナの魔法を、『空花』を、見せてくれるって、約束した! 約束したはずだ! お前は、それを破るのか!!!」
はい。
「―――ッ!」
ルーナの意思は、固かった。そして例え彼女の意思を変えようとも、状況が、変わる事はない。それを俺は、その時の俺は、既に理解していた。けれどもその現実を、受け入れたくなかった。
ただ、彼女から伝わってきた短い意志。それはあまりにも簡潔で、強固な意志だった。
「ふざけるな。ふざけるなよ……ッ!」
だから。
「ふざけるなよ!!! そんなの、許す訳ないだろ!!! 許さない、許さない、許さない!!!」
だから。
「許さない、認めない、だから――――!!!」
「――――死なないで、ルーナぁ……」
だから、懇願した。
「頼むよ……。お前に、死んで、欲しくない―――」
消えつつある彼女を、必死で抱きしめた。前世の俺だったら――この時ほど、そう思ったことはない。十歳の俺の、小さな腕では、彼女の体を包み込むことは出来なかった。
「お前と、一緒にいたいんだ…」
彼女の顔を見たい。そう願う。けれども涙で、視界がぼやけていた。
「お前と、生きたいんだよ……」
体から、熱が逃げていく。降り注ぐ雪が、奪っていく。
温かいはずの、彼女から。これからも、生き続けるはずだった彼女から――――。
「愛しているんだ……ルーナ」
愛する、彼女から。
「ずっと、一緒に、生きよう……?」
人を好きになるのは簡単だ。だが、人を愛するのはとても難しい。
そして、愛してくれるだれかを。愛さないのは、とても、難しい。
ハーン・ウルドは、ルーナという女を愛していた。あまりにも、あまりにも、愚かな男だった。彼女の人生を奪った。彼女の心を支配した。彼女を嫌悪し、彼女を拒絶し、彼女を利用して―――――彼女を愛した。
愚者という言葉が、あまりにも相応しい。我儘で、自分勝手。そのくせ、心のどこかで、幸せを、安寧を求める。後悔をしながら、懺悔しながら。罪を、重ねる。
考えていたことがある。この魅了の瞳は、俺が死んでも効果があるのか? 俺が死ねば、この世界からいなくなれば、その効果も消えてなくなるのではないか。彼女は、ルーナは……俺への思いを忘れて――――――――――。
婚約者だった兄と、縁を作るのではないか。
幼い頃から共にいた兄と。共に育った兄と。身分は違えども、惹かれていた兄と。
卒業したら縁を結んでほしいと、彼女に伝えた兄と。
「ルーナ……、ルーナ、ルーナ、ルーナぁ…ッ!」
きっと君は。俺が生まれてこなければ。俺が、望まなければ。
その小さな可愛らしい思いは、やがて愛へと変わっていただろう。優しい兄と、縁を作っていただろう。そして二人より添い、幸せに、なっていただろう。
―――憎んでほしい。
「愛しているんだ」
それを知った今でも、そう語る俺を。
「一緒に、生きたいんだよぉ……!」
そう願う、俺を。
「ゆるして、ください」
許して、ほしい。
――――伝わってくる。喜びが、伝わってくる。
愛される。愛されている―――その、喜びが。
――――はい。
「…あ」
俺の、中から、伝わってくる。
「あ、あ、あ……」
雪が、積もっている。俺の体に、雪が積もっている。
「あ、あ、あああああ」
辺りに雪が積もっている。真っ白に染まっている。
「ああああああ、あああああああああああ、ああああああああ」
何もかも。俺以外、白い。
「あああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
そこにあるのは、白と俺。
何もない。もう、何もない。
「ルーナァァァァァァァァァァァァァアアアアアアアアアアアああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
彼女はもう、そこにはいなかった。俺の中にしか、いなかった。
この世界のこと。彼女の記憶。愛しているという、思い。二つの命。それらを残して、全て、全て、消えてなくなった。
「―――――――――……」
体が、冷えていく。少しずつ、少しずつ時が経ち。体が悲鳴をあげた頃、ようやく俺の頭は動き出した。ただ、そこから先のことはよく覚えていない。
「……な、きゃ」
一つだけ分かるのは。
「生き、なきゃ」
そう、誓ったこと。
――――――ハーン・ウルドは生きなければならない。彼女と共に、彼女の命と共に。生きなければならない。
決して命を失ってはならない。白けるほどに、生きねばならない。
少しでも遠く。一歩でも遠く。一秒でも、長く。
困難があれば、危機があれば、寿命を削ってみせよう。それでも遠く、生きる。生き続ける。この命と――――彼女の命と共に。
俺だけが覚えている。生きて、生きて、覚えている。俺の罪―――彼女の、愛。
それが、俺の、贖罪。彼女への、愛。
……ああ、でも。願わくば―――――――――――――。
空色の花を、もう一度。




