七三話(過去)「異世界転生してチート使って無双してくるwww」
今世に神はいない。教典も教会も存在しない。
人間は死に祈るが、それはあくまで死した存在に向けてだ。決して、それを導くであろうと思われている不確かな存在に向けてではない。だから、この世界に神はいないのだ。認知がされていない。仮に存在していたとしても、いないものと同じだ。
では前世に神はいたのか?
それに関しては、いるとも言えるし、いないとも言えるだろう。前世では神という存在がいるものとして扱われていた。宗教が存在していたし、俺は願いを神という曖昧なものに届けようと祈っていた。そういった意味では、存在しているとしていいだろう。少なくとも、認識されているという意味で。
だが、確認はされていない。神という存在の証明が行われていない。そういった事実から考えれば、それはいないという決定になる。逆にいないという証明も出来ないから、そういった論争は終わらないのだけれど。
そんな終わらない論争を続ける人間というのは、極僅かだと思う。だから宗教家はいるものとして神を崇めるし、科学者はいないものとして真理を探求する。前世の俺はまだその二択を選んではいなかったけれど、どちらかというと前者寄り。つまりは神はいるものとして定義した人生を、選ぼうとしていたと思う。
しかし今世の俺は、圧倒的に後者を支持する。
神はいない。絶対にいない。存在するはずがない。ありえない。おかしい。変だ。気持ちが悪い。吐き気がする。怖気が走る。苦しい。
そうだ。神は、いない。この世界に神はいない。絶対に、いない。
前世にも、今世にも。俺が、俺だけが、それを確信する。
転生? チート? ずる?
ああ、そうさ。俺は願ったさ。縋ったさ。目の前にいた、人知を越えた存在に。
それは神の証明だ。証明だと、俺は思った。
理解したのだ。会った瞬間に、この存在は上であると。だから縋り、祈り、願ったんだ。だってそうだろう? まるで、物語じゃないか。不幸にも、若くして死んだ主人公が、チートを貰って転生。最高だ。
けれども俺は、その場で。死後の世界であると勘違いしていたあの場所で、気づくべきだったんだ。
それは神の証明なのか? そう、自分に問いかけるべきだったのだ。前世も今世も、神も悪魔も存在しないのだから。
仮に。そう仮に。神という存在がいるとしたら。
その神は―――――――――――――――――――――娯楽を、楽しむ。
その財宝は、短剣を模した物だった。
無駄な装飾の一切もない、ただただ鋭い刃を持った短剣。それなのに、不気味なほどに美しい。そんな短剣だった。
ドラゴンの財宝。それはルーナの話聞かせてくれた童話にも登場した。だからこそ、その頃には俺はその存在を認識していたし、それが途轍もなく高い価値を秘めていることを知っていた。だがその恐ろしさを、正確に理解していたとは言い難い。・・・いや。当時の俺は、そこに危険が潜んでいるとは考えもしなかっただろう。
ドラゴンが作った、なんか凄いチートアイテム。短慮な俺には、所詮はその程度の認識しかなかったのだ。
「・・・?」
だから当時の俺は不思議だった。騒がしかったはずの屋敷が、静まりかえっていることに。
財宝を手に入れる。それはとても名誉で、個人にとっても一家にとっても福音とも言うべき知らせだろう。普通ならば、何日も掛けてお祝いをしても不思議ではないのだ。事実、ネットの家はかなりのお祭り騒ぎだったらしい。
それなのに、屋敷を沈黙が包み込んでいる。誰もが口を閉ざしている。あの何もない部屋から、俺が外へ出ているというのに。そんな異常すら住民が気にならないほどの、虚無が屋敷に充満している。
「認められなかった」
絹を裂くような声で、兄が沈黙を破る。
兄は、いわゆる優等生だった。小さい頃から勉学に優れ、平均よりも強く肉体と魅力を持った子供だったらしい。両親の手厚い教育と訓練によって、すくすくと成長した兄は現在の俺のようにウルタス魔法学園に入学する。
そこで兄はダンジョンに潜り、トップクラスとまでは言わないまでも、同学年の生徒に比べてかなり深くまでダンジョンを攻略していた。
