七十話(過去)「異世界転生してチート使って無双してくるwww」
とても、とても。
簡単な質問をひとつしよう。
魂というものがあるとして、輪廻というものがあるとして。前世で呆気なく死んでしまった人間に、転生という光が差し込んだら。
まず、何をするだろう。
俺の場合は、簡単だった。とても、とても簡単な作業だった。そしてそれは簡単だからこそ罪深く、恐ろしく、愚かしい行為だった。
━━━━━━目を、開いたのだ。
未知という麻薬に身を穢し。網膜に、光を焼き付けた。魂に、情報を刻み込んだ。いつからかと聞かれたら、俺はきっとその瞬間からだ。この世界の、異世界の住民になったのは━━━━きっと、見つめるという大罪を背負ったその瞬間からなんだ。
俺は恐怖した。全てを理解せぬままに、己の犯した罪に恐怖した。同時に俺は全てを許した。俺を殺したアイツもまた、必ず同じような感情を抱いている。俺には、今の俺にはアイツが求めて止まないモノを理解できる。アイツはきっと、叫び続けていることだろう。
そんなつもりはなかった。これほどの罪とは思わなかった。頼むから、許しを恵んでほしい。
俺は目を開いた。そして、見つめた。
——――――彼女の瞳を、俺の『瞳』で。
「………ッ!」
こうして、この世界に生後間もない赤子を愛する狂人が誕生した。
「ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ぁぁ!! ああ、ああ、あああ、あああああ!! おはようございます、ハーン様ぁ! あああああ、ああ、ああ、ああああああ、今日もなんて愛らしい!」
俺が自身をハーン・ウルドという人物であるという自覚を持てたのは、偏に彼女のお陰だろう。彼女は赤子の俺の名を、たいそう愛おしそうに繰り返した。まるで、そうしないと俺という存在がいなくなってしまうと、思い込んでいるかのようだった。
この世界に生まれた俺は、直ぐに『魅了の瞳』を閉じた。この瞳の恐ろしさを、生れた直後に理解したからだ。俺に瞳を与えた存在の言う通り、ハーン・ウルドという人物の体を表現するのには、虚弱という言葉が適正だった。
そこに瞳を閉じるという行為が追い打ちをかける。ハーン・ウルドは、醜く弱く愚かな赤子であった。
生まれた赤子に、両親は冷ややかだった。寧ろ、恐怖を覚えていた。そんな両親に対して、俺は別段怒りを感じていない。親の愛情がなくて寂しいだとか、悲しいだとか、不相応なことも考えない。
両親は俺を心底気味悪がった。それは当然のことだ。例え自らお腹を痛めて生んだ子供だとしても、それが怖気の走る化け物だったら。彼らのように、貴族の面子があるからと、狂った使用人に育てさせることすら尊い行動と言えるだろう。
俺は両親に感謝をしている。瞳を閉じた影響で、次々と病に掛かった俺を、両親は金を惜しまず優秀な医者にみせた。それは息子の命を守りたいという親としての愛よりも、救える命は救わなければならないという、この世界の価値観による使命感だと思う。前述のとおり、面子というものも関係しているに違いない。
ただ、命を助けてもらっているのは事実なのだ。だから俺は感謝しているし、俺がこんな形で生まれてしまったことに関しては、申し訳なく思っているのだ。
「ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様ハーン様? 今日はお外が良いお天気ですよ」
彼女は暇があれば俺に話をした。この世界の言語は、俺の名前と同じく嫌でも早く身に付いた。
この世界の言語は、前世の言語に比べて非常に音の種類が圧倒的に少ない。……といっても俺は前世で自分が住んでいた国の言語くらいしか、詳しくしらないのだけれど。それでもその言語に比べて会話を構成する音の数が少ない。だから、頭の悪い俺でも彼女が話す言語を理解するのには時間が掛からなかった。
彼女は俺を愛していた。心底俺を愛していた。彼女は病弱な俺を我が子のように―――――いや、将来を誓い合った恋人のように世話を焼いた。
母すら近づかない俺の下の世話をしたのは彼女だし、ミルクを与えたのも彼女。体を洗うもの彼女だし、当然ながら着替えをさせてくれたのも彼女だ。俺の今世は生まれた瞬間から彼女で埋め尽くされ、他人の姿や声や音を認識する機会は両手で数えるほどしかなかった。
彼女は常に笑顔だった。俺の仕草や動作、そして呼吸に至るまで。俺という存在が行動することが、天上の喜びであるかのように。彼女は笑顔であり続けた。そんな彼女のことを俺の両親や他の使用人は哀れに思っていたようだが、それでも彼女が幸せなら、と見守っていた。……最初の頃は。
「いやぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
その視線が侮蔑に変わったのは、俺の住んでいた屋敷に絶叫が響き渡ったときだった。なんてことはない、赤ん坊だった俺が初めて熱を出したのだ。子供は熱をよく出す。それは俺にとって常識だったから、ボーっとする頭でその状況を安易に受け止めていた。
ただ、彼女にとってそれは耐え難い現実であった。常に俺に付き添っていた彼女は、俺の肉体が貧弱であるという事実を俺以上に分かっていた。だからこそ風邪という現象が幼い俺の体にとってどれだけ危険なことかを理解したのだろう。それが彼女の中でもしもの事態を連想させ、その想像に彼女は耐えられなくなったのだ。
更にこの世界の文化がそれを後押しする。複数の命。俺にとってそれは、消費するためにあるものだった。
一度死を経験した俺は、少しでも長生きするために複数の命を望んだ。それは病気や事故、そして何よりも突発的に誰かに殺されるなどの危険を回避できるからだ。それによって、例え異世界だったとしても、俺は生き残れる。そう考えていた。
安易だと言わざるを得ない。そこが異世界であり、幻想が実在するのだとしたら。それはもはや、前世の常識で量ることなどできるはずもない。
この世界では複数の命は愛のためにある。俺はそれを真に理解出来ていなかった。
「だめ、だめ、だめ、だめ」
彼女は綺麗な金色の髪を掻きむしり、唇を噛み赤い血を流した。
————―……ああ、ハッキリと言っておこう。
俺は彼女のことが気持ち悪くて仕方がなかった。恐ろしくてたまらなかった。
彼女は異常だった。生まれて間もない俺の瞳を見てしまったことで、彼女は異常になってしまった。彼女には何の非もない。俺が悪いのだ。俺が望んでしまったことで、生まれてしまったことで彼女の全てが狂った。
悪いのは俺だ。完全に。絶対的に俺が悪なのだ。それでも俺は、本来であれば自己を認識することもない赤子を狂愛する彼女を嫌悪した。自らの罪を棚に上げ、彼女を気味の悪い存在であると認識していた。
それは逃避だったのだろう。自身の罪が恐ろしく、それを彼女に投影することで罪悪感を薄めようとしていたのだ。
その当時は、この世界の常識を完全には理解できていなかったのも大きな要因だ。
彼女と目を合わせた瞬間に、ここが「異世界」であるというのは認識した。彼女が絶えず聞かせる話の中から、ある程度の常識を頭の中に刷り込むことにも成功した。
この世界の人間は、愛で人を殺す。
それを言葉として脳に生み出した。ただ俺は、その時その言葉を理解する必要があったのだ。……そうすれば、彼女を。
「いや、いや、いやぁぁぁぁぁぁ!!」
泣き叫ぶ彼女を、あきれ顔で見つめることはなかった。
三つある内の、一つじゃないかと。簡単に命を投げ捨てなかった。




