七四話(過去)「異世界転生してチート使って無双してくるwww」
ふと、目が覚めた。
部屋の中には闇が充満している。耳を澄ますと、ルーナの小さな寝息が聞こえてきた。彼女は俺を心配して、生れてからこの日まで、近くで夜を過ごしている。俺がいつ何時、体調を崩しても対処できるように。
闇の中で、自身の右手を見た。十歳になった俺の手。生まれ変わった俺の手。窓から差す月の光が、僅かにその姿を映し出す。ジッと見つめると、体の奥底から違和感が濁流となって全身を掻き回す。胃の中から込み上げた液体が口の中を蹂躙したところで、俺はその行動を止めた。
十年。それは俺にとって長い時間であったが、この違和感を拭うには全くもって足りない。前世の記憶。生まれ、成長し、経験し、生きた十六年。濃厚で、幸福だった、愚か者の人生。その断片の一つ一つが、俺の挙動の一つ一つを阻んでくる。
……いや、そんなものなど。大した障害にはなりえない。
死の記憶。冷たい刃が肉を通り、体から命を奪っていく感覚。ゆっくりと、自我が離れていくような感覚。剥がれるような感覚。触られるような感覚。引っ張られるような感覚、掴まれるような感覚、握られるような感覚、潰されるような感覚、捏ねられるような感覚包み込まれるような感覚弄ばれるような感覚連れていかれる感覚温かい感覚冷たい感覚震える感覚―――――。
ああ、死んだ。
そういった、簡潔で、簡素な。当然の感覚。それが俺の今世の障害となる。終わったという認識。確信。そう考えたという記憶、理解。
残っているのだ。俺という、人物の。魂とも言える、ものの中に。
……違和感だ。圧倒的な、違和感だ。
頭を振るう。それを、考えるなと言い聞かす。そうしろと、何かが言っているような気がする。その声に従っていると、頭の中がスッキリとしてくる。悩みなど無かったかのような、清涼感に包まれる。
まるで、あの時のように。死んだ後、生れる前の、狭間のような場所。人のような姿をした存在に、懇願したあの場所。
あそこは、とても居心地がよかった。ゴチャゴチャと考える必要はなかった。ただ自分の欲望を示すだけでよかった。願うだけでよかった、それだけで、叶った。
理想だった。夢だった。全てが叶った。………きっと楽しかったことだろう。願うだけで夢が叶う? 理想が成就する? 例えリスクがあろうとも、そんなことはあり得ない。
叶えられたのだ。作られたのだ。夢を、理想を。
「ハーン様? 眠れないのですか?」
「……ごめんルーナ。起こしてしまった?」
「私のことはお気になさらないで下さい。それよりもハーン様は大丈夫ですか? 眠れないのであれば、なにか……」
「いや、何もいらないよ。大丈夫、ちょっと起きてしまっただけ。眠たくて仕方ないから、直ぐ眠れるよ」
ただ、その当時の俺には疑念を抱くことなど出来なかった。生きることに必死だった。彼女のことで頭が埋まっていた。そして何よりも、兄の手に入れた所有者のいない財宝のことしか考えられなかった。
だからこそ、余分なことを考えたくなかった。そんなことは置いておこうと、優先順位を下げた。そのことを何も考えない、そのことに何も思考しない。そうすることで生じるスッキリとした清涼感に、身を任せた。
そうすることしか出来なかった。という言葉が、正しいのかもしれない。
頭の上に温かい何かが置かれる。すぐにルーナの右手であると理解する。それはゆっくりとした動きで、俺の髪を撫でた。するとまるで彼女が魔法を掛けたかのように、俺の瞼が重たくなってくる。
……もしかしたら、彼女は生涯の魔法を二つもっているのだろうか?
「おやすみなさい、ハーン様」
きっとそれは、幸せを作り出す魔法。ドラゴンすら超越する、女神のような魔法。
俺は明日、彼女を殺す。