まさに絵に描いたような、理想の人生だ。彼が、ドラゴンの財宝を見つけるまでは。
ドラゴンの財宝は、自らの血をもって制作者に認められることで所有者になれる。現在の俺のようにドラゴンから直接財宝を貰うことで所有者になれる者は、とんでもない例外だ。
とはいっても、基本的に制作者に所有を認められないことはない。第一発見者であること、そして他者から奪っていないこと。この二つの原則が守られていれば、ネットのように意外とあっさり所有者になれる。
ドラゴンにとっては、いらない道具が誰の手に渡ろうがどうでもいいのだろう。ただ人間やその他の知性ある種族にとって、それは大きなことらしく。所有者として認められるのは、その人物が偉大な存在であるという意味に繋がるようだ。俺の場合は、色々と事情があって賞賛されることはなかったけれど。
ここで問題なのは、所有者に認められるということが、偉大だという証明のようなものになるということ。
つまりは俺の兄は、学園中に偉大ではないという証明。・・・簡潔に言って、たいしたことのない、矮小な存在であるということを知らしめてしまったのだ。
「どうして僕ではダメなんだ!? どうして!?」
兄の悲鳴に似た声が、屋敷に響きわたる。誰もその声には答えられない。ドラゴンの考えることなど理解できるはずがない。だからこそ、屋敷の住民は答えを一つに絞られる。
――――兄は、英雄になれない。
沈黙が不快だったのか、兄は頭をかき毟る。誰かこの現実を否定してくれと、懇願するようにその場の人間を見る。しかしながら、兄の期待に答える人間は両親を含めて存在しなかった。
兄は視線を泳がせ、その最中。俺を。ハーン・ウルドを。弟の姿をその瞳で捉えた。
「……お前、か?」
火が立ち上った。俺と同じ黒色だったはずの瞳が、赤く、血走る。怒りが、火のように。瞳の中で赤く、熱く燃え上がっていく。
「また―――――――――――――――――――お前かぁぁぁぁぁぁぁァァアアアア!!!!!!!」
体が震えるのを自覚した。兄の怒りは、前世の俺のトラウマを。死因を呼び起こすには、あまりにも適当だった。
「いつも、いつも、お前が邪魔をする! お前の存在が邪魔をする。僕の人生の邪魔をする! 僕は努力しているのに! いつだって、真面目で、真剣に、努力しているんだよ!!!」
怒りを込めた兄の足は、屋敷の堅い床を砕きながら此方へと向かってくる。俺は震えながら、それを見ていた。逃げなければと頭で考えていたのに、体がまったく動かない。恐怖が鎖となって、体を縛っていた。
「お前さえ、いなければ!」
屋敷の住民は兄の足を止めなかった。ただ痛ましいものを見るように、哀れなものを見るように。同情を抱きながら、兄を見た。そして両親は、兄と同質の怒りを俺に向けた。
「やめて、下さい」
あと数歩。兄が俺に接触するまであと数歩のところで、何者かが俺の視界を遮る。すぐに俺は、その存在が誰なのか理解した。
「ルーナ・・・」
屋敷の中に存在する、二つの異物。その片方が、兄の怒りから俺を守っていた。
「なぜ、君は・・・」
冷や水を浴びたかのように、兄を怒りは収まった。代わりに兄の声からは、失望と悲哀。まるで大切なものを亡くしてしまったかのような、痛ましい感情が伝わってきた。
「ルーナ、ルーナ、僕は……―――――」
何かを口にしようとした兄を、父が肩に手を触れることで止める。泣きそうな顔をしていた兄に、父はただ首を横に振ることで答えた。
兄はグッと何かを飲み込むように体を振るわすと、もう見たくないと言わんばかりに、此方に背を向けた。
「・・・ああ、そうだ。ダンジョンから、貴重な薬草が採取できたんだ。君にあげるよ。君が愛していると言った、病弱な誰かに、与えてあげるといい。―――――――それが、君の幸せなら」
そう言うと、兄は足を進め二階の私室へと帰って行った。
ルーナはそんな兄の背中に、いつまでも頭を下げ続けた。兄の姿が見えなくなって、俺がそのことを伝えても。
当時の俺には、彼女の行動の意味が分からなかった。分かろうとも、していなかった。




